マダム・ヌー

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マダム・ヌー
マダム・ヌーとアメリカリンドン・ジョンソン大統領
生誕 Flag of Colonial Vietnam.svg1924年4月15日
フランス領インドシナハノイ
死没 2011年4月24日(満87歳没)
イタリアの旗 イタリアローマ
職業 ゴ・ディン・ヌー南ベトナム大統領顧問夫人
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マダム・ゴ・ディン・ヌーMadame Ngo Dinh Nhu, 本名:Trần Lệ Xuân(陳麗春、チャン・レ・スアン)、1924年4月15日 - 2011年4月24日)は、南ベトナムゴ・ディン・ジエム初代大統領の実弟である大統領顧問ゴ・ディン・ヌーの妻。

目次

[編集] プロフィール

[編集] 生い立ち

マダム・ヌー」と呼ばれたヌー夫人は、恐らく夫以上に有名である。当時フランス植民地で、「フランス領インドシナ」と呼ばれていた現在のベトナムの首都ハノイ弁護士の父親の元で生まれる。

ゴ・ディン・ヌーとアメリカのリンドン・B・ジョンソン副大統領

高校卒業後に国立図書館で勤務し、第二次世界大戦中の1943年に、後に南ベトナム大統領の顧問になるゴ・ディン・ヌーと結婚した。結婚後、夫に合わせて仏教徒からキリスト教徒に改宗する。

[編集] 反共主義者

この時住んでいたフエ市内に、第一次インドシナ戦争におけるフランスの敗戦でホー・チ・ミン率いるベトミン軍が進駐。ベトミンと敵対したフランスや、その傀儡となっていた阮朝と関係が深かったため、「反べトミン派」とみなされた彼女を含めた一家は4ヶ月間軟禁されて、一日粥二杯のみの食事という悲惨な待遇を受け、さらに長兄一家は銃殺されてしまう。この軟禁中の待遇の冷酷さが、彼女を強烈な反共産主義者に仕立てていった。

1955年に夫の実兄であるゴ・ディン・ジエムが南ベトナムの初代大統領となったが、生涯を通じ結婚しなかったため、ゴ・ディン・ジエムの実弟で大統領顧問のゴ・ディン・ヌーの妻で、「マダム・ヌー」と呼ばれることとなった彼女が、事実上の南ベトナムのファースト・レディとして振舞う事になった。

[編集] ドラゴン・レディ

彼女の気性は激しく、1960年代初頭に、カトリック教徒優遇政策と仏教徒に対する弾圧を推し進めたジエム政権に抗議して首都サイゴン市内で焼身自殺を図った僧侶ティック・クアン・ドック師の行動を、「あんなのは単なる人間バーベキューよ」、「僧侶が一人バーベキューになったからなんだっていうの」、「西欧化に抗議するのにアメリカ製のガソリンを使うなんて矛盾してるわ」などとアメリカのテレビ局のインタビュー上で揶揄し、世界中から大顰蹙を買った。

マダム・ヌーのこの不見識な発言は世界中のメディアで報道され、当時の南ベトナムの事実上の宗主国であるアメリカジョン・F・ケネディ大統領の怒りを買い、ケネディ大統領の黙認のもと実行され、結果的に夫と義兄の命を奪った1963年11月の軍事クーデターの一因になったと言われている。この様な発言を連発した事と、実力者である夫の威を借りて強権的な態度を取り続けたことから、欧米のメディアから「ドラゴン・レディ」という渾名をつけられた。

[編集] 国外逃亡後

1963年11月の軍事クーデター後に国外逃亡し、1964年に南ベトナムに戻ろうとしたが入国を拒否され、事実上の国外追放となった。その後ベトナム戦争の期間を含めて帰国することはかなわず、アメリカやイタリアフランスなど欧米諸国を転々とした。2011年4月24日にイタリアローマの病院で死去した[1]

[編集] 関連項目

[編集] 参照

[編集] 脚注

[編集] 外部リンク

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