グランドスラム・東京

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グランドスラム・東京(ぐらんどすらむ・とうきょう)は、2009年から行われている国際柔道連盟(IJF)主催の国際柔道大会。2008年までは嘉納治五郎杯東京国際柔道大会(かのうじごろうはいとうきょうこくさいじゅうどうたいかい、KANO CUP Judo World Grand Prix)として行なわれていた。

大会の正式名称は、GRAND SLAM TOKYO ○○○○ International Judo Tournament(○○○○は開催年の西暦が入る)。

概要[編集]

現在の柔道の礎を築き、講道館を興した嘉納治五郎の功績をたたえ、柔道の国際化を推進する目的で、1978年嘉納治五郎杯国際柔道選手権大会として男子のみの大会(11月開催)としてスタートした。当時の大会は柔道のオリンピックとも称されていた[1]。ただし、開催ペースは一定ではなく、2006年までに12回行われた。

2006年3月の全日本柔道連盟の理事会と評議会で「連盟主催の大会を整理・統合する」という方針が打ち出されたことにより、同年まで福岡市で行われていた福岡国際女子柔道選手権大会を吸収し、2007年以降は男女両方が行われる大会となる。またこれに合わせ、大会名も「嘉納治五郎杯東京国際柔道大会○○○○ワールドグランプリ」(愛称:「嘉納杯柔道ワールドグランプリ○○○○」)(○○○○には開催年の西暦が入る)に改められ、会期も1ヶ月前倒しの12月開催となった。

2009年大会より「IJFグランプリシリーズ」における“グランドスラム大会”と位置づけられ、それに伴い名称もグランドスラム・東京と改められた。

各国メダル数[編集]

国・地域
1 日本の旗 日本 54 32 53 138
2 韓国の旗 韓国 7 8 11 26
3 フランスの旗 フランス 2 4 7 13
4 ロシアの旗 ロシア 2 4 4 10
5 オランダの旗 オランダ 2 2 3 7
6 スロベニアの旗 スロベニア 1 1 4 6
7 チェコの旗 チェコ 1 0 1 2
イギリスの旗 イギリス 1 0 1 2
9 ブラジルの旗 ブラジル 0 6 13 19
10 キューバの旗 キューバ 0 4 4 8
11 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 0 2 0 2
12 モンゴルの旗 モンゴル 0 1 5 6
13 ベルギーの旗 ベルギー 0 1 4 5
14 カナダの旗 カナダ 0 1 3 4
15 スペインの旗 スペイン 0 1 2 3
16 ギリシャの旗 ギリシャ 0 1 0 1
ハンガリーの旗 ハンガリー 0 1 0 1
イスラエルの旗 イスラエル 0 1 0 1
19 ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン 0 0 5 5
20 グルジアの旗 グルジア 0 0 4 4
ドイツの旗 ドイツ 0 0 4 4
22 カザフスタンの旗 カザフスタン 0 0 3 3
23 中華人民共和国の旗 中国 0 0 2 2
チャイニーズタイペイの旗 チャイニーズタイペイ 0 0 2 2
25 アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン 0 0 1 1
コロンビアの旗 コロンビア 0 0 1 1
エストニアの旗 エストニア 0 0 1 1
ポーランドの旗 ポーランド 0 0 1 1
ルーマニアの旗 ルーマニア 0 0 1 1

テレビ中継[編集]

  • 1980年代の一時期、日本テレビから生中継されたが、その後2006年の大会までNHK BS1から録画中継。
  • 2007年の男女混合大会になってからはテレビ東京BSジャパンの同時生放送(初日だけ撮って出し)になった。2007年の司会は俳優の山本耕史
  • 2008年大会(12月12日 - 14日)のテレビ中継は、テレビ東京開局45周年記念番組として放送され、MCは井上康生大橋未歩(テレビ東京アナウンサー)が担当する。
  • 2009年大会では、テレビ東京アナウンサー5名が「柔道IPPON組」を結成し告知を行った。スペシャルサポーターに清原和博を招く予定であったが、本人の体調不良により出演を取りやめた。
  • 2010年大会からはメインキャスターとして小泉孝太郎を起用し、大橋アナと共にMCを担当。
  • 2010年大会も地上波、BSジャパンともに録画放送となった。
  • 2011年大会は、地上波では3日間(12月9日 - 11日)、BSジャパンでは最終日のみ(当日の深夜にて録画中継)放送。これに先駆け、BSジャパンでは12月5日 - 9日の23:00~24:00に「柔道グランドスラム まもなく開幕!」と題して今大会のみどころが放送された。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「激動の昭和スポーツ史⑯ 柔道 青葉号」 ベースボールマガジン社、1989年発行 88頁

外部リンク[編集]