自殺
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自殺(じさつ)は、自ら自分の生命を絶つ行為である。
国立精神神経センター(厚生労働省)によると、世界的に自殺によって毎年全世界で約100万人が死亡しているとされ、世界疾病負担(the Global burden of diseases)の1.4%を占める。しかし、変死の中の割合は約半数が自殺とされる。そして、自殺によって損なわれる経済的損失も数十億ドル規模にのぼる。WHOの自殺予防に関する特別専門家会議によると、自殺の原因は個人や社会に内在する多くの複雑な原因によって引き起こされるが、「自殺は予防できる事を知り、自殺手段の入手が自殺の最大の危険因子で、自殺を決定づける。」としている。
なお、毎年9月10日は「国際自殺防止デー」として、WHOと国際自殺防止協会( IASP=The International Association for Suicide prevention)その他のNGOによって、WHO加盟各国で自殺防止への呼びかけやシンポジウムが行われ、その後1週間を自殺予防週間と定める自治体も多い。
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[編集] 表現
日本語では、その手法や目的などによって次のようにもいう。
日本語では、言霊信仰のためか、「死」など破滅的衝撃的な言葉を日常的に回避する場合が多く、命を縮める、自ら命を絶つ、自死などと表現する場合もある。
- 自死、自害、自決、自尽、自裁 - 手法によらない。自死については、自殺行為を反社会的行為だと責めないニュアンスが強い
- 首吊り、飛び降り、飛び込み、割腹、焼身、入水 - 手法による
- 身投げ、自刃、切腹 - 手法による
- 殉死、心中 - 目的や同伴者の有無による
このうち、2. は単語の後ろに「自殺」を付けることもある。
新聞・テレビ等の報道メディアにおいては自殺が使用される。
[編集] 歴史
自殺の歴史は古く、紀元前の壁画などにもその絵や記述が残されているほどである。中国では、紀元前1100年ごろ殷王朝最後の帝である帝辛(紂王)が周の武王に敗れ、焼身自殺したと伝えられている。また、古代ギリシャの詩人サッポーは入水により自殺したという説があり、他にもエジプトプトレマイオス朝最後の女王であるクレオパトラ7世はアクティウムの海戦に敗北した際に、オクタウィアヌスに屈することを拒み、コブラに自分の体を噛ませて自殺したと伝えられている。 手法や原因は異なるが、失恋や挫折、不名誉感情(羞恥心)、社会からの疎外感、健康問題、配偶者や親類の死亡などによる絶望感、失望感から自殺を試みるのは、過去から現在に至るまで同じである。
また、社会的な価値観として行われる事もある。 宗教的(あるいは呪術的)原因で(当時としては十分な合理的理由があった)の自殺の例として、みずからが「生け贄」となる例がある。
[編集] 日本史の中の自害
日本で最も古く有名な伝説は、ヤマトタケルの東征の際に走水海(現浦賀水道)を渡る時の荒天を、同行した妃の弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)が自らへの海神の怒りであると信じ、ヤマトタケルを救うため(その后は「さねさし 相武さがむの小野に 燃ゆる火の 火中ほなかに立ちて 問ひし君はも」との歌を詠んでいる)水の上に畳を浮かべて、わが身を海神に捧げたという古事記の記述である。
また室町幕府創建の伝説として有名なもので、足利尊氏の祖父の足利家時は八幡大菩薩に三代後の子孫に天下を取らせよと祈願した願文を残して自害したという。そして、江戸時代には、仏(即身成仏)となって地域の貧困救済などのための社会的な理由で、宗教的な原因により即身仏になったり生贄になったりする例が多く生じた。
日本では戦場において本来相手側に武名をなさせないために、平安より鎌倉、戦国時代に至まで、敵に討ち取られるよりは自害することをよしとする風潮があった。平家物語の登場人物の最後は自殺で終わる者が多い。これは、自らの武名が誰かによって落ちること、つまり討ち取られることを恥としたからである。これらは現在でも国語の教科書に掲載され、日本の武家文化の一つとして継承されている。また死罪を自ら行う切腹は良く知られている。鎌倉以来武士は江戸時代初期までは主君に切腹を命じられても、従容として死につくのではなく、ある程度の抵抗を示した後に主君側に討ち取られる以外に選択肢がなくなってから自害することが「意気地」とされた。ところが、江戸時代も中期になると、従容として腹を切ることが「潔い」とされるようになる。これは一つには家の存続が個人の武名以上に重要なものとされてきたためによるが、徳川の文治政治の中で連座が緩和されたため、単独で責任をとれば家もしくは、家族などは存続を許されたからでもある。
また江戸時代の都市の庶民の間にも近松門左衛門の「心中もの」のように、この世を憂き世として忌避し、あの世で結ばれるとして男女が流行的に自殺を行った例もあった。これらは、未遂の場合、裸で晒された後に厳しい刑罰が加えられたが流行は止まず、むしろ見事に死ぬことを覚悟させた。
[編集] 昭和史の自殺、自決、特攻
軍人が敗北の責任を自決することで回避したり、果たそうとすることは、世界的に広くみうけられるが、日本兵の間で最も頻繁におこなわれた。盛んに精神論が唱えられていた大正デモクラシー退潮後の日本では、軍部の影響力が増大し、軍事国家化した。その中で、ノモンハン事変で戦闘不能で捕虜になった陸軍将校が自決を強要されたため、将校が降伏するとの選択肢は現実的になくなった。兵も捕虜になった場合は非国民、アカと家族が社会から指弾されることから、投降を選択した例はきわめて少ない。1941年1月以降は、「生きて虜囚の辱めを受けず」の一文で有名な戦陣訓により捕虜になること自体が禁じられ、この年に開戦した太平洋戦争では全陸軍将兵の投降への道が閉ざされ、日本軍は終戦まで、ただの一回も組織的降伏を行わず、絶望的な状況に陥ると、ほとんどが自決を選んだ。また前線将校が撤退の責任を取るために自決を選ぶ、もしくは選ばされることがあった。自決であれば、軍人軍属の場合は戦死扱いになり、不名誉でないとされた。これらの思想は軍事政権がつづくとやがて一般市民にも浸透していった。
ただ、当時の日本の社会情勢では自決は上からの強要というより、時代の中では当然の帰結であると当時は理解された。例えば陸海軍を問わず航空部隊では、万一敵地上空で帰還できない場合は、「敵施設に突入する」「反射的に逃げないように背面宙返りで自爆する」と事前に航空兵らの間で研究がされたとの複数の証言録や、真珠湾攻撃では、戦闘機パイロットが米軍の格納庫に突入している。これらは、日本軍が前進する間は軍隊の強みとなっていた。しかし、後退以外の選択がなくなる1943年以降は、撤退できないで孤立した部隊では自らの戦いを終わらせるため、しばしば「バンザイ突撃」(バンザイと叫びながら突撃することから米兵が名付けた)のような自殺的な肉弾攻撃を行って義務を終わらせた。
さらには、組織的に神風特別攻撃隊や対戦車肉弾攻撃のように作戦そのものが未帰還や自爆を前提としていたものもあり、これらを米軍は「自殺攻撃(Suicide Attack)」と名付けた。
しかし、例外は陸軍の高級将校に最も多く、師団長クラスでは部下に責任を転嫁して自決はさせても、自らはピンマナ防衛を放棄して後退し、柳条湖事件を演出した一人である花谷正中将などは有名である。花谷は「人の命を尊重せず、部下の責任を追及し、他人は簡単に自決させる男」と部下に評されている。しかし、批判者も責任の取り方として「あんなに責任をとれといって自決させるような人間に限って、自分は責任をとらないものだ。」だと自決を前提とし、軍事裁判等は要求していない。
戦後、戦陣訓を制定した東條英機元首相も終戦後9月11日まで、現実的に逮捕されるまでは、理由は不明だが自殺は見合わせている。海軍側の当事者、嶋田繁太郎元海軍相も「ポツダム宣言を忠実に履行せよとの聖旨に沿う為」見合わせている。
沖縄県は元より、当時内地の台湾、外地の市民に至っては数千とも数万とも正確な数すら不明である。《慰霊碑》 五百羅漢寺(東京・目黒)によれば、 興安総省興安街の住民東部群団と索倫・五叉溝方面からの避難民2千数百名が白城子目指し南下中、1945年8月14日午前11時過ぎ葛根廟近くでソ連軍戦車に蹂躙され、 一方絶望した人達が子供を殺して、自決をはかり犠牲者千数百名の惨事となった(葛根廟事件) 。「小古洞・蓼科開拓団(三江省通河県、長野)の鶴岡炭鉱脱走の労働者等に連日女性が犯され、団長はじめ女性・子供254人が毒薬で自決した。」[1]「瑞穂村集団自決(北安省綏稜県、混成)、「敗戦後、原住民に襲われ、治安維持会から迫害され、昭和20年9月17日未明、晴着で身を飾った団員たちが本部に集合次々と自決した。 総員1056名の内、 犠牲者495人の殆どが女子、子供だったという。」[2]
[編集] 自殺という言葉
上記のとおり、自殺の範疇に含まれうる行為は古くからあったが、「自殺(英語ではsuicide)」という言葉自体の歴史は比較的浅い。『オックスフォード英語辞典』によると1651年、ウォーター・チャールトンの「自殺によって逃れることの出来ない災難から自己を救うことは罪ではない」という文が初出とされるが、他にも1662年、1635年という説もあり、いずれにしても17世紀からが定説とされる。それ以前には自己を殺す、死を手にする、自分自身を自由にする、などの表現があったが一言でまとまってはいない。このようなブレの起こっていた説明として米国自殺学会のエドウィン・S・シュナイドマン(en:Edwin Shneidman)は「魂と来世という思想を捨て去ることが出来たとき、その時初めて、人間にとって自殺が可能になった」観念の変化が反映していると指摘する[3]。来世や魂の不死といったことを信じたとき、死は単なる終わりではなく別の形で「生き続ける」という存在の形態を移したものに過ぎなくなるからである。近現代へ至る死生観の変化には、科学技術の発展により宗教的思考が説得力を持たなくなったことが背景にある。このように自殺の問題は「死」をどう捉えるかという事と不可分の関係にあり、文化や時代によって様々な様相を呈する。
[編集] 自殺の要因
自殺の要因として、
- 社会要因
- 個人環境要因
- 個人要因
- 医学的要因
- 生物学的要因
が挙げられている。基礎にこれらの要因が存在するところに、何らかの誘因が加わって、自殺が実行される。
社会要因については、フランスの社会学者エミール・デュルケームが、代表著書『自殺論』の中でさらに4つの要因に類型化している。
詳細はエミール・デュルケームを参照
[編集] 危険因子
これまで、次のものが自殺と関連する危険因子とされている[要出典]
- 変えられない危険因子
- 男性、高齢、自殺未遂歴、社会経済的変化
- 変えられる危険因子
- 精神疾患、身体疾患の存在、社会的孤立(独身、離婚、など)、無職、人生に不満足
[編集] 自殺と社会
自殺そのものの是非をめぐって様々な議論がなされている。下記にいくつかの主張・思想と現代社会における取扱いを挙げておく。
[編集] 自殺にいたる背景
#自殺の原因も参照
経済、政治的にその混乱と困窮の度合いがあまりにも高い国では、自殺はあまり見られない。生きること自体にまず最大の関心が向けられているからである。また、経済的に拡大途上にあり、様々なチャンスの多い国でも少ない。自殺が多いのは、元は経済的に豊かであったのが、不況になり失業や就職難が深刻になった、あるいは他人の幸福を目の当たりにしながら、自分だけがそれに手を伸ばすことができないといった絶望的な状況にあるなどの国々である。前者はバブル崩壊後の日本、後者はハンガリーなど元東側諸国の国々などが例として挙げられる。要すれば、絶対的幸福よりも相対的幸福を感じられない人々が自殺しやすい状況にあるといえる。
こうした国の経済、社会、文化、宗教などでの違いは見られているものの、自殺の大きな要因として近年あげられるのは、うつ病などの精神疾患との因果関係である。現に、自殺既遂者の95%は何らかの精神疾患を患っていて、その大半が治療可能だったという研究結果もある[4]。これらは慢性に経過するものから、強いストレスによって急激に発生するものまであり、自殺者や自殺志願者に対応する際、心得なければならない疾患の一つとしてしばしば注目される。
このような精神的危機の背景には、激しい競争社会や、低い自己評価に起因するさまざまな否定的感情、家庭、職場での生活が困難など複数の要因がある。しかし、以上のような環境にあっても周囲の対応で精神の健康を維持することは可能である。
初めて社会的な要因からの自殺の研究を発表したのは、エミール・デュルケームの『自殺論』である。近代からの視点では、自殺は必ずしも悪いことではないとされる。しかし、飛び降りなどの他人に少なからず影響を与える死に方に対しては、「他人に迷惑をかけるな」という声もある。
デュルケームに続き別の面から重要な考察を行ったのはフロイトである。彼は長らく人間の心理を「生の欲動(リビドーまたはエロス」で説明しようとしたが、晩年近くになり説明できない破壊衝動を見出し、後にそれを「死の欲動(デストルドー、またはタナトス)」と名付けた。彼は生を「生の欲動」と「死の欲動」との闘争、さらには愛憎混じった感情の転移であるなどの思索をしたが、若干誤りを含んでいるという指摘が強い。しかしながら今では自殺者の心理剖検に対し一定の貢献があったと臨床の現場では受け止められている[5]。
ドラッグや麻薬の広まっている地域では酩酊している状態で正常な判断能力を失っているうちに、ビルの上から飛び降りたり、自動車や列車に飛び込んで自殺をしてしまうこともある(この場合、自殺ではなく、事件や事故と取る場合もある)。例えば「夜回り先生」こと水谷修が麻薬・薬物を撲滅しようとするきっかけとなったのは、横浜市で定時制高校の教員を勤めていた頃、当時の生徒がシンナーで酩酊状態にあった時にダンプカーに飛び込み、死亡したことであると自身の著書「夜回り先生」の中で振り返っている。
[編集] 群発自殺
複数人の自殺が、近接した時間・場所において実行される現象。連鎖自殺と集団自殺がある。
よく知られている有名人が自殺したり、一般人であっても奇異な自殺や凄惨な自殺を遂げ、それが他の人にも知れ渡った場合、それを模倣する自殺者が現れることがあり、この現象を連鎖自殺、ウェルテル効果と呼ぶ。特徴は、その手段もさることながら、経済的・社会的な背景がなく、さらに言えば自殺に至る背景が自殺者自身に存在しなくても、模倣としての自殺をする人が出ることである。有名な例としては藤村操、南条あや、岡田有希子、さらに自殺の手段を模倣した例としては2000年代初頭に日本で起きた練炭自殺や富士樹海での自殺、2007年末から2008年にかけて頻発している硫化水素を発生させ自殺を図る硫化水素自殺がそれにあたる。
命を自ら絶つ行動は今の社会においては非常に問題視され、手段や結果によっては社会に大きな損害を与えかねない。また過剰な報道はより自殺連鎖を広めるだけだとして、過剰な自殺の報道に報道規制をかけようとする動きも少なくない。
ただし、情報を規制することは表現の自由と衝突する。また、闇雲に自殺に関する情報を知らせないだけでは命と言う観念が持てず、一時的な(流行的な)自殺増加は阻止できても、長期的な自殺減少や「命」を教えることはできないと言う考えがある。
とはいえ何らかの対策もせずに、これらのような群発自殺を放置することは絶対に許されない。前述した過去の事例のような、ウェルテル効果による社会への悪影響を懸念してか、2008年5月25日に自殺した川田亜子に関しては、同年5月初め頃から公式ブログに悩みを書き続けていたこともあり、放送局・一部を除く新聞の報道と生前の出演番組の放送が、同年6月以降一切行われなくなった。また、この他の自殺に関する報道についても、かなり少なくなった。
フィンランドでは、自殺の報道方法変更を含む諸対策により、自殺率の減少を達成している[6][7]。
[編集] 自殺方法の地域差
自殺の統計は、国によって分類や調査などに差があるため、単純な比較はできない。
銃の所持が広く認められている国では、年齢を問わず銃による自殺が多い。例えばアメリカ合衆国における調査結果[8]では、10代の小火器(拳銃など)による自殺が全体の49%と、ほぼ半数を占めている。 銃による自殺が多い理由にはその致死率の高さと手軽さが挙げられる。詳しくは#銃による自殺を参照。
中国では農薬が簡単に手に入ることから、農薬服毒による自殺が多い。[要出典]
[編集] 倫理観と志願者の意見
自殺は、精神ケアの難しさを顕著に示す例である。「自殺志願者を救いたい人々は自己満足のためだけに活動しているに過ぎない」という志願者側の見解に決定的な反証はできず、カウンセリング成功への道のりは険しい。一方で、自殺願望の念から立ち直った人から「どうしてあれほど死にたいと思っていたのかはっきりしない」、「理由なくなぜか死にたかった」という意見も聞かれ、根本的な原因の追究と解決の難しさを表しているといえるだろう。
現在の日本では、「自殺をすることは良くないこと」という考えが一般的な倫理観となっており、そこから「自殺志願者をすべて救おう」とする動きが一般的な理念となっている。しかし、自殺志願者達は既に他人の求めに耳を傾けることができるほどの余裕を持ち合わせていない。したがって、自殺防止を呼びかける人々の「生きていれば必ずよいことがある」、「死ぬ気になれば何でもできる」、「残された家族が悲しみ続けるから家族のために生き続けてほしい」などの励ましは多くの自殺志願者にとって気休めになるどころか、かえって当事者を追い詰めがちになるという厳しい意見があり、特にうつ病等による心理的疾患から来る自殺願望を持つ人物に対しては、上記の様な励ましの言葉を投げ掛けるのは禁忌とされ、むしろ自殺願望を増幅させてしまう[要出典]。
その一方で、「自殺をすることは良くないこと」との倫理観に基づき、自殺者あるいは自殺志願者を「良くないことをした、あるいはしようとしている人間」として批判するケースも見られる(一般的な例としては「世の中には生きたいと思っても生きられない人間が数えきれない程いるのに、そうではない人間が何故自ら死を選ぶのか」の類が挙げられる)。しかし、このような批判に対しても、「自分はしてはならない罪を犯そうとしている人間」との罪悪感を自殺志願者に芽生えさせてしまい、やはり当事者をより一層追い詰める結果になりがちとの意見がある[要出所明記]。
なお、近年においては個人主義が進んでいると言われているが、本質的な社会構造においては未だ集団主義的な色合いが濃く残っている。また日本人の性格として、「皆と同じである」ことで心理的に安心感をもちうる国民性をもつという自己認識が一般化している。そのため、個人の思想やライフスタイルが社会に受け入れられないと感じた時や、「他人と違う」「他人と比べて劣っている」「自分だけついていけない」といった劣等感やプレッシャーが重くのしかかった時に耐え切れなくなって自殺に走る傾向が強いといわれる[要出典]。
[編集] 法律的な取扱い
現在、多くの国で自殺および自殺未遂を犯罪として取り扱ってはいないが、自殺を幇助することは処罰される国が多い。歴史的には、自殺は犯罪と考えられ(キリスト教は自らの運命を神ではなく、自己決定することを罪としている)、その成否にかかわらず処罰の対象とされることもあった(日本でも江戸時代に、心中に失敗した男女が処罰された)。例外として、重大な犯罪を起こして死刑を免れない状況に陥った貴人が公衆の前で処刑されるという屈辱を免じてその名誉を重んじさせる意味で自殺を強要したこともある。律令制国家における皇族や高位者が死刑判決を受けた場合に自宅での自殺をもって代替にするのを許したことや、戦国時代から江戸時代初期にかけての日本における武士階級に対する切腹処分などがこれにあたる。ただし、近藤勇・小栗上野介・江藤新平などは、処刑に屈辱の意味を持たせるため斬首された。
アメリカ合衆国で自殺を罪と定めている州はアラバマ州とオクラホマ州だけであるが、実際に犯した人を処罰するのは現実上不可能なことなので罰則はない。いくつかの州では自殺未遂も軽犯罪法に触れるが実際に罰を受けることは滅多にない。30の州においては自殺ないし自殺未遂はいかなる罪にも問われていない。しかし、全ての州で一致している点があり、自殺を唆したり勧める行為は例外なく重い罪に問われる[9]。
安楽死については殺人、または自殺に関与する罪であって国よっては犯罪とされるが、オランダにおいては、2000年に安楽死が合法化されるなど、ヨーロッパにおいて尊厳死、安楽死が、自らの決定権たる意思の尊厳から認めようとする動きがある。但し、これらには死期が近く、堪え難い肉体的苦痛があり、治療の方法がない等の厳格な要件が付与されている。したがって、精神的苦痛がどれほど大きくても、それだけでは安楽死は認められない。
[編集] 文化的な取扱い
キリスト教およびイスラーム、儒教では、自殺は宗教的に禁止されている。そのため、欧米やイスラーム諸国では自殺は犯罪と考えられ、自殺者には葬式が行われないなどの社会的な制約が課せられていた。カトリック洗礼を受けていた細川ガラシャは武士の妻として自害すべきだったがこれ故出来ず、家臣に胸を槍で突かせた。かつては、教会の墓地に埋葬することも許されなかった。ドイツの哲学者・ショーペンハウエルは『自殺について』のなかで、キリスト教の聖書の中に自殺を禁止している文言はなく、原理主義的に言えば、自殺を禁じているわけではないため、不当に貶められた自殺者の名誉を回復するべきだと指摘している。
キリスト教で自殺に対する否定的道徳評価が始まったのは、聖書に基づくものではなく4世紀の聖アウグスティヌスの時代とされる。当時は殉教者が多数にのぼり、信者の死を止めるために何らかの手を打たねばならなくなっていた。また10人に1人死ぬ者を定めるという「デシメーション」と呼ばれる習慣のあったことをアウグスティヌスは問題にした。693年にはトレド会議において自殺者を破門するという宣言がなされ、のちに聖トマス・アクィナスが自殺を生と死を司る神の権限を侵す罪であると述べるに至って、すでに広まっていた罪の観念はほぼ動かし難いものになった[10]。
しかし、文化によっては自殺に類するものが推奨される場合もある。ヒンドゥー教には、夫が死ねば妻も焼身自殺するという、寡婦殉死(サティー)の風習があった。マヤ文明では、一般に死をつかさどる神「ア・プチ」のほかに絞首台の女神「イシュタム」がいて、自殺者の魂を死後の楽園へ導くとされた。
仏教では自殺を「じせつ」と読む。死は永遠ではなく輪廻・転生により生とは隔て難いものであるが、これらは死生観を説いたものであり、現代の一般的な自殺の理由にはなりえない。一般的には、殺生は十悪の一つに数え、波羅夷罪(はらいざい)を犯すものであるとして、五戒の1つであるため、自殺もそれに抵触するとして禁じられている。ただし、病気などで死期が近い人が、病に苦しみ自らの存在が僧団の他の比丘(僧侶)に大きな迷惑をかけると自覚して、その結果、自発的に断食などにより死へ向う行為は自殺ではないとされる(『善見律』11など)。また仏や菩薩などが他者のために自らの身体を捨てる行為は、捨身(しゃしん)といい、これは最高の布施であるとして自殺とは捉えない。
したがって、かつての日本で行われた、焼身往生や補陀落渡海など、宗教的な理由から自らの命を絶つ場合や入定ミイラや行人塚のように人々の幸福のために自ら命を絶つ場合もあったが、この場合は自殺と見られることはなかった。
文化的に推奨される場合には、社会的圧力によって自殺が強要される場合もある。チェコのヤン・パラフや、フランスにおけるイラン人焼身自殺などである。また「抗議の意思を伝える政治的主張のため」とする自殺が行われる場合がある。これは後述の「焼身自殺」の項でも述べる。日本で有名な例では、織田信長の守役の平手政秀が死をもって信長の行動を諌めている。
現代のイスラム原理主義者による自爆テロにもそのような主張がなされることがあるが、強要・洗脳・煽動・追込み、そして、最も根本的には「同情を向けるための戦術」という面があり、さらには自殺と同時に殺人が行われることになるので、犯罪性が強い。多数派のイスラムの教義解釈によれば、敵の戦闘員に対しての自爆はジハードとして天国に行けるが、民間人に対しての自爆テロは自殺として永遠の滅びの刑罰が与えられるとされている。
また、文学的なテーマの一つであり、主人公の自殺にいたる心理など、物語の終焉や筋の展開のなかでえがかれることがおおい。日本文学では、夏目漱石の『こヽろ』、井上靖『しろばんば』など。また、自殺した文学者も、北村透谷、太宰治、芥川龍之介、有島武郎、川端康成、三島由紀夫、田宮虎彦など多くの有名な作家が人生を終える方法に選択している。
文学上の主題で問題にまでなったものとしては、ドイツの作家ゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』で恋人との失恋に絶望し自殺した主人公を描き、その影響で模倣自殺する人が相次いだため発禁処分に処するところも出た事例がある。→ウェルテル効果
[編集] 病院内の自殺
米国の独立系・非営利組織の医療施設評価認証機構である「ジョイント・コミッション」の医療事故報告制度の中では、病院内での重大な医療事故の最多のものは、自殺であるという。
日本医療機能評価機構による調査では、調査の3年間に29%の一般病院(精神科病床なし)で自殺が起こっている。その自殺者の入院理由となる疾患は、35%が悪性腫瘍である。
[編集] 自殺の手法
[編集] 首吊り
自殺する手法として、男女を問わずもっとも多い[要出典]のが、首をロープなど紐状のものによって吊り、縊死することによる自殺である。
「首吊り自殺は酸欠による窒息死である」と誤解されやすいが、首吊りで窒息死するケースはわずかである。実際には、首吊りをすると頚部が斜めに自身の体重により圧迫されるので、大動脈(頸動脈、脊椎動脈)の流れが妨げられて脳に血液が回らなくなり、脳が酸欠(急性貧血)を起こして失神し、そのまま死に至るのがほとんどである。首に紐を掛けた直後から脳への血流は悪くなり意識が遠のき、約10秒で意識を失う。意識を失ってから心停止するまでには数分かかるが、意識を失っているので苦痛は少ないといわれている。そのため多くの国で死刑の方法として採用されている。
しかしながら、致死率が高いとはいえ、もしも未遂に終わった場合、脳が酸欠を起こした時点で脳細胞の破壊が始まっているために、植物状態や認知症、体の麻痺などといった重い後遺症を残してしまう可能性が高い[11]。 また、首を吊る際の衝撃で頸椎骨折や延髄損傷などで即死(または即失神)する場合がある。自殺ではないが、日本などで行われる絞首刑「落床式首吊り死刑台」に多く見られ、救出後仮に命をとりとめても、重大な障害が残る。また軽度であっても脊髄液の漏出から頭痛などの後遺症に長く苦しむ。
死後、括約筋の弛緩により吊り下げられた体内から重力により地面に体液が流出する。
[編集] ガス
ガスの有毒成分による中毒死と酸欠状態からの窒息死の2種に大別できる。なおどちらも、屋内の部屋で行うと発見者や同居人、さらに集合住宅の場合は配管のためのパイプスペースなどから、重いガスは階下の人を、軽いガスは階上の人を、さらに爆発性のものならば近隣の者さえ巻き添えにする極めて危険な方法であり、自分だけでなく無関係の者への殺人の危険性すらある方法である。また未遂の場合も重大な障害がのこりやすい方法[要出典]である。
練炭を使った練炭自殺と排ガスを車の中に導き込む自殺はどちらも一酸化炭素中毒を利用した自殺方法である。一酸化炭素はヘモグロビンと結合すると酸素の分圧が高くてもヘモグロビンより離脱せず、このため赤血球の酸素運搬能力が低下し(この段階で激しい頭痛に見舞われる)、脳が酸欠を起こして失神し、そのまま死に至る。これらは、酸素とにた構造をもつ気体で起こりうる。一酸化炭素は一定濃度を超せば一瞬で意識を失わせ、15分程度で人を死に至らせる危険なガスであり、それこそ一息吸うだけで意識を失う、したがって救出の場合は先に換気が重要である。(演習自衛官集団ガス中毒事件)ただ、気密性を保つ事や、濃度を直ちに濃くすることは難しいために死に至るまで時間がある場合はある[要出典]。
ただし、一酸化炭素中毒を起こした人の肌はピンク色をしているため、ただ寝ているだけと思われて、自殺と気付かれにくい[要出典]。
渡辺淳一の小説『自殺のすすめ』において、一番ピンク色できれいなときに恋人に部屋に来るように告げて一酸化炭素中毒で自殺した女性の話があるが、これはあくまでもフィクションであることに留意する必要がある。
かつては、家庭用ガスとして一酸化炭素を多く含む石炭ガスが使われていたので、ガス管をくわえたり部屋にガスを充満させて自殺をした人もいた。産業用は別にして、現在の家庭用ガスは9割以上が毒性の無いプロパンガスか、一酸化炭素を除去した都市ガス13A(メタン70wt%~80 wt%. )になっているので、この方法で中毒を起こすことはない。もちろん毒性のないガスでも窒息死することはあるが、そのためには気密性の高い空間が必要であり、ガス漏れ等の事故で中にいた人が窒息死することはあっても、自殺の手段としては回りくどい方法のため、使われることは少ない。家庭用ガスで自殺を図り引火、爆発事故を起こし、ガス漏出等罪で有罪判決を受けた例もある[12]。
ガスによる窒息死としてはシンナーなど揮発性の高い薬品を容器に入れ、容器と一緒に布団をかぶり窒息死した例(完全自殺マニュアル)、一酸化炭素以外では塩素系の洗剤など家庭用品を混ぜた際に発生する塩素ガスや硫化水素を吸って中毒死する硫化水素自殺などがある。 尚、硫化水素自殺は遺体に緑色の斑点が浮かび上がり、苦しかったであろう表情をしている等、楽とは言えない自殺であり、周辺住民や救助者にも被害が及びかねない。
これらの自殺方法は、首吊りと同じく、酸欠によって脳細胞が破壊されるために、未遂の場合、植物状態や認知症、体の麻痺や感覚異常などの重篤な後遺症を残す可能性が高い[要出典]。[13]
[編集] 入水
入水は海や川などに身を投げ、窒息死を試みる自殺方法。水中で水が気管に入ると咳こみ、それがさらに大量の水を肺の中にいれ、肺によるガス交換を妨げ、血液中の酸素を低下させることで脳への酸素を断つことにより死亡に至る。したがって肺の中を水で満たされると水死する。
古くからある方法の1つで(古代ギリシアの女性詩人サッポー(サッフォー)も失恋の末に海へ入水したという説がある)ある。
ちなみに、息を止めるようなことはせず、冷たい水の中に入ることで体温を奪われることにより自殺することもあるが、それは「低温」の項で後述する。
未遂に終わった場合、心停止15分以内に処置ができなければ、生き残っても、アダムストークスで他の酸欠による自殺と同様、脳や神経に重い障害が残る可能性が高い。
冬の川や湖など水温の極端に低いところで入水した場合、低体温症により死亡するまでの時間が延びて、他の人に救助される可能性も高くなる。条件がよければ数時間の仮死状態の後殆ど脳にダメージを受けることなく蘇生することもある。ただこのような場合は寒さにより、入水した直後ショック死をすることもあり、一概に言えるものではない。
艦船が沈没する際に艦長船長が船と運命をともにするという事がある(船員法の「船長の最後退船の義務」が拡大解釈されたもの)。氷山と衝突したタイタニック号の例が有名。かつてイギリス海軍やその伝統を受け継いだ旧日本帝国海軍でも広く行われた[14]。
[編集] 低温
低温によって体温が奪われ、凍死による自殺を試みる方法。 原理は雪山で遭難した人が、寒さにより凍死するのと同じである。
始めた直後の低温による苦痛は避けられないが、それ以降は頭がぼーっとして感覚がなくなり、寒さは感じず眠くなってくるという。そしてその場で眠りに入り、寒さで凍死する。 これは自殺ではなく、同じような状況におかれたが一命を取り留めた遭難者の証言からも裏付けられている。 冬に多い方法で、体温が奪われるまで時間がかかる。
[編集] 大量服薬・服毒
詳細はオーバードーズを参照
精神疾患などの治療を受けている人が、処方された薬を大量服薬して自殺を図ることがある。その際、大量のアルコール飲料を併用していることもある。家族や友人が薬を服用しており(特に三環系抗うつ薬など)、かつ自殺願望やうつ症状を持っていたり、リストカットなどの自傷行為を頻繁に行ったりするような状況の場合、注意が必要である。大量服薬をした場合、服用後の経過時間が比較的短い場合は、胃洗浄を行うのが一般的であるが、服薬量や経過時間、意識状態などによっては胃洗浄を行わないこともある。発見・処置が早ければ後遺症が残らないことも多いが、気道閉塞を伴っていた場合などは死に至ることもある。その他、誤嚥性肺炎、低体温症、肝障害、腎障害、長時間筋を圧迫することによる挫滅症候群などの合併症が生じることもある。
農薬や洗剤などの化学物質、毒物を飲むことで自殺を試みる場合もある。飲んだ物質により死亡する可能性は様々であり、対処法、後遺症も違う。一般に吐かせることが有効だと言われるが、飲んだものが石油系製品や強酸・強アルカリ性の物質の場合、吐かせるのは禁忌である。強酸・強アルカリ性の物質を飲んだ場合は、飲んだ時点で食道や胃の細胞が破壊されていることが多く、消化器官に後遺症が残る場合がある。
大量服薬や服毒を図った人を発見した場合は、救急隊員に、飲んだ薬の種類や飲んだものをなるべく正確に伝えることが大切である。大量服薬を行った者が処方されている薬の一覧表(お薬手帳)などがあれば持参するとよい。ゴミ箱から飲んだ薬の包装シートが見つけられることもあり、これも参考になる。
[編集] 飛び込み
車や鉄道などへの飛び込みによって自殺を行う飛び込み自殺は、死体の肉片や血液が周囲に飛び散るために周囲へ与える影響や印象も大きく、自殺後の死体は悲惨なものとなる(高速で走行する新幹線の場合は更に凄惨で、瞬時に跡形も無く粉砕される場合もある)[15]。未遂に終わった場合でも、試みた時点で四肢が切断されていたり、切断されなくとも大怪我を負っていることがほとんどなので、残りの人生を寝たきりの状態や車椅子などに頼って生きなければならないことが多い。また踏切から飛び込むことも多く、この場合は、列車が近付いていればいるほど、防ぐのが難しくなる。通勤・通学途中や帰宅途中の駅で飛び込み自殺に及ぶことが多く、割合が高いのは、男性のサラリーマン[15]である[要出典]。
仮面鬱病などにより、本人の意思とは無関係に飛び込んでしまうというパターンも多い。
鉄道への飛び込みは多くの利用客に影響を与えるほか、鉄道事業者も多大な経済的損失(車両の破損等の直接的被害よりも、振替輸送や遅延による特急料金の払戻し等の間接的被害が遥かに大きい 私鉄の場合、本線の主要駅で発生した場合は全線にわたって不通となる場合もある)を被ることから、社会問題の一つになっている。例えば、2005年6月の山手線車両に男性が飛び込んだ時は、45分間にわたって運行が停止し、利用客約11万人に影響があった。JR東日本が受けた被害総額は数億円と推定されている[16]。この時、自殺者への損害賠償請求権が発生するとも考えられ、JRなどは法的措置もとりうると説明しており、都市伝説的に遺族が億単位の請求を受けたとの話も聞かれる。ただ、自殺者に法的に行為能力があったかは疑問であり、金額も一般市民の遺族や自殺未遂者が到底払えるような金額ではないこと(勝訴しても不良債権)や、鉄道会社への遺族いじめともいえる行為への社会的な批判の集中、さらに加害者側からは安全管理責任に置いて当然反訴を受け万一敗訴すれば、安全の為にホームへの駅員常置、さらに京福電車幼児轢死事件の様に、判決の結果全路線へのフェンス設置が要請されるなども予想され、経営コストが膨大になる等鉄道会社側の危険も大きい。
ホームの安全対策は鉄道会社側も、酔っ払客等が線路に転落することなども含め、転落防止目的でホームドアの設置等の対策を取る場合もあるが、既存路線への追加設置は進んでいない(詳しくはホームドアの項を参照)。そもそも、自殺志願者であれば柵のない所に行ったり柵を乗り越えて飛び込むことが予想され、事故で転落する人は止められても、自殺者をホームドアで止めるのは難しい。一方で、東京メトロ南北線や新交通システムなどで見られる全面ガラス張りのホームドアは、軌道への侵入が出来ないため有効的であるが、直線の駅以外では車掌の乗降時の安全確認の業務をさまたげたり、柵と列車の間に挟まれる事故が予想されるなどの難点も多い。この為、心理学者の意見を入れて大きな鏡を設置する、発車ベルを音楽に変える。また、緊急停止ボタンを設置するなど努力も為されるが、効果は不明である。なお、JRになり駅員のホーム常駐時より無人化されてから自殺者が増加した駅はあるが、国鉄時代とJR時代では社会的背景も違い一概には比較できない。しかし、東京のJR中央線でホームからの飛び込み自殺が相次いだ時は、ホームにガードマンを臨時配置したところ、一時的に自殺者がなくなったという報道がある。また、JRの一部の駅では、防犯その他の目的で警備員を配置する動きもある。
[編集] 飛び降り
詳細は飛び降りを参照
ビルや崖、滝などの上から飛び降りることにより、自由落下によって重力で自らの体を加速させ、地面や水面などに激突させその衝撃で自殺を試みる方法。投身自殺とも言われる。
飛び降りる高さが高いほど地面への激突する速度が高くなり、落下中にバランスを崩し回転しながら激突するなど、致死率は確実に高くなる。最高速度で舗装道路などに激突すれば、死体を地面からはがすようにして回収しなければならない場合もあるという。下に植え込みや雪が積もっていた場合などは衝撃が幾分やわらげられて生還する可能性も高まる。ただし生還した場合でも全身打撲による骨折、内臓破裂、脳挫傷などを負っていることが多く、重傷でも緊急手術で救助される場合もあるが交通事故同様、重度の障害を負う場合も多い。
飛び降り自殺の場合、落下の恐怖心がなんらかの理由で麻痺した状態では、飛び降りるという行為と死の結果が結びつけられなく危険である。また、死ぬのではなく「楽になる」(やまない雨はない―妻の死、うつ病、それから… 文春文庫/倉嶋 厚)という思考で、その価値の比較も生と死ではなく、楽と苦の比較へと置き換わっている場合すらあり、飛び降りに至る場合がある 。また、低い所からの飛び降り自殺を繰り返す自殺未遂者があり、精神的な治療が成功せずに徐々に飛び降りる高さが高くなる者もいる。中高生の自殺の方法のうち首つり自殺と共にもっとも頻度の高い方法となっている[要出典]。
自殺の名所と呼ばれる場所のほとんどは、この飛び降り自殺がよく行われる風光明媚な場所を意味する。落下地点の第三者が巻き込まれ死亡する事件になることがある。死因は打撲による神経損傷による心停止、あるいは水面への場合は意識不明となり水死するなどである。
[編集] 刃物による失血死
刃物による失血死を試みるケースも少なくない。これはリストカット等の自傷行為を行っている人が少なくないことに由来する。失血死を試みる人、自傷による失血死をした人には実際に自傷行為経験者が多い。
静脈を切断した場合は、切ってから死に至るまでの時間が長いので、その間に誰かに見つかって未遂に終わることが多い。また、自殺する際の苦痛も大きい。ただし、心臓や動脈を切った場合は、出血性ショックにより死亡する可能性がある。なお、後述するが、死ぬのが目的ではなく自傷行為そのものが目的であったとしても、出血がひどくて失血死をしてしまう場合もある。
切ったのが静脈の場合、発見・対処が早ければ後遺症が残ることは稀である。切ったのが動脈の場合は、一刻も早く止血する必要がある。健康な成人の場合、体内から半分の血液が失われると死亡すると言われている[17]。ただし失った血液量にかかわらず、傷口が深い場合は神経が破損している場合や、そうでなくても切った傷跡が何年も残る。解剖学に通じてない者の場合、頚動脈を切ろうとして頚静脈を切ってしまう例があることが上記渡辺淳一『自殺のすすめ』に記載されている。
発見した場合は、たとえば腕を切っているのならば、脇をベルトやネクタイなどで止血する。腹などの場合は圧迫して止血し、止血した時間を救急に知らせる。なお自殺にかかわらず事故の場合も含め、腹部に刃物などが刺さっている場合に無理に抜くと、かえって傷口を広げる場合も多く、刃物が傷口の「栓」の役割も兼ねている場合は抜く事で失血死する可能性が高まる(浅沼書記長刺殺事件)ので抜かない。発見した場合は一刻も早く救急に連絡し、体温低下によって体力が消耗するのを防ぐために毛布などをかけて体温を保つ。無理に揺り動かすのは傷口が広がる可能性があるために良くない。針と糸で動脈などの傷口を縫合できれば生存率は上がる。
特徴的な自刃自殺として切腹があげられる。かつての武士がその名誉を守るために行っていた特殊な自殺法で自ら腹を切り裂き、一文字、十文字、さらに小腸をみずから引き出すことさえも行われ、自らに苦痛を与え耐える事も一つの目的であった。江戸時代に入ると身分により作法などが固定化した。武士階級が廃止された明治以後は稀になったが、軍人や思想家など武士道を重んじる人々がしばしば実行している。しかし、自決切腹では失血が直接の死因になることは少ない。太い動脈を切断することが困難であり、さらに突き刺した刃物が傷口に栓をする状態になるからである(突き刺した後、真一文字に切り裂くなど傷口を広げれば失血死の可能性はあるが激痛を伴うため実行できる者は稀である)。切腹による死因は内臓の損傷によるショックもしくは感染症による敗血症とされる。記録によれば死亡までには数日間掛かることがあったとされる。それゆえ、介錯人とよばれる介助人が首を切断するなどして死に至らしめて苦痛を終わらせたり、単独の場合は最後に自ら頸動脈を切断して絶命する。
[編集] 焼身自殺
自らの体にガソリンや灯油などの燃料をかけ、それに火をつけて行う自殺である。かつては油のしみこんだ蓑に火をつけて殺すなどの拷問的な火刑の一つに採用された方法ですらある。燃えるのは主に気化した燃料である。燃料は体温で気化し、引火後は燃焼で気化し燃焼を続け体を焼く。液体の燃料を体にかけると、厳冬期でも体の体温で気化し引火性のガスが被覆の間に充満し、僅かな火気や静電気に対しても非常に危険な状態になる。灯油などの着火点の低い燃料も体温による気化ガスが発生するので床に流れた灯油とは比較にならない引火性をもつ。ここで点火もしくは引火し着火すれば、一瞬で全身が火だるまになる。燃料がごく少量でも化繊の被覆ならばとけて燃え燃料とともに体を損傷する。肌を濡らすほどの燃料に引火すると、仮に消火に成功しても大きな障害がのこる。燃焼中も自らの皮膚が白く変色し硬化し激痛を感じる。広範囲な熱傷、気道熱傷を伴い死にいたることも多いが、即死に至る場合は少なく、死に至るまでの期間も比較的長いことが多く、呼吸不全、全身の火傷による激痛により苦痛は長く激しい。また、救命される例も多いが、急性期には集中治療を要し、その後も何度にもわたる激痛を伴う植皮手術を行う必要があり、その治療には長期を要する。回復後も四肢機能の低下や美容的問題などの後遺症を残すことが多い。
焼身自殺は、死そのものよりも見る者へ与えるインパクトの強さを狙った、過激な宣伝・抗議手段の1つとして行われる場合もある。例えば、韓国の反日デモにおいて焼身自殺を図った男性や[18]、ベトナム戦争当時の南ベトナム政権による仏教徒弾圧に対する抗議のためにビデオカメラの前で焼身自殺したティック・クアン・ドック(釋廣德)師などが知られている。左翼思想を持つロックバンド、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの初アルバムには炎に包まれるティック・クアン・ドックの写真が載せられている。[19]
[編集] 銃による自殺
日本では銃は銃刀法によって厳しく取り締まりが行われているため、銃による自殺は極めて少なく、拳銃自殺にいたってはほとんどが警察官である。それに対して銃の所持に寛容な国では銃による自殺も多い[20]。中でもアメリカは自殺手段の半分以上を銃が占める[21]。銃自体も100ドル程度から手に入り、弾丸も1 発20セントから買える[22]。また、自衛の意識が強く、狩りが盛んなため、多くの家庭に銃があり、スーパー等で手軽に弾薬も購入できる。アメリカ以外では、カナダ[23]、イタリア[要出典]、オーストラリア[24]などの国々も、銃による自殺が多い。
銃で頭を撃ちぬいても脳幹の機能を破壊できないと死亡に至らない。映画等でよく描写される拳銃自殺にこめかみに銃口を当てて引き金を引くという方法があるが、発射の反動や引き金の固さ(大型リボルバー等はげき鉄をあげても引き金はかたく、射撃も両手で行う)によって銃口が動き弾道が逸れ失明しても生存する場合がある[25]。そこで、より確実な方法として脳幹を狙える口に銃口をくわえて発射する方法を取る方法を選ぶ場合が古くからある。1993年に、クリントンアメリカ大統領次席法律顧問のヴィンセント・フォスターや、1945年8月15日古賀秀正近衛第一師団参謀が割腹した時、とどめに口中を撃っている。2007年6月に島根県出雲市の出雲署内で、25歳の女性巡査長が拳銃で口から頭を撃つ等多数例がある。
[編集] 専用機器による自殺
アメリカの病理学者、ジャック・ケヴォーキアンが製作した自殺装置によって自殺した人もいる。この自殺装置は3本のボトルとそれぞれの流れを調整するタイマーからできており、ボトルにはそれぞれ生理食塩水、麻酔薬(ペントソール)、塩化カリウム水溶液が入っている。まず点滴のように静脈に針を刺し、食塩水を流す。次に自殺志願者がボタンを押すと、食塩水が麻酔薬に変わり、志願者は眠りに入る。さらに数十秒後、麻酔薬から塩化カリウム水溶液に変わり、死亡するというものである。ただし、これは不治の病気などに悩む人がなるべく苦しまずに死ねるようにと作られた尊厳死のための装置として作られた。尊厳死を認めるか否かは別として、使う本人を死に至らしめると言う点から単純に「自殺装置」と呼ばれるが、上記の目的から考えるとこの呼び名には語弊がある。
[編集] 感電
自分の身体を感電させることによって自殺する方法。完全自殺マニュアルによれば1995年の日本の統計では感電自殺者の95%が男性という極端に性差の激しい手段として紹介されている。
[編集] 自殺の類型
[編集] 拡大自殺
直接の自殺ではないが自ら死を招く行動を取る事詳しくは拡大自殺を参照。
[編集] 宗教的な自殺
いわゆる殉教。一部の宗教である種の死によって魂が救われると説くため発生する。自爆テロや即身仏、生贄など。
[編集] 安楽死・尊厳死
自殺希望者が取れうる選択肢は、どれも痛みや苦痛を伴うものばかりで躊躇し苦しみ続けている現状がある。麻酔などを利用し安らかに死ねる環境の提供が求められている。
[編集] 自殺の判定
自殺は自らの意思で自らを殺そうとすることとされるが、外面上自殺に見える場合であっても必ずしも自殺と判断できない事もある。この問題が持ち上がるのは、自殺があくまで「自分の意思の結果」であるという前提があり、手法による判別ではないからである。すなわち、自身が行うことのできる行為は、他者が行いうるとも言い換えることができるわけで、死因鑑定や法医学的鑑定上、自他殺を判定する場合においては、実際の自殺死であっても、必ず「自殺で起こり得る」という範囲での判定であり、はっきり自殺と断定しているとはわけではない点が、極めて注意すべき重要な点である。
警察の捜査で自殺と断定された事件が事故または殺人事件ではないかと疑われる例は以前から存在しており、徳島自衛官変死事件のように遺族とのトラブルや訴訟となった例もある。また逆に、自殺であるにもかかわらず、警察や遺族によって事故とされている場合も存在するのではないかと言われる。突発的な自殺願望によって、遺書も書かずに電車や車に飛び込み自殺したと疑われる場合である。
なお、日本国内の自殺を取り扱った統計