三船久蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
みふね きゅうぞう
三船 久蔵
生誕 1883年明治16年)4月21日
岩手県九戸郡久慈町(現久慈市
死没 1965年昭和40年)1月27日
記念碑 三船十段記念館
国籍 日本の旗 日本
身長 159cm
体重 55kg
肩書き 講道館柔道十段
受賞 正四位
勲二等瑞宝章
勲三等旭日中綬章
紫綬褒章
文化功労者
久慈市名誉市民
テンプレートを表示

三船 久蔵(みふね きゅうぞう、1883年明治16年)4月21日 - 1965年昭和40年)1月27日)は、日本柔道家

身長159cm、体重55kg。小柄な体型ながら「空気投げ」などの新技をあみ出し、1945年(昭和20年)最高位の十段を授けられ「名人」の称を受ける。「理論の嘉納、実践の三船」といわれ、柔道創始者である嘉納治五郎の理論を実践することに力をいれたことから「柔道の神様」とあがめられた。

目次

[編集] 略歴

三船久蔵(左)と嘉納治五郎(右)

1883年明治16年)岩手県九戸郡久慈町(現・久慈市)に生まれる。久慈尋常高等小学校卒業後、郡役所に勤めるも数日で退職。呆れた父は一関中学(現・岩手県立一関第一高等学校)から遠く離れた仙台二中(現・宮城県仙台第二高等学校)に進ませた。そこで柔道に出会った三船は詳しく学ぶため(旧制)第二高等学校(現在の東北大学の源流の1つ)に通い詰めて師範の大和田義一に熱心に教えを受け、後に仙台二中に柔道部をつくった。仙台には三船と互角に戦える相手がいなかったため、1903年(明治36年)に上京して講道館に入門。横山作次郎弟子となる。1904年(明治37年)に早稲田大学予科に入学し、翌年には慶應義塾大学部理財科に入学した(当時の早稲田および慶應は呼称のみの大学で、法的には旧制専門学校)。

球車大車踵(きびす)返し三角固め等多数の新技を発明し、その真髄といえるのが隅落(別名空気投げ)である。講道館では横山作次郎に師事。講道館指南役、東京帝大明大日本体育専門学校(現日体大)等多数の大学・専門学校、警視庁の柔道師範として柔道の普及、後進の育成にも多大な功績を残した。

1954年(昭和29年)、久慈市名誉市民1956年(昭和31年)、紫綬褒章1961年(昭和36年)に文化功労者に選出される。1964年(昭和39年)に勲三等旭日中綬章を受章し、また東京オリンピックでは柔道競技運営委員を務め、国際的競技としての「柔道の完成」を見守った。その翌年の1965年(昭和40年)1月27日、喉頭腫瘍と肺炎のため82歳で永眠。同日、勲二等瑞宝章を授与され、正四位に叙される。

[編集] 人物像

若き日には、後年最後の連合艦隊司令長官となる小沢治三郎に、柔道の技で橋の上から投げ飛ばされたというエピソードがある。なお、三船の墓は鎌倉市内の霊園にあり、その霊園には小沢治三郎の墓もある。

小柄な三船がスイスイと体をかわすだけで、相手選手が面白いように転がる様子を当時の高段者達は冷やかにみていたが、1930年(昭和5年)第1回全日本柔道選手権大会で佐村嘉一郎七段を「空気投げ」で見事に投げ、周囲を感嘆させたという。

故郷久慈市名誉市民第1号で、久慈市では1958年(昭和33年)に三船記念館を設立。1990年平成2年)には三船十段記念館が設立され、三船十段杯争奪柔道大会、三船十段杯国際親善柔道大会を開催している。主な出身者に、65kg級元世界王者の柏崎克彦など。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語