ノート:山口淑子

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「李香蘭」か「山口淑子」か?[編集]

「林長二郎」→「長谷川一夫」、「中村錦之助」→「萬屋錦之介」のように改名後の芸名・現在名を優先する方針だと当然「李香蘭」→「山口淑子」になるわけですが、どうでしょうね。現在のリバイバル上映でも「女優・山口淑子」がふつうですし。時代を飛び越えて見れば「李香蘭」の方が後世の記憶に残るのでしょうが。 2006年1月2日 (月) 22:23 (UTC)[返信]

じつはわたくし山口淑子を書こうと思っていてなかなか取りかかれないでいるのですが、李香蘭は山口淑子へのリダイレクトではなく特殊ケースとして存続でかまわないと思っていますがどうでしょうか。いぬ 2006年1月3日 (火) 07:43 (UTC)[返信]
「李香蘭」と「山口淑子」を分離するということでしょうか?それとも特例で現状維持でしょうか。 2006年1月6日 (金) 18:42 (UTC)[返信]
主見出しは「李」のほうで、「山口」はリダイレクト、ただし、「山口」の項目に<--CATEGORY:日本の政治家|やまくち よしこ-->という注記をはりつけて、カテゴリからの検索を可能にする――というのでいかがでしょう。 --ねこぱんだ 2006年3月6日 (月) 23:20 (UTC)[返信]
補足します。カテゴリは「日本の国会議員」のほうがよいかもしれません。彼女は政治家としても有能だったのは事実ですが、最初の選挙のときはタレント候補扱いをされていたので、「李」の項目のなかで記述を充実させたほうがいいと思います。いぬさんが「山口」の項目を独立させるより、ここの記述をしていただけたらよいのでは。 --ねこぱんだ 2006年3月7日 (火) 01:21 (UTC)[返信]
ちょっとそれは勘違いされてると思います。タレント候補としては山口淑子だったのであり李香蘭ではない。李香蘭は山口淑子の一部ではあったが、山口淑子=李香蘭とはいえないので本項目は「山口淑子」として「李香蘭」を独立させてもよいというのが私の考えです。--いぬ 2006年3月7日 (火) 02:25 (UTC)[返信]
解明後の芸名・現在名を優先するなら「大鷹淑子」にすべきではないでしょうか。Red Star Belgrade 2006年3月7日 (火) 04:04 (UTC)[返信]

それならば、「山口」をメインにして、「李」はリダイレクトにすべきですね。「山口」としての芸歴もあるのなら、そちらが優先。「大鷹」は戸籍名ではありますが、「扇千景」も政治家としては「扇」であるべきなのと同じで、「山口」統一がよいのでは。 --ねこぱんだ 2006年3月7日 (火) 04:48 (UTC)[返信]

政治家としては「大鷹淑子」で活動されていたと思いますが。扇千景さんとはケースが違うのではないでしょうか。Red Star Belgrade 2006年3月7日 (火) 05:25 (UTC)[返信]

最近はどうか知りませんが、過去に「山口淑子」で活動していたことは確かですよ。 -- NiKe 2006年3月7日 (火) 05:37 (UTC)[返信]
過去にというか現在のところ最新刊である著書(2004年)は山口名義。議員時代に出した『李香蘭 私の半生』も山口名義ですからご本人の意識としても山口淑子でしょう。--いぬ 2006年3月7日 (火) 18:34 (UTC)[返信]
→「中日新聞社: 「(「靖国」を語る)傷つけた心癒やす努力を」(2005年8月14日)」Opponent 2006年3月7日 (火) 22:12 (UTC)[返信]

「大鷹」はなしという合意はできたと思います。あとは、

  • 「李」メインで「山口」リダイレクト
  • 「山口」メインで「李」リダイレクト
  • 両項目併存

のどれにするかということですね。わたしはこの議論から、「山口」メインがいいのではないかと思いますが。 --ねこぱんだ 2006年3月7日 (火) 23:06 (UTC)[返信]

参議院でで議長には「大鷹淑子君」で呼ばれてましたね。ただこの三つの名前の中ではいちばん知名度が低いですから「李香蘭」か「山口淑子」でいいとおもいます。どっちがいいか迷うようなら本名の「大鷹淑子」でいいんじゃないのということです。Red Star Belgrade 2006年3月8日 (水) 07:05 (UTC)[返信]

参議院は、選挙のときの名称ではなくて戸籍名でよぶのだときいた覚えがあります。コロンビア・トップさんは下村泰でしたし。選挙結果を報道する新聞(朝日ですが)は、1974年・1980年・1986年いずれも〈山口〉です。 --ねこぱんだ 2006年3月8日 (水) 08:03 (UTC)[返信]
元「李香蘭」の現「山口淑子」、というのが一般的な認識であったと思います。最近になって変わったというのでなければ、山口淑子メインで問題無いでしょう。 -- NiKe 2006年3月9日 (木) 00:46 (UTC)[返信]
「参議院は、選挙のときの名称ではなくて戸籍名でよぶのだときいた覚えがあります」に関しては、中山千夏さんの著書に、参議院議員になったとき氏名変更について裁判所への申し立てを余儀なくされた事情が書かれています。山口淑子さんも「山口」の名前で国会活動したいとお考えになったと思いますが、参議院では戸籍名を変えなければ無理なんです。

まず、本題を申し上げますならば、上に例として指摘いたしました中日新聞の記事をみても、ご本人が名乗る名前は、現在も「山口淑子」ですから、ご本人の意思を尊重するならば、そう表記すべきではないでしょうか。それゆえ記事名を「山口淑子」とし、「李香蘭」はリダイレクトにするのが原則だろうと思います(リダイレクトされていれば、わたくし自身はどちらでもこだわりませんが)。ところで、現在の記事に「本名は山口淑子」とありますが、これを戸籍名ととるならば誤りでしょう。けれども欧米流に考えればあながち間違いではないと思います。欧米では名前の変更は個人の権利の一つで、本名=Given nameではなく長期間の使用実績があれば名前の変更を認める国が多く、日本ほど厳格に変更を認めない国はむしろ少数派だと思います。ちなみに英語版では「大鷹」を採用し、Yoshiko Yamaguchi と Shirley Yamaguchi はリダイレクトになっています。これはこれで理解できます、訪米する際、パスポート記載の名前が当然「大鷹」になるからです。また中国語版は「李香蘭」を採用し、「山口淑子」はリダイレクトになっています。戦後も香港映画に出演した経歴があるわけですから当然でしょう。

さて、目下膠着状態に陥っている原因かもしれない問題として、いぬさまのご意見について申し上げます。「李香蘭」を別の記事にしたいとのお気持ちについては、なんとなくわかるような気がしました。けれども納得できません。同一人物ですし、しかも著書 『李香蘭私の半生』、『戦争と平和と歌 李香蘭心の道』、『次代に伝えたいこと 歴史の語り部李香蘭の半生』、『「李香蘭」を生きて 私の履歴書』は、いずれも「李香蘭」として生きた過去を持つ「山口淑子」さんがお書きになったものです。同一人物であるうえに、山口さんは過去の「李香蘭」を引きずって生活なさっている様子がうかがえます。自らが出演した国策映画を40年ぶりに見て、眠れなくなるほどうちのめされた山口淑子さん(中日新聞)と「李香蘭」を別の記事にするのは不自然ではないでしょうか。この二つの名前は密接不可分の関係にありますから「李香蘭は山口淑子の一部ではあったが、山口淑子=李香蘭とはいえない」とのご見解はちょっと理解に苦しむところです。ウィキペディアンの一人として、なるべく他者の冒険的試みに対し、足を引っ張るのはなるべく避ける方針にしておりますが、こと、このご見解には賛同いたしかねます。記事を別にして、「李香蘭の戦後については[[山口淑子]]を参照」、などとするのは、百科事典の記事として不親切という気がいたします。なるべく一つの記事でトータルな人間像を浮かび上がらせるべきだと思うからです。仮に、一つの記事にすると長過ぎる記事になりかねない、とのお考えならば十分長くなった時点で分割をお考えになってはいかがでしょう。乞御検討。御検討の上、別記事にする意義(もし必要ならば)を詳細に教えていただきたいと思います。よろしく。
- Opponent 2006年3月13日 (月) 15:27 (UTC)[返信]
失礼。理解に苦しむというご指摘も当然な書き方でした。山口淑子を分割することは毛頭考えていません。李香蘭という(作られた)中国の女優についての記事があってもいいかも知れない、といったらお分かりいただけるでしょうか。--いぬ 2006年3月13日 (月) 16:20 (UTC)[返信]
「山口淑子を分割することは毛頭考えていません」にひとまず胸を撫でおろしました。ちょっと心配しておりました。よかった。
- Opponent 2006年3月16日 (木) 15:52 (UTC)[返信]

では異論もございませんので、第三者のどなたかに、「李香蘭」→「山口淑子」の移動を、よろしくお願いいたします(特に急ぎません)。
- Opponent 2006年3月16日 (木) 15:52 (UTC)[返信]

移動しました。 --ねこぱんだ 2006年3月17日 (金) 01:11 (UTC)[返信]

データ追加について[編集]

2006年9月以降、細かいデータがいくつも追加されています。ありがたいことだとと感謝しております。ですがウィキペディアは実はデータベースではないんですよね。もちろんデータベースの役割を担っても一向に構わないんですが、できれば掲載するもののいくつかについて、本文記事(すなわち李香蘭の活動)に加筆しながらデータを追加していただけないでしょうか。あ、もちろん、その後に加筆なさるおつもりで追加なさっているならば、問題はございませんがちょっと懸念を感じました。それと、彼女はあまりにも多くの作品で出演なさっていますので、それらをすべて列挙するのはいかがなものかと思います。たとえば、現在 DVD などで観ることができる作品や国立の博物館などにフィルムが残されている作品ならば、箇条書きでよいと思いますが、そうではない作品あるいはフィルム自体が残っているかどうかすら疑わしい作品などについては、その旨言及し、ひとまとめにしてハイフンでつなぎ、字の大きさを小さくする形で簡略化していただく方がよいのではないかと思うのです。もちろん、現在観ることが不可能な作品でも歴史上大きな役割を果たした作品ならば、簡略化する必要はございませんけれども……でもそういった作品はさほど多くないと思います。
- Opponent 2006年10月9日 (月) 13:10 (UTC)[返信]

内容に関する疑問[編集]

戦後、国外追放になったが再度収容所に「9ヶ月間」軟禁されていた、という記述ですが、これだと1946年2月に帰国するというのは不可能です。帰国の時期が確かであれば、軟禁は長くても6ヶ月以内という事になると思うのですがどうでしょう?2007年2月12日 (月) 16:07 (UTC)

『李香蘭私の半生』(新潮社1987)の335~340頁に具体的な日付が書かれていたのでそれを参考に訂正しました。2007年3月23日 (金) 18:49 (UTC)

引用に関する疑問[編集]

本項の大部分が、「李香蘭 私の半生」からの引用あるいはまとめ直しで占められているように思えます。 この場合、 (1)著作権の侵害にはならないのか?(著作権者からの許可はもらっているのか?) (2)本人の回想をそのまま100%の事実として扱ってよいのか? という疑問が残ります。 --T-maru 2007年4月30日 (月) 16:09 (UTC)[返信]

蘇州夜曲について[編集]

中国では歌わないほうがいいみたいな話が書かれていますが、 そんな話は聞いたことがありません。根拠を示してください。 高々一個人の体験を一般的な話かのごとく記載するのはいかがなものかとおもいます。--以上の署名のないコメントは、59.138.21.15会話投稿記録)さんが 2007-7-22 08:29(UTC) に投稿したものです。


「1937年に卒業した。その後、奉天に住む幼なじみのロシア人であるリューバの母からの紹介を受け、イタリア人でオペラ歌手のマダム・ポドレソフのもとに通い、ここで声楽を習うようになった。」

と書いてあるが、自伝によれば、北京の学校へゆく前に、呼吸器が弱かったので、奉天でオペラ歌手のマダム・ポドレソフに声楽を習った。とある。またマダム・ポドレソフは、イタリア人ではなく、ロシア人。したがって、ロシアの歌も習った由である。