宮崎学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 文学 |
|---|
![]() |
| ポータル |
| 各国の文学 記事総覧 |
| 出版社・文芸雑誌 文学賞 |
| 作家 |
| 詩人・小説家 その他作家 |
| お知らせ |
| このテンプレートの解説ページができました。使用されるべき記事が決まりましたので一度ご確認ください。 |
宮崎 学(みやざき まなぶ、1945年10月25日 - )は、日本の評論家、ノンフィクション作家、小説家。京都府生まれ。
1996年10月、南風社より、『突破者』を発表。自らの特異な経歴を綴ったその著は、小版元からの出版でいっさい広告・宣伝していない[1]にも関わらず、1997年夏時点で15万部を売り上げるベストセラーとなる[2]。以来「元アウトローの作家(文化人)」ではなく「作家の看板をあげたアウトロー」の「生活者」[3]と称し、執筆活動を行っている。2005年には英語版『TOPPA MONO』も翻訳出版された。
「突破」(とっぱ)とは、関西で無茶者、突っ張り者のことである[4]。宮崎自身は「社会的なしがらみからいかに自由であるか、ということかもしれないんだけど、結果的にはしがらみの中で生きていかざるを得ない。だとすれば、しがらみの質の問題になる」「いわゆる近代民主主義的なしがらみじゃなく、動物としての人間としてのしがらみのなかにいる、ということ」「「動物たれ」というのが、突破者のひとつの原則になる」と述べている[5]。
目次 |
[編集] 来歴
京都伏見のヤクザ寺村組の初代組長を父に、博徒の娘を母に持った。父は京都府の南のいちばん端っこ、木津川沿いの綴喜郡井手村(いまの井手町玉水)の貧しい農家の次男坊であり、大正の終わりぐらいに京都に出てきて解体屋になった。戦後になってから中島源之介の中島会(のちに中島連合会)と正式に関わりをもって盃をうけ、ヤクザの世界に加わった。[6]
京都の名門・洛星中学校に入学したが、喧嘩が原因で退学[7]。1960年、15歳のとき、京大民青で元山村工作隊の指導者だった家庭教師に誘われて行った、10万人が参加した円山公園での安保闘争デモに触発され、また父親から、「結構な付き合いがあった」という戦前の共産党活動家山本宣治の話を聞き、マルクスなどを読みはじめる[8]。
その後、京都における共産党の中心的存在である谷口善太郎の元を訪れ、18歳で共産党に入党。宮崎は当時を振り返り「左翼はヤクザの猥雑で気ままな「侠」が純化された世界なんだと勝手に思い込んでいた。要するに、マルクス主義とヤクザをごちゃまぜにして両方もろともにやってやれと呑気に考えてたいた」「共産党とヤクザでは暴力も非合法もまるで質が違う。そうであっても、法に守られず暴力にさらされる状況下での行動の倫理、人間の事に処する処し方は共通しているのではないか、と思っていた。というよりも、ヤクザの侠をはたせないで何が左翼だ、それで革命ができるはずがない」「革命理論としてのマルクス主義、行動倫理としての侠、こいつを両方もっていればこわいものはない。ドンといってやろやないか!というわけである」と述べている[9]。
1965年早稲田大学入学。学生運動にあけくれ、授業には数回しか出ず、一単位も取得しなかったという[10]。1966年、大規模な無期限ストライキに発展した、学費値上げ反対・学生会館の管理運営権の獲得を掲げた早大闘争[1]に参加、また共産党系の秘密ゲバルト組織・あかつき行動隊の隊長に就任し、東大闘争で全共闘と対立した。
1969年早稲田大学卒業式ボイコットを企画・実行し、それがマスコミに大きく報じられ、共産党中央の逆鱗に触れ除名。もっともこのころには学生運動に乗れなくなっていて、未練や恨みめいたものはなかったという[11]。「もう多数派形成ゲームに乗るのはよそう。生涯一少数派でいいじゃないか。もう群れるのはよそう。どこまでいけるかわからないが、とにかく一人で行こう」「抽象的な観念に寄りかかって生きるのはよそう。どろどろした具体的な人間関係の中で肉感的に生きて行こう」「市井の、まつろわぬ一無頼として『太く短く』生きたっていいじゃないか。大きなものによりかかって生きるぐらいなら、そのほうがすっきりしていい」などと漠然と考えていた」と述べている[12]
1970年、株式関連を担当する週刊誌『週刊現代』のフリー記者(いわゆるトップ屋)となる。1975年、京都府内の家業の解体業「寺村建産」を継承して経営したが、ゼネコンへの企業恐喝容疑により指名手配され、1980年7月25日、京都府警に出頭・逮捕される。当時宮崎の学生時代からの知人大谷昭宏の手により、読売新聞紙上で同時進行形式で『企業恐喝を追う』というルポルタージュが連載、最初出頭・逮捕にあわせて7月25日夕刊に「逃亡中の容疑者の独占インタビュー」が掲載された。同年8月9日には処分保留のまま釈放されたが、逮捕の件により金融機関の信用を失い、取引を停止されて1980年10月25日に倒産、25億円もの負債を抱えた[13]。
1982年東京に戻り、「愚連隊の元祖・神様」と言われた万年東一の厄介になった[14]。1984年、グリコ・森永事件[2]が起きた際には「キツネ目の男」と酷似していたことなどから最重要参考人として事情聴取を受けたものの、キツネ目の男が目撃された1986年6月28日には都内の音楽大学の労組会議に出席していたアリバイがあったために逮捕を免れる[15]。
1987年バブルの際には、地上げを稼ぎの種とする。多額のキャッシュを不動産屋に手渡す際の模様を、若松孝二に密かに撮影してもらったこともある[16]。
1996年には『突破者』出版。ベストセラーとなる。
1999年、通信傍受法(盗聴法)に反対し、大々的な批判を展開(「'99年全記録」「国怪フォックス通信」など。またおなじく批判を展開しロビー活動を行っていた宮台真司とも対談を行っている[17])。さらに、成立後の12月8日、2001年までの時限政党として、通信傍受法廃止を目的に政治団体「電脳突破党」を結党し、自ら総裁となった。2000年の第42回総選挙では通信傍受法反対派候補を支援したほか、2001年の第19回参院選では、新党・自由と希望の公認を受け比例代表区より出馬。結果は落選し、同年8月15日に予定通り突破党を解党した。選挙前後、公安調査庁の協力者だったという批判もあった[18]。宮崎は『叛乱者グラフティ』(2002)の末尾に収められた「付論 キツネ目は「スパイ」か?」において反論を行っている[19]。なお、公安調査庁の協力者としての宮崎を担当していたのは、野田敬生であったと野田本人が明らかにしている[20]。野田は問題となった流出文書の作成時期(ちなみに宮崎が作家デビューする前である)は公安調査庁職員であり、文書流出があった2001年には公安調査庁を辞めてジャーナリストとなっていた。
当人は被差別部落の出身ではないが、著書『近代の奈落』(2002年、解放出版社・解放同盟の機関紙『部落解放』に当時連載された)で、父が京都府綴喜郡井手町の被差別部落の出身で、スリの頭目だったという父の知人の証言を紹介[21]。以来、自らを部落民と規定している。
2004年1月、部落解放同盟の出版部門である解放出版社から刊行された『「同和利権の真相」の深層』に寄稿。この本の中で、「公開討論やろうと申し入れたんやけど、逃げまわりよった」と虚偽事実を申し立ててジャーナリスト寺園敦史を中傷したとして、寺園から解放出版社と共に名誉毀損で提訴された(討論の申し入れも逃げた事実もなく、単純に人違いで誤解だという [3])。2005年5月19日、大阪地裁にて寺園の主張が一部認められ、宮崎側は敗訴した。
2005年12月の門真市議会議員戸田久和逮捕の時には、同胞であるという理由で強く議員を擁護した。2006年9月に経済学者植草一秀が痴漢容疑で逮捕された際にも擁護声明を出した。
2006年より、佐藤優、魚住昭らとメディア勉強会「フォーラム神保町」を運営。佐藤優とは『国家の崩壊』を共著で出版。佐藤が直接経験したソ連崩壊について聞き出している。
2007年12月10日、『警察の闇 愛知県警の罪』を出版する。当時 愛知県長久手町で起きた篭城発砲事件現場での裏事情や警察の不祥事や裏金、また全国詐欺事件ブームにのり逮捕された日本メンテナンスというリフォーム会社の逮捕にまつわる警察の失態など克明に書かれている。この本は、田原総一郎、魚住昭、佐藤優らが絶賛している。
2009年7月3日、林幹雄国家公安委員長が代表を務める「自民党千葉県第10選挙区支部」や藤井孝男自民党参議院議員の資金管理団体「藤井孝男後援会」に西松建設がダミーの政治団体「新政治問題研究会」名義で献金したことについて、「民主党の小沢一郎前代表側への献金事件と同じ構図で起訴されるべきだ」として、国沢幹雄元社長を政治資金規正法違反容疑で東京地検に告発した[22]。
[編集] 人物・思想
『突破者』は、グリコ・森永事件の「キツネ目の男」に酷似した最重要参考人Mという、センセーショナルな売出しであったが、基本には、異物が排除され、清潔な管理が実現されようとしている、「スーパーフラットな社会」[23]に対する対抗がある[24]。宮崎はその「清潔な管理」的発想を「デオドラントな思想」とも呼んでいる。宮崎は「笑止千万な喩えであるが、要するに、この本は私の『風とともに去りぬ』なのである。むろん、スカーレットやレッド・バトラー的人物は一切登場するはずもなく、顔を出すのはただならぬ形相をした男たちばかりである。このスマートでデオドラントな時代と折り合いを付けられない男たちでもある。だが、彼らと彼らがいた光景は、私にとっては、滅びつつある哀切な「南部」でもあるわけだ」と述べている[25]。
そしてその「スーパーフラットな社会」の中でどのように「個から出発したネットワークという新たなかたちでの兄弟意識のありかを実証」[26]するかを問うている。それは以後の著作の一貫した通奏低音であり、『近代の奈落』(2002 解放出版社2005 幻冬舎アウトロー文庫)、『法と掟と』(洋泉社2005)、『近代ヤクザ肯定論ー山口組の90年』(2007 筑摩書房)に特に現れている。部落民の運動を扱った『近代の奈落』において宮崎は、「クリーンな支配、クリーンな運動のほうがいかがわしい。生活の幅を知っている支配、猥雑な運動のほうがまっとうである」[27]と述べている。なお、宮崎によれば『近代ヤクザ肯定論ー山口組の90年』は、「『近代の奈落』とまったく連続している」[28]。
また、宮崎はその視点とその経験から、中国の民衆レベルでの相互扶助を担っている幇的ネットワークにも、注目している[29]。
なお、『近代の奈落』は文庫版に姜尚中と宮台真司が解説を寄せ、『法と掟と』は柄谷行人が書評を寄せている。
宮台真司は、「米国流グローバル化(ファーストフード!)がもたらす過剰流動性に抗う運動が、スローフードやスローライフの名で呼ばれ、欧州主義の柱の一つを構成する。オルタナティブな近代を志向するこうした価値観は、様々な場所で述べたとおり、亜細亜主義を嚆矢としよう。(・・・)「平らな場所」で「透明な存在」となることに抗って弱者の自立的相互扶助の美風を残そうとする、宮崎学氏が主張される昨今の被差別民的立論は、匂いのあるパトリ(郷土)を護持するべくオルタナティブな近代を推奨する亜細亜主義(や欧州主義)と、ここでも通低する」と評している[30]。
柄谷行人は『法と掟』書評[4]において、「掟とは個別社会の規範である。「個別社会」は家族、村、労働組合、同業者組合、経済団体といった基礎的な集団であるが、著者はそれを「仲間内」と呼ぶ。そこには、相互扶助(互酬)的であるとともに内部で共有する規範がある。それが「掟」である。一方、「全体社会」は国民国家のように抽象的な集団であり、そこで共有される規範が「法」である 通常、社会は、個別社会の掟で運営されており、掟ではカバーできないときに法が出てくる。ところが日本社会では、そういう関係が成り立たない。掟をもった自治的な個別社会が希薄であるからだ。著者によれば、その原因は、日本が明治以後、封建時代にあった自治的な個別社会を全面的に解体し、人々をすべて「全体社会」に吸収することによって、急速な近代化をとげたことにある。(・・・)日本は自治的な個別社会を解体したために、国民国家と産業資本主義の急激な形成に成功したが、それは、今やグローバル化の中で通用しなくなっている。それに対して、中国では個別社会——幇(バン)や親族組織——が強く、それが国民(ネーション)の形成を妨げてきた。しかし、逆に、今日のグローバル化において、国境を超えた個別社会のネットワークが強みとなっている。著者は、若い人たちに個別社会の形成をすすめている。そのためには個々人が「世間」の規範から出なければならない。」と述べている。
家父長的・男性中心的原理に基づいているというイメージもあるが、「僕の本を女性で一番最初に評価したのは田嶋陽子だった」[31]という。
学生時代からの友人に、朝倉喬司、大谷昭宏、呉智英などがいる。また西原理恵子(漫画家)の本にもたびたび登場している。
[編集] 著書
- 突破者
- 突破者の条件
- 突破者それから
- 不逞者
- 突破者列伝
- 喧嘩の極意
- オウム解体 宮崎学vs上祐史浩
- カネに死ぬな掟に生きろ
- 近代の奈落
- 地下経済―この国を動かしている本当のカネの流れ
- 近代ヤクザ肯定論 山口組の90年
- Toppamono: Outlaw. Radical. Suspect. My Life in Japan's Underworld (2005, Kotan Publishing, ISBN 0970171625)
- 警察の闇 愛知県警の罪
- 松崎明秘録
- その男、保釈金三億円也。
- マリコ TAKE OFF!
[編集] 脚注
- ^ >『反・市民講座』リトルモア2000p44参照
- ^ 『反・市民講座』リトルモア2000p22宮崎学インタビュー参照
- ^ 『近代の奈落』幻冬社p478参照
- ^ 『突破者』p232参照
- ^ 『「反・市民」講座』リトルモア2000p16宮崎学インタビュー参照
- ^ 『ヤクザと日本―近代の無頼』62-63頁
- ^ 『突破者』39-41頁。
- ^ 『突破者』PP54-57
- ^ 『突破者』P81
- ^ 『突破者』p90
- ^ 『突破者』p187
- ^ 『突破者』pp187-188
- ^ 『突破者』p304
- ^ 『突破者』pp324-325参照。宮崎学は万年を題材とした『不逞者』『万年東一』を著している。
- ^ 「特集2: 私がキツネ目の男だった!!グリコ・森永事件の総括対論ー宮崎学vs朝倉喬司」、『噂の真相』1985年10月号。
- ^ 『突破者それから』p96参照
- ^ 『反・市民講座』収録
- ^ 『「公安調査庁スパイ工作集」』 社会評論社編集部編、社会評論社、2001年8月20日。ISBN 4-916117-46-8。
- ^ 『叛乱者グラフティ』2002、朝日新聞社pp219-232
- ^ 月刊「創」編集部「公安調査庁「工作日誌」暴露の衝撃と波紋」、『月刊「創」』2001年10月号、創出版。
- ^ 『近代の奈落』幻冬舎アウトロー文庫pp450-451
- ^ 国家公安委員長に狙いを定めた
- ^ 『近代やくざ肯定論』2007 筑摩書房P360
- ^ 『突破者』最終章「葬られたたまるか」参照
- ^ 『突破者』P 457参照
- ^ 『近代の奈落』幻冬舎アウトロー文庫P470
- ^ 『近代の奈落』p462
- ^ 『近代ヤクザ肯定論ー山口組の90年』p395
- ^ 『近代やくざ肯定論』PP 378-379
- ^ 『近代の奈落』文庫版解説p507 宮台真司の「亜細亜主義」に関しては『亜細亜主義の顛末に学べ―宮台真司の反グローバライゼーション・ガイダンス』(実践社 2004年)参照。
- ^ 『「反・市民」講座』p252 他に「宮崎学が書くような男がいる世の中だったら、わたしはこんなふうになっていない」「男が男じゃなくなったから、わたしはイヤなのよと」いう言及がある。
[編集] 参考文献
- 津村洋 米沢泉美 富永さとる 社会批評社 キツネ目のスパイ宮崎学―NGO・NPOまでも狙う公安調査庁 2002年 ISBN 978-4916117519
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Lunch with the FT: Manabu Miyazaki (英語。フィナンシャル・タイムズ2008年8月21日。 同日本語訳 @ 宮崎学公式サイト)


