グリコ・森永事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
グリコ・森永事件
場所 兵庫県大阪府
標的 江崎グリコ
丸大食品
森永製菓
ハウス食品
不二家
駿河屋
日付 1984年昭和59年) - 1985年(昭和60年)
概要 脅迫事件
誘拐事件
攻撃手段 青酸
攻撃人数 不明
犯人 不明
謝罪 無し

グリコ・森永事件(グリコ・もりながじけん)は、1984年昭和59年)と1985年(昭和60年)に、阪神を舞台として食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件である。警察庁広域重要指定114号事件。犯人が「かい人21面相」と名乗ったことから、かい人21面相事件などとも呼ぶ。 2000年(平成12年)2月13日に愛知青酸入り菓子ばら撒き事件の殺人未遂罪時効を迎え、全ての事件の公訴時効が成立し、警察庁広域重要指定事件では、初の未解決事件となった。

概要[編集]

1984年3月の江崎グリコ社長を誘拐して身代金を要求した事件を皮切りに、江崎グリコに対して脅迫や放火を起こす。その後、丸大食品森永製菓ハウス食品不二家駿河屋など食品企業を次々と脅迫。現金の引き渡しにおいては次々と指定場所を変えたが、犯人は一度も現金の引き渡し場所に現れなかった。犯人と思しき人物が何度か目撃されたが逃げられてしまったため、結局正体は分からなかった。

その他、1984年5月と9月、1985年2月に小売店で青酸入り菓子を置き、日本全国を不安に陥れた。

1984年4月12日に警察庁広域重要指定事件に指定された。

2000年(平成12年)2月13日に東京・愛知青酸入り菓子ばら撒き事件の殺人未遂罪が時効を迎え、全ての事件の公訴時効が成立。警察庁広域重要指定事件としては初めて犯人を検挙出来なかった未解決事件となった。

2005年(平成17年)3月に除斥期間(民法第724条)が経過し、民法上の損害賠償請求権が消滅した。

企業への脅迫状とは別に報道機関週刊誌などに挑戦状を送りつけ、毒入り菓子をばらまいて社会一般を騒ぎに巻き込んだことで、評論家の赤塚行雄から劇場型犯罪と名付けられた[1]。同時期に世間を騒がせた三浦和義ロス疑惑とともに当時の世相として振り返られることも多い[2]

一連の事件[編集]

江崎グリコ社長誘拐事件[編集]

1984年3月18日午後9時頃、兵庫県西宮市江崎グリコ社長・江崎勝久(当時42歳)の実母(当時70歳)宅に拳銃空気銃を構えた2人の男が勝手口を破って押し入り(家の外には車の運転手役の男がおり、犯行は3人組の男が実行している)、同女を縛り上げて社長宅の合鍵を奪った。2人組はそのまま隣家の社長宅の勝手口から侵入、社長夫人(当時35歳)と長女(当時7歳)を襲い、2人を後ろ手に縛って脇のトイレに閉じ込めた。その後、2人の男は浴室に侵入。長男(当時11歳)、次女(当時4歳)と入浴中だった社長を銃で脅し、全裸のまま誘拐した。夫人はこの後、自力でテープをほどいて110番通報。

翌3月19日1時頃、大阪府高槻市の江崎グリコ取締役宅に犯人の男から指定の場所に来るよう電話がかかる。取締役が指定場所に向かうと、社長の身代金として現金10億円と金塊100kgを要求する脅迫状があった。

この段階から、兵庫県・大阪府にまたがる重大事案として、兵庫県警察本部・大阪府警察本部による合同捜査体制が始まる。その後、犯人の男から電話がかかり別の指定場所に身代金を持って来るよう要求したが、結局犯人は現れなかった。犯人グループが要求した現金10億円は高さ9.5メートルで重量は130kg、これに加えて金塊100kgでは運搬が困難であり、合同捜査本部ではどこまで犯人グループが本気で要求していたのかいぶかる声もあったが、要求に従ってグリコはそれらを用意した[3]。その他に身代金目的の誘拐としては不可解な点として、社長の母や社長夫人が犯人に対して「お金なら出します」と言ったにもかかわらず「金はいらん」と犯人が答えたこと[4]、身代金誘拐が目的なら抵抗される可能性が少ない7歳の社長長女を誘拐するほうがリスクが少ないのにわざわざ成人男性である江崎を誘拐しているなどが存在して、金目的ではなく怨恨が犯行の原因という説の根拠となった。

その後、誘拐事件は急展開する。事件3日後の3月21日14時30分ごろ、国鉄職員から110番通報を受けた大阪府警茨木警察署によって江崎が保護された。江崎の供述によると、大阪府摂津市東海道新幹線車両基地近くを流れる安威川沿いにある治水組合の水防倉庫から自力で抜け出したとされ、大阪貨物ターミナル駅構内で保護された[5]

江崎グリコ脅迫事件[編集]

1984年4月2日に、江崎宅に差出人不明の脅迫状が届く。内容は4月8日に指定場所へ現金6000万円を持ってくるよう要求。脅迫状には塩酸入りの目薬の容器が同封されていた。4月8日に現金受け渡し指定場所に警察が張りこむも、犯人は現れなかった。

4月8日には、犯人グループから大阪の毎日新聞サンケイ新聞へ手紙が届く。マスコミ宛に世間一般への公開を前提とした初めての挑戦状だった。手紙には無署名で封筒の差出人名は江崎の名前を使っていた[6]

4月23日、江崎グリコに1億2000万円を要求する脅迫状が届く。現金受渡し日は4月24日に指定されていたが、レストランから高速サービスエリア、電話ボックスと現金を受け渡す運転手をたらい回しにし、犯人は現金受け渡しに現れなかった。

同日にはマスコミ宛の2回目の挑戦状が送られており、これ以後、犯人グループは「かい人21面相」を自称するようになる。このネーミングは江戸川乱歩の小説『少年探偵団』シリーズに登場する怪人二十面相に由来するものとみられる[7]

5月31日、江崎グリコに3億円を要求する脅迫状が届く。6月2日に摂津市内のレストランの駐車場に3億円を積んだ車を置くことを指示。6月2日、大阪府警察本部刑事部捜査第一課特殊事件係は30人体制で犯人を待ち受けた。少し走ればエンストするよう細工した車を駐車場に置き、周辺には特殊事件係が展開した。午後8時45分頃、駐車場に不審な男が現れ、そのまま車に乗りこむ。しかし、すぐにエンストを起こし、特殊事件係の捜査車両数台に包囲され、男は取り押さえられた。しかし、男は犯人から脅されて、駐車場の車に乗って別の指定場所まで運転するよう指示されただけで事件とは無関係と判明(後述の寝屋川アベック襲撃事件を参照)。特殊事件係の刑事数人は男が行く予定だった指定場所に捜査車両を急行させると、不審車両1台が走り去ろうとしたため追跡。ところが、国道1号線の交差点で見失ってしまう。

6月26日、犯人グループからマスコミに挑戦状が届き、「江崎グリコゆるしたる」と江崎グリコへの脅迫収束宣言をする。この挑戦状で犯人グループは「ヨーロッパへ行く。来年1月に帰ってくる」と国外逃亡を示唆していたが、後日別の挑戦状で「警察がうるさくていけなかった。もうすぐ一仕事してから行くつもりだ」と述べ、国外逃亡を事実上断念している。

江崎グリコ本社放火事件[編集]

1984年4月10日20時50分頃、大阪府大阪市西淀川区の江崎グリコ本社で放火が発生。火元は工務部試作室であり、火は棟続きの作業員更衣室にも燃え移り、試作室約150m²は全焼。

21時20分、本社から約3km離れたグリコ栄養食品でも車庫に止めてあったライトバンが放火される。こちらはすぐに消し止められた。犯人はガソリンの入った容器に布を詰めたものに火をつけていた。

出火の直後には、帽子を被った不審な男がバッグを抱えて逃げるのが目撃されている。

1984年4月22日の挑戦状から、犯人グループがかい人21面相を名乗り出す。

兵庫青酸菓子ばら撒き事件[編集]

1984年5月10日に毎日新聞、読売新聞、サンケイ新聞、朝日新聞の4社にかい人21面相から「グリコの せい品に せいさんソーダ いれた」と挑戦状が届いた。

さらに挑戦状には全国にばら撒くとの予告があり、挑戦状の終わりには「グリコを たべて はかばへ行こう」とまで書かれていた。その事態を受けて大手スーパーはグリコ製品の撤去を始めた。

寝屋川アベック襲撃事件[編集]

1984年6月2日、グリコ脅迫事件において指定されたレストランの駐車場より約2.8km離れた寝屋川市で、商事会社に勤める22歳男性と同僚で恋人の19歳女性が車でデートしていた。しかし、停車中に20時15分頃に男三人組に襲われる。22歳男性は元自衛官で腕力に自信はあったが、男三人組に顔や頭を殴られ抵抗できなかった。男三人組は無抵抗となった22歳男性を車に押し戻し、黒い布袋をかぶせた。

一人は別の車に19歳女性を連れ去り、残る2人組が22歳男性の車に乗りこみ、22歳男性にグリコ脅迫事件において指定されたレストランの近くまで運転しないと女性の命を保証しないと脅迫され、犯人の言われるままに行動。レストランの近くまで運転すると、駐車場にある車に乗り込んで降ろされ、駐車場の車に乗って別の指定場所まで運転するよう指示された。その後、この22歳男性は大阪府警刑事部捜査一課特殊事件係に犯人と誤認され身柄を確保されたが、誤認逮捕されずにすぐに放免された。

一方、19歳女性は別の車に乗せられ、21時半頃に降ろされた。19歳女性は犯人からタクシー代として2000円を渡されている。

6月3日未明、22歳男性の車が寝屋川市の神社の参道に乗り捨ててあるのが発見された。

丸大食品脅迫事件[編集]

1984年6月22日、大阪府高槻市の丸大食品に脅迫状が届く。 内容は「グリコと同じ目にあいたくなかったら、5千万円用意しろ」というものだった。 犯人はこの裏取引に応じる合図としてパート従業員募集の新聞広告の掲載を求め、高槻市の常務宅に現金をボストンバッグに用意して待機するよう要求。 大阪府警に通報した丸大は要求を呑むことにした。

1984年6月28日20時3分、犯人からの電話があった。女性による録音で指定場所に来るよう指示。 大阪府警刑事部捜査一課特殊事件係の刑事7人が丸大社員になりすまして指定場所に行くと、国鉄高槻駅で指定する時間の京都駅行き電車に乗って左側の窓に白い旗が見え次第車窓から金を詰めたボストンバッグを投げ落とせと指示するタイプ文字の指示書があった。 刑事はボストンバッグを投げ落とさず高槻駅から終点の京都駅まで乗ることになった。

刑事の1人は不審な男を発見。 キツネ目の不審男は丸大社員役の刑事を見張っていた。 さらに刑事達が乗った帰りの電車に、キツネ目の男が乗り込む。 刑事達はキツネ目の男を警戒する。 しかし、現金受渡し時に現行犯逮捕して犯人グループを一網打尽にする方針を採っていた捜査本部は、刑事に逮捕権限を与えず、命令があるまで接触しないよう行動を制限していたため、それ以上のことはできなかった。 結局、キツネ目の男は駅を下りると改札口を出た後の雑踏に紛れ、刑事はキツネ目の男の姿を見失った。 なお、電車内には無線機を携帯する男も確認されている[要出典]

7月にも丸大食品取締役宅に現金を要求する脅迫状が届く。 7月6日午後8時7分、子供の声の録音で指定場所に来るよう指示。 指示場所は4回にも及び、最後の指定場所に現金を詰めたバッグを置くよう指示があったが、結局犯人は現れなかった。

森永製菓脅迫事件が発覚した後の11月になって犯人がマスコミへの手紙に高槻市の食品会社を脅迫したとし「わるでもええ かい人21面相のようになってくれたら」と丸大食品のキャッチコピー「わんぱくでもいい たくましく育ってほしい」をもじった言葉を使ったことで、犯人が丸大食品への脅迫したことが暴露されたため、丸大食品への脅迫が世間に知られるようになった。

森永製菓脅迫事件[編集]

1984年9月12日朝、大阪府大阪市の森永製菓関西販売本部に数千万円を要求する脅迫状が届く。脅迫状には「グリコと同じめにあいたくなければ、1億円出せ」「要求に応じなければ、製品に青酸ソーダを入れて 店頭に置く」と書かれており、青酸入りの菓子が同封されていた。脅迫状には、グリコが犯人グループに6億円を支払ったと書かれていたが、真偽のほどは定かではない。

9月18日に犯人から関西支社に電話があり、子供の声で現金の受渡し場所を指定したものの録音を同じ内容を5回繰り返した。その後、指定場所に行くと別の指定場所で現金を置くよう指示があり、現金を置くも、犯人は姿を現さなかった。この電話は10月11日に一般に公開された。

二府二県青酸入り菓子ばら撒き事件[編集]

1984年10月7日から10月13日にかけて、大阪府、兵庫県、京都府、愛知県のスーパーから不審な森永製品が発見された。

「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」と書かれた紙を貼った森永製品が置かれており、菓子の中に青酸ソーダが混入されていた。青酸入り菓子は13個発見された。

この間の10月8日には阪急百貨店などにも森永製品を置かないよう要求する脅迫状が届いた。この脅迫状の中では「わしらに さからいおったから 森永つぶしたる」とまで宣言している。

10月15日にはNHK大阪放送局が青酸ソーダの錠剤を送りつけられた。新聞各社への挑戦状にはこの青酸ソーダで何人殺せるかというクイズを出し、「賞品」は青酸入り森永製品、「宛先」は「刑死ちょう そうむ部きかく課長」(原文のまま)と記されていた。

ハウス食品脅迫事件[編集]

1984年11月7日、ハウス食品工業(現ハウス食品)総務部長宅に脅迫状が届く。浦上郁夫社長の宛ての脅迫状は現金1億円を要求する内容で、受渡し日は11月14日、場所は京都市伏見区のレストランというように指定されており、別の脅迫状には青酸ソーダ混入のハウスシチューが同封されていた。

11月14日、指定されたレストランの駐車場には1億円を積んだ車を待機させ、車内にはハウス社員に変装した大阪府警刑事部捜査一課特殊事件係の刑事が、周囲には京都府警察本部刑事部の刑事が多数配置された。

20時20分、脅迫状の予告どおり犯人からの総務部長宅に電話連絡がかかる。女の子の声の録音で受渡し場所を指定。これを機に合同捜査本部は大阪・京都に刑事を多数配置した。指定場所へ行くと別の場所を指定するメモが残されており、場所変更は4回繰り返された。この間、名神高速道路京都南インターチェンジ付近で、警戒中の京都府警の刑事がキツネ目の男を発見し、合同捜査本部に報告する[8]。この日、キツネ目の男は3回にわたって刑事に目撃される。幾度かの場所変更指示によって、現金を乗せた車が大津サービスエリアに向かった。

滋賀県警察本部には合同捜査本部から現金授受への捜査共助を要請されていたが、「名神高速道路エリア内は大阪府警特殊事件係を配置するので、滋賀県警は名神高速道路に入らないように」と言われていた。しかし、滋賀県警刑事部捜査一課は突発事案に対応すべく刑事2人を大津サービスエリアに配置する。そして大津サービスエリアに配置された刑事はキツネ目の男を発見する。キツネ目の男は尾行点検をしたり、ベンチに何かを張り付けるなどの特異動向があったものの、職務質問などは禁じられていたため、刑事はそのまま撤収したという[9]

滋賀県警の刑事が撤収した後、大津サービスエリアに到着した大阪府警の刑事は現金輸送車の様子を伺う不審者を目撃する。不審者の人相は、丸大脅迫事件に目撃されたキツネ目の男と一致。しかし刑事に尾行や職務質問する権限を与えられていなかったため、キツネ目の男はそのまま一般道路の方へ去って行った。

現金輸送車は指示通り草津パーキングエリアへ向かった。そこで、「名古屋方面に向かい、白い布が見えたら、白い布の下の缶に入れた指示書を見ろ」という指示書を受ける。現金輸送車が到着するよりも先に、白い布が草津パーキングエリアから東へ5kmの地点の道路脇の防護フェンスに取り付けられているのが発見された。道路管理局の巡回記録によると、14日20時50分から21時18分の間に取りつけられたものと判明。しかも白い布がつけられた防護フェンスの付近には無線通信が不能の場所があったため、合同捜査本部にとっては最悪の展開となる。その場所は、県道川辺御園線が交差していた。合同捜査本部はこの県道と名神の交差部分を封鎖したが、問題の空き缶がなかった。犯人らしい男も姿を見せず、22時20分に捜査は打ち切られた。

一方、白い布があった場所の付近で、パトカーでパトロールをしており一連の事件捜査を知らない滋賀県警の所轄署外勤課員が、夜なのに無灯火の不審な白いライトバンを発見。外勤課員が職務質問するために白のライトバンに駆け寄り懐中電灯を照らすと、運転席に男がいた。しかし、白のライトバンは急に発進。白のライトバンはパトカーと激しいカーチェイスを繰り広げパトカーを振り切った。21時25分、白いライトバンが発見されたが、男の姿はなかった。白いライトバンは11月12日に盗難された車と判明した。パトカーが不審車の前方をふさぐように停車せずに、横付けしたことを失策と指摘する論調もあった[10]。取り逃がした外勤課員は責任を取って後に辞職した[11]

11月19日、ハウス食品工業課長に脅迫状が届く。11月14日の現金輸送車を監視状況が書かれていた。今は森永相手にしており、暇になったら連絡するとも書かれており、事実上の脅迫休止宣言とも受け取れた。

12月11日、パトカーの乗員3人の証言を元に作成された不審車両の運転手の似顔絵が公開された[12]

不二家脅迫事件[編集]

1984年12月7日不二家の労務部長宅に脅迫状が届く。脅迫状にはテープと青酸ソーダが同封されていた。

12月15日、不二家の労務部長宅に脅迫状が届く。12月24日に大阪梅田の百貨店屋上から2000万円ばらまくことを要求。不二家は従わなかった。

12月26日、東京のスーパー社長宅に脅迫状が届く。1月5日に不二家に池袋のビル屋上から2000万円ばらまくことを要求。不二家は従わなかった。

1985年1月11日に不二家脅迫事件が初めて報道され、かい人21面相が不二家を脅迫していたことが明らかとなった。

なお事件発生直前の12月4日にアマチュア無線の7MHz帯オフバンド(指定範囲外の周波数)にて「21面相、こちら玉三郎」「クスリは用意できたか」「ひと、ふた、ひと、ろく(12月16日のことか?)、航空券が往復確実に取れてR6(アマチュア無線での沖縄郵政管理事務所(現沖縄総合通信事務所)の地域番号か?)へ行く場合は日帰りで必ずアシがつかないように戻ってくるように」「不二家はやっぱり金払わんちゅうとんのけ」「不二家あきらめたほうがええわなこりゃ」などいう「21面相」と「玉三郎」を名乗る2人の通信が北海道岩内郡のアマチュア無線家によってたまたま傍受録音された(北海道テープ)。捜査本部は犯人グループの可能性が高いと判断して、捜査が行われ[13]、一部はマスコミ向けに公開された。

東京・愛知青酸入り菓子ばら撒き事件[編集]

バレンタインデー直前の1985年2月13日に報道機関にバレンタインデー粉砕を主張する挑戦状が届く。これと前後して東京都と愛知県で「どくいり きけん」と書かれたラベルが貼られた青酸入りチョコレートが相次いで発見される。青酸の入ってないものには「どくなし あんしん」と書かれていた。この事件では、脅迫の対象となったことのあるグリコ、森永、不二家のものに加えて、明治製菓ロッテのチョコレートもばらまかれていた[14]

駿河屋脅迫事件[編集]

1985年2月24日、マスコミに森永製菓への脅迫を終結させる休戦状が届いた。

その直後の3月6日和歌山県の老舗和菓子会社の駿河屋に5000万円を要求する脅迫状が届く。

しかし、3月8日に犯人から現金受渡しを延期する旨の通告が届く。その後、犯人から駿河屋への連絡はなかった。

事件の終息[編集]

1985年8月7日、ハウス食品事件で不審車両を取り逃がした滋賀県警本部長が自身の退職の日に本部長公舎の庭で焼身自殺をする。遺書は残されていないが、一般に失態の責任を取ったと解釈されている[15]。ハウス食品事件の失態の責任を全て負わされたことに抗議するための自殺だったとする説もある[要出典]。本部長はノンキャリアからの叩き上げであった。

8月12日、犯人側から「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」との終息宣言が送りつけられた。理由は、その5日前に自殺した滋賀県警本部長への香典代わりというものだった。

脅迫状の届いた会社の一つであったハウス食品工業社長の浦上郁夫はこの事件の終息を同社の創業者・前社長であり父親にあたる浦上靖介の墓前に報告するために8月12日に日本航空123便に搭乗し、日本航空123便墜落事故に巻き込まれこの世を去った。

この終息宣言の後完全に犯人の動きがなくなった。

1994年(平成6年)に江崎グリコ社長誘拐事件が公訴時効になり、捜査本部の体制は大幅に縮小される[16]

さらに2000年2月13日0時に東京・愛知で青酸入りの菓子をバラまいた2件の殺人未遂事件とこれにかかわる28件すべてに公訴時効が成立した。

事件の捜査に関わった捜査員の延べ人数は130万1千人、捜査対象は12万5千人と言われる[17]

関連事件[編集]

53年テープ[編集]

事件発生の6年前の1978年(昭和53年)8月17日にグリコに金を要求するテープがグリコ常務に送られた事件である。1時間弱のテープの内容は部落解放同盟幹部を名乗る初老の男性の声で、送り主の男は過激派の学生が江崎の誘拐、グリコへの放火、青酸入り菓子のばら撒きなどを犯行と引き換えにグリコに対して3億円を要求する計画を立てているとし、これらの犯行を抑えられないまでも3億円の要求額を1億7500万円に減額できるとして金を要求し、応じるなら指定した手法の新聞広告を出すこととなっていた(グリコは応じなかった。)。江崎の誘拐、グリコへの放火、青酸入り菓子のばら撒き、連絡に新聞広告を使うなど、後のグリコへの犯行を予告するような内容であった[18]

このテープが届く2年前から、江崎グリコ常務宅に黄巾族と名乗る人物が手紙や電話で脅迫を続いていたという[19]

グリコ・森永事件の捜査本部はこの送り主の男をグリコ・森永事件の犯人グループの一味と断定して、犯人グループの一員と目された人物の声紋鑑定の材料にした。同時にこのテープの存在が犯人グループの過激派説の一因ともなった[20][21]

1993年(平成5年)末に兵庫県警が53年テープを1分ほどに編集して公開した[22]

ニセ夜間金庫事件[編集]

1973年(昭和48年)に大阪で起きた大阪ニセ夜間金庫事件もグリコ・森永事件と関係があるのではないかと取り沙汰された。1984年9月18日に森永に1億円を要求した際、マンホールの上に置いた衣装箱の底から1億円を奪取するというトリックじみた手口がニセ夜間金庫事件と類似しているというものであった[23][24]

事件の特徴[編集]

単なる誘拐事件と最初は思われていたが、大手食品会社が次々と脅迫され、実際にシアン化ナトリウム入りの食品がばら撒かれるなど、当時の社会に与えた影響は計り知れないものがあった。企業への脅迫状とは別に、挑戦状を新聞社や週刊誌に送りつけ、その内容は「けいさつの あほども え」など、警察をあざ笑うような内容が多く、自分達の遺留品の細かい出所まで書いたり、失態の責任を取って焼身自殺した滋賀県警本部長(ノンキャリアながら本部長まで出世した人物であった)を「男らしゅうに」と表現し、それと対比させてキャリア出身の責任者を貶めたりするなどしていた。

犯行の際の遺留品の多さにもかかわらず、遺留品が大量に、広範に流通された商品なので犯人の特定には至らなかった。犯人グループの車両から採取されたELと呼ばれる特殊な電子部品の削りカスの廃棄物から捜査が行われたが、犯人に結びつく成果は得られなかった。なお、犯人も終息宣言の後は一切活動をしていない。警察発表では、犯人は何も得てはいないということになっているので、一連の犯行の目的が何であったかは不明のままである。前述の通り、犯人側は1984年9月12日に森永製菓に送りつけた脅迫状の中で、グリコは6億円を支払ったとほのめかしているが、グリコをはじめとする被害にあったメーカーは犯人側への金の支払いを否定している。一説には、脅迫を受けた企業の株価が乱高下しており、それにより利益を得た、あるいは株価の操作そのものが目的だったとする説もある。

脅迫事件において検挙の手がかりとなることの多い犯人と被害者との接触では、児童に要求を伝える電話をかけさせたり、現金の授受に当たって無関係な市民を拘禁・脅迫の上受取り役に仕立てるといった、従来の常識からは想定外の手口を使い、これも捜査を困難なものにした。企業から犯人への連絡手段に対しては、犯人が企業に対して要求に応ずる合図として指定された方法での新聞広告を出すことを要求していたことが明らかになっている。

遺留品と同型のアマチュア無線機(八重洲無線FT-208)。簡単な改造で容易に警察無線を傍受できた。

犯行の際に、犯人グループにより警察無線傍受されていた。当時の警察無線は、周波数さえ合わせれば一般人でも容易に傍受が可能なFMアナログ)方式が主流であり、受信機器も簡単に入手できた。この事件を契機に既に警視庁で一部導入が始まっていた傍受されても会話の内容が分からないよう暗号化されたデジタル方式への早期の全面移行を進めるきっかけにもなった。 グリコ・森永事件の捜査においては、警察は傍受を警戒して、当時、警視庁に数台しかなかったデジタル方式の警察無線で連絡を取っていた。

警察が殺人未遂事件として捜査したシアン化ナトリウム入り食品に関しても、『シアン化ナトリウムが入っていた食品には必ず「どくいり きけん たべたら しぬで」の紙が張られていたのでその罪状が当てはまらないのではないか?』とする意見がある。この点の不備を補うべく、グリコ法こと流通食品への毒物の混入等の防止等に関する特別措置法が制定された。

犯人は1年半の間に、警察には挑戦状、企業と報道機関に脅迫状と挑戦状計144通を出している。

結果として毒入り食品による死者は発生せず、誘拐放火などにより命を落とした人もいなかった。 犯人は同時期に世間を騒がせていた警察庁広域重要指定115号事件ロス疑惑についても言及をしている。

犯人像の推測[編集]

この事件の犯人者については、 「北朝鮮工作員」、 「大阪ニセ夜間金庫事件の犯人」、総会屋、株価操作を狙った仕手グループ、元あるいは現職警察官[25][26][27] 、「元左翼活動家」[28][29][30][31]、各種の陰謀説など多くの説があり、未だに議論は尽きていない。キツネ目の男と呼ばれる不審者の似顔絵も作成された。

事件当時大阪府警本部長だった四方修は、昭和一桁世代のリーダーに実行犯グループが3,4人で女も含まれるグループと見ていた[17]

元グリコ関係者説[編集]

江崎家やグリコの内部事情に犯人グループが通じていたことから出た説である。

具体的には江崎誘拐の実行犯が江崎の長女の名前を呼んだこと、江崎誘拐における身代金要求の脅迫状で社長運転手の名前を名指ししたこと、世間一般に殆ど知られていないグリコの関連会社を知っていたこと、江崎を水防倉庫に監禁した時に江崎に着せていたコートが戦前から戦中にかけての江崎グリコ青年学校のものと似ていたこと、グリコがすぐ10億円を用意できることを知っていたことなどである。他にも人質を取ったり放火したりしたことや、脅迫状ではグリコ以外の会社の社長を「羽賀」「松崎」「浦上」「藤井」と苗字で書く中で江崎社長のみ「勝久」と名前で書いていることなど他の企業を脅迫したときにはない特徴があることからグループの中にグリコに怨みを持つ者がいるのではないかと言われる[32]

他にも53年テープの存在もグリコへの怨恨が原点にあるという説の補強材料になっている。

株価操作説[編集]

株価操作説の場合、1984年1月時点で745円だったグリコ株は、社長誘拐・工場放火事件があった翌日5月17日には、598円にまで下がっている。即ち、商品に不信を抱かれることによる株価下落を前提にすれば、結果24.5%の利益を得られたとも考えられる。加えて事件の「終息宣言」を受けて値が戻ることも前提にすれば、底値と思われる時点で買いに転じて、さらに利益も得られる計算になる。

週刊現代』で株式情報の担当記者をしたことのある作家の宮崎学は、単純に市場で株式売買するのではなく、企業に自社株を買い取らせる仕手で100億円の利益が得られる可能性を指摘している[33]。宮崎学に任意聴取した刑事も、この説を宮崎に述べたという。

警察でも、現金奪取はカムフラージュで株価操作による利益が目的だった可能性を考えて、事件に関係した企業の空売り・買い戻しで目立った動きをした人物や団体は、徹底的にチェックしていた。中でも当時ビデオセラーという会社を運営していた仕手グループは、最重要監視対象として目をつけられていたという[34]

被差別部落説[編集]

この事件に関しては、被差別部落関係者が関与しているという説もある。その根拠は、9月18日の森永の男の子の声による脅迫テープの周辺環境の音の中に皮革製品に使用される独特のミシンの音が分析の結果入っているということ、犯人グループが使用したもののほとんどがマイノリティの多い町の近くのスーパーで購入されていた、というものであった[35]。しかし、被差別部落関係に対する捜査は、部落解放同盟が抗議をしたため捜査が打ち切られたと、作家の宮崎学はしている[36]。被差別部落出身者の関与については、一橋文哉によるノンフィクション『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』でXとしてほのめかされ、この事件をモチーフにした高村薫の小説『レディ・ジョーカー』でも扱われている。

宮崎学説[編集]

犯人グループの一人と目されたキツネ目の男に酷似していること、過去にマスメディアを操作して警察と敵対したこと、会社を倒産させて借金を抱えていたこと、地理的条件やアウトローとの人脈から疑われたが、アリバイがあったことと物証がなかったことから、捜査が打ち切られた。宮崎は『噂の真相』1985年10月号で事件に関して語り、その後も1996年(平成8年)に出した自伝『突破者 戦後史の陰を駆け抜けた五十年』で触れたり、『グリコ・森永事件最重要参考人M』を著したりするなどした。宮崎の友人の大谷昭宏は『グリコ・森永事件最重要参考人M』や同時期のテレビ番組で、宮崎のことを犯人として疑い、宮崎からの反論を受けた。後に大谷は2005年に出演したテレビ番組の中で、「実はまだ少し疑っている」という旨を笑い話として述べた。大谷は2007年(平成19年)6月に発行された『こちら大阪社会部+α社長誘拐スクープ編』のあとがきでも、同じ趣旨のことを述べた。

しかし、丸大食品事件とハウス食品事件でキツネ目の男を実際に2度にわたって目撃した唯一の捜査員は、手記で「一時期話題になったM氏など論外です」と宮崎学説を一蹴している[37]

北朝鮮工作員グループ[編集]

事件終結後に産経新聞1997年(平成9年)7月4日付朝刊や『週刊文春』で報じられた捜査線上で浮上して北朝鮮の工作員関係者のグループである。53年テープの声に似た兵庫県の貿易会社社長が北朝鮮の非合法活動の黒幕的存在で、その周辺にキツネ目の男やビデオの男によく似た人物がおり、江崎グリコ社長を恨む北朝鮮工作員との証言がある考古学者もグループに属していた。犯人グループがグリコに要求していた100kgの金塊を持っていたことから、捜査が行われた。ただし、これは北朝鮮の国家的謀略というものではなく、北朝鮮の金鉱山への開発投資に失敗して金策に困った北朝鮮工作員のグループの犯行ではないかというものだった。しかしグループの中心とされた社長は1987年(昭和62年)に既に死去しており、1998年(平成10年)に行われた首謀者と目された人物の声紋鑑定やグループ内でキツネ目の男やビデオの男と疑われた人物の面割捜査で、別人であるという結論があり、捜査が打ち切られたという[38][39][40]

元暴力団組長グループ[編集]

1990年(平成2年)頃から捜査本部がターゲットに絞ったのが暴力団の元組長の実業家を中心とするグループである。元組長が1979年(昭和54年)にグリコから5億円を脅し取ろうとして拒否された過去があること、元組長の銀行口座に被害にあった企業の関係者から3億円の入金があったこと、犯行に使われたのと同種の和文タイプライターやタクシー払い下げ車輌を親族が所有していること、グリコに恨みを持つ人物が周辺にいたこと、53年テープに登場する人物と接点があることなどが疑惑の根拠となった。捜査本部は1992年(平成4年)3月に元組長を始めとするグループに任意同行を求めて事情聴取を行ったが、容疑を認める者は誰もおらず、物証もなかった。主要なメンバーにはアリバイもあった。捜査本部が最後に総力を挙げて取り組み、グリコ・森永事件の捜査史上最大とも言われるこのグループへの捜査だったが、これをもって事実上グリコ・森永事件の捜査は終了した[41][42][43]

その他[編集]

この事件で江崎グリコに次いで脅迫されたのは丸大食品であったが、当初この事実は合同捜査本部により伏せられ、3社目に森永製菓が脅迫された事件を毎日新聞スクープし連続脅迫が発覚、社会に衝撃を与えた(当局は当初、便乗犯であり誤報だとの態度をとったが、その後犯人側の声明文で確認された。)。事件が「グリコ・丸大事件」ではなく「グリコ・森永事件」と呼ばれるのはこのためとみられる。

犯人グループは読売新聞社に宛てた挑戦状でおよそ30年前の1955年に森永製菓の関連会社である森永乳業が引き起こした森永ヒ素ミルク中毒事件を例に挙げ「森永 まえ ひそで どくのこわさ しっとるやないか」と森永製菓を挑発していた。同じ挑戦状では明治製菓が当時売上げ1位で、グリコの次は明治が狙われると誰もがそう思う、だから明治(を標的にするの)はやめた、という旨も書かれている。

山瀬まみがTBSの『ブロードキャスター』で証言したところによると、山瀬の父親は森永製菓の社員だったので、当時の山瀬の家庭は事件の影響を受けた。安倍昭恵は父親が森永製菓の社長だったことから、本人にも警察の保護がついた。

作詞家の川内康範は、『週刊読売』誌上で犯人に対し私財1億2000万円を提供するから、この事件から手をひくように呼びかけたが、犯人グループは拒絶した[44]

俳優の京本政樹は、事件で使用された和文タイプライター[45]と同じ型のものを使っていたので、一時、捜査線上に浮かんでいたことをテレビ番組で告白している。

河内音頭家元の河内家菊水丸は、事件をモチーフにした曲「グリコ・森永大事件」を発表したところ、警察から事情聴取を受けたと自著本で告白している。

アマチュア無線用の144MHz帯ハンディー機を受信改造して警察無線を傍受したり、不二家脅迫事件での無線でやり取りをするなど無線通信に対する知識も高いとされている。 ただし、専門職の域には達しない。 アマチュア無線機の一部の機種[46]は基板上の簡単な工作で広帯域受信が可能だったからである。 これらの機種はアマチュア無線ショップで簡単に購入することができ、アマチュア無線の入門である電話級用であった(電話級アマチュア無線技士(現 第四級アマチュア無線技士)は、一時期「6歳児でも取れる国家資格」といわれ、物議をかもした。)。 また改造方法などを掲載するラジオライフ[47]があった。 この為、この面から犯人を絞り込むことは事実上不可能だった。

なお、ハウス食品脅迫事件では、人質事件以外では極めて稀な報道協定が締結された。しかし、この協定には疑問の意見が噴出し、まず日本新聞協会に属さない新左翼系の『人民新聞』が報道し、続けて日本雑誌協会に属さない『噂の真相』の記事が決定打となって、『噂の真相』の発売日に事件未解決にもかかわらず、報道協定は解除された[48]。この報道協定の件は、犯人グループも「報道の自由の自殺やないか」と批判している。

犯人からの手紙にも登場する音響研究所所長の鈴木松美は、テレビ番組『平成日本のよふけ』(フジテレビ)や『ビーバップ!ハイヒール』(朝日放送)において、電話音声解析の結果、録音されたテープから流れる脅迫文の発信源である公衆電話、その脅迫文を朗読したと思しき子供・その声を録音した団地・部屋(鈴木は電話が繋がるまでの時間・声の主の方言やイントネーションなどから解析)まで特定出来たが、なぜかその後の捜査の進展はなかったようで、この件に関してなにか事情があったのかも含めて真相は分からないと述べた(声の主と思しき子供については「声変わり」もあり断定が出来なかった、とも述べている。)。

1985年に起きた大阪連続バラバラ殺人事件では犯人が「怪人22面相」とした犯行声明を警察に送り届けた。最初はグリコ森永事件のかい人21面相を真似たイタズラと推測されたが、届いた手紙には当初公開していなかった殺害内容の詳細な記述があったことから犯人によるものと判明。犯人は1995年(平成7年)に逮捕された。

1999年(平成11年)12月に大阪府摂津市で発生した身代金誘拐事件の摂津小2女児誘拐事件は、大阪・誘拐・関西弁・身代金受取場所指示などで、グリコ・森永事件と共通点が指摘されたが、2000年4月に犯人が逮捕され、関連はないことが判明している。

この事件により、グリコと森永は大打撃を受けた。製品は一時撤去され、広告も半年にわたり自粛。森永は当時放送されていたテレビアニメ『キン肉マン』のスポンサーを降板した[49]。その後両社は特別CMを放送して広告再開を果たした後、共にロゴタイプを変更することとなる。 また、この事件以降江崎グリコ製品の包装は、開封された場合元に戻せないように設計されている(一時期は商品にフィルム包装をかけていたこともあった。)。

類似事件[編集]

本事件に先立つ1982年アメリカで、ジョンソン・エンド・ジョンソン社のタイレノールシアン化カリウムが混入され、7名が死亡する事件(en:1982 Chicago Tylenol murders)が発生している。

事件発生した1984年には、かい人21面相に便乗して模倣犯が食品企業を脅した企業恐喝事件が31件発生したが、全て摘発された(1984年の事件で唯一摘発されなかったのが、本家本元のグリコ・森永事件である)。その後、事件を模倣した犯罪は444件に上り、うち206件が検挙された。この中には小中学生がファミコンほしさにネスレ日本を恐喝する、という事件もあった。

1985年には、ニコチン入りの製品をばらまくと脅されたロッテが警察に届けずに、3千万円を支払う裏取引に応じた。翌1986年(昭和61年)に再び5千万円の支払いを要求されたために、今度は警察に通報して当時55歳の22号と名乗っていた男は7月3日に逮捕された。この事件でいったんは脅迫犯に屈して裏取引に応じたロッテは批判にさらされて、客の安全が第一だったと弁明した[50]

これらの便乗犯を筑波大学教授の小田晋は「コバンザメ犯罪」と名付けた。本物の犯人グループも脅迫状で偽者との取り引きに応じないように企業に呼びかけた[51]。なお、犯人グループは江崎勝久の声を録音したテープを同封することで自らが本物である証としていた[52]

台湾では千面人として報道され、グリコ・森永事件のかい人21面相は有名だったという。1984年12月27日に台中市に住む34歳の男がグリコ・森永事件を真似て、インスタントラーメンに毒を入れ食品会社に日本円にして1億5千万円を要求したとして、41時間後に逮捕されるという事件があった[53]。さらに2005年5月、台湾・台中市のコンビニエンスストアの店頭で、シアン化物の混入された瓶入り栄養ドリンク「蛮牛」が置かれ、それを購入・飲用した4人が相次いでシアン化物中毒症状を引き起こし、うち55歳の男性が5月18日深夜に死亡、2名が重体となった。この栄養ドリンクにはパソコンプリンターで「有毒、勿喝」(毒入り。飲むな)と印刷されたシールが添付され、グリコ・森永事件を真似た悪質な悪戯として現地マスコミが大々的に報道した。台湾の衛生当局は保力達ブランドの商品を安全が確認されるまで発売しないように通達した。5月27日に40歳の男が逮捕され、恐喝を目的としグリコ・森永事件を真似たものであると供述した。(zh:毒蠻牛事件

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 朝日新聞大阪社会部『緊急報告グリコ・森永事件』朝日新聞社、1985年、p.192
  2. ^ 宝泉薫編著『決定版一発屋大全』彩流社、2001年、p.13
  3. ^ 朝日新聞大阪社会部『緊急報告 グリコ・森永事件』朝日新聞社、1985年、p.24
  4. ^ 一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮社・新潮文庫、2000年、p.61
  5. ^ 朝日新聞大阪社会部『緊急報告 グリコ・森永事件』朝日新聞社、1985年、p.28 - 29
  6. ^ 同上 pp.46-47
  7. ^ 同上 pp.64-65
  8. ^ 森下香枝『グリコ・森永事件「最終報告」 真犯人』(朝日新聞社)
  9. ^ NHKスペシャル『未解決事件 グリコ・森永事件「目撃者たちの告白」』NHK、2011年7月30日放送
  10. ^ 「車を降りず職質」『中日新聞』1984年12月11日付
  11. ^ 宮崎学、大谷昭宏『グリコ森永事件 最重要参考人M』幻冬舎、2000年、p.146
  12. ^ 「グリコ・森永犯こんな顔」『中日新聞』1984年12月11日付夕刊
  13. ^ 一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮社・新潮文庫、2000年、pp.390-392
  14. ^ 宮崎学、大谷昭宏『グリコ森永事件 最重要参考人M』幻冬舎、2000年、p.30
  15. ^ 森下香枝『グリコ・森永事件「最終報告」 真犯人』朝日新聞社、2007年、p.181
  16. ^ 一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮文庫、2000年、p.409
  17. ^ a b 「本誌最後のスクープ! 真犯人は茨木市内の標準語の男 四方修・元大阪府警本部長インタビュー」『読売ウィークリー』2009年12月14日号、pp.13-17
  18. ^ 一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮文庫、2000年、pp.113-117
  19. ^ 同上 p.120
  20. ^ 同上 pp.13-14、p.113、pp.115-118、p.121、p.135
  21. ^ 総力特集 拉致報道 小誌だけが知る 六つの核心 グリコ森永事件捜査線上に北朝鮮工作員グループ 警視庁極秘ファイル 戦慄スクープ」『週刊文春』2002年11月14日号
  22. ^ 一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮文庫、2000年、p.114
  23. ^ 同上 pp.196-198
  24. ^ 佐木隆三「文庫版のためのあとがき」『事件百景 陰の隣人としての犯罪者たち』文春文庫、1985年、p.317
  25. ^ 「週刊現代」1984年10月20日号、1985年2月2日号
  26. ^ 「週刊ポスト」1985年1月4日&11日合併号
  27. ^ 「ペントハウス」1985年3月号
  28. ^ 「週刊サンケイ」1984年11月8日号
  29. ^ 「サンデー毎日」1984年10月14日号
  30. ^ 「週刊読売」1985年4月21日号
  31. ^ 「週刊ポスト」1985年5月24日号
  32. ^ 森下香枝『グリコ・森永事件「最終報告」 真犯人』朝日新聞社、2007年
  33. ^ 宮崎学、大谷昭宏『グリコ・森永事件 最重要参考人M』幻冬舎、2000年、pp.166-179
  34. ^ 一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮社新潮文庫、2000年、p.184
  35. ^ 宮崎学、大谷昭宏『グリコ・森永事件 最重要参考人M』幻冬舎、2000年、p.159
  36. ^ 同上 p74
  37. ^ 大阪府警捜査一課特殊犯元警部・松田大海「『キツネ目の男を追え!』 グリ森事件 『22年間の捜査員秘録』」『週刊新潮』2007年1月4日・11日合併号、pp.52-55
  38. ^ 「総力特集 拉致報道 小誌だけが知る 六つの核心 グリコ森永事件捜査線上に北朝鮮工作員グループ 警視庁極秘ファイル 戦慄スクープ」『週刊文春』2002年11月14日号
  39. ^ 「コラム かい人21面相は北朝鮮工作員!?」『別冊宝島Real007 未解決事件の謎を追う』宝島社、2001年、pp.74-75
  40. ^ 『別冊宝島1188 戦後未解決事件史』宝島社、2005年、pp.18-19
  41. ^ 一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮社・新潮文庫、2000年、pp.241-263
  42. ^ 宮崎学『突破者 戦後史の蔭を駆け抜けた五〇年』南風社、1996年、pp.363-366
  43. ^ 森下香枝「グリコ・森永事件23年目の『真犯人』」『週刊朝日2007年3月23日号、朝日新聞社
  44. ^ 朝日新聞大阪社会部『緊急報告グリコ・森永事件』朝日新聞社、1985年、p.304
  45. ^ パンライター UECコミュニケーションミュージアム
  46. ^ 実例としてはトリオ(現JVCケンウッド)TR-2500やアイコムIC-02Nなど。
  47. ^ 非合法ギリギリの無線機改造法などを載せるため郵政省時代からがたびたび監督省庁の頭痛の種になっていた。
  48. ^ 朝日新聞大阪社会部『緊急報告 グリコ・森永事件』朝日新聞社、1985年、pp.299-302、pp.320-324、p.325
  49. ^ ローカルセールス枠で放送されていたため、一部ネット局では森永製菓のスポンサードネット扱いではなく、ローカルスポンサーに差し替えられていた。その後1991年(平成3年)10月から放送された「キン肉マン キン肉星王位争奪編」でスポンサーに復帰。
  50. ^ 一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮文庫、2000年、pp.175-176
  51. ^ 朝日新聞大阪社会部『緊急報告 グリコ・森永事件』朝日新聞社、p.117
  52. ^ グリコ・森永事件取材記者グループ『グリコ・森永事件中間報告』山手書房、1984年、p.99
  53. ^ 情報研究所編『21面相の手記』データハウス、1985年、p.111

参考資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]