日本人とロシア人の友好の家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本人とロシア人の友好の家(にほんじんとロシアじんのゆうこうのいえ)は、衆議院議員鈴木宗男の尽力により、いわゆる北方領土問題において日本が領有権を主張する島々の一つである国後島の中心集落・古釜布(ロシア語地名、ユジノクリリスク)に1999年10月24日に完成した施設の日本語名称である。友好の家(ゆうこうのいえ)と略される場合もある。ロシア語名称は、Дом Дружбы。実際には、ムネオハウスという通称のほうがよく知られている。
国後島の行政府庁からすぐの市内中心部、北海道国後郡泊村古釜布グネチコ通りに建つ。電話番号は 7(ロシアの国番号)-42455(市外局番)-22155 であり、日本からの通話はロシア向け国際電話となる。
目次 |
[編集] 概要
建物は2階プレハブ建ての比較的簡素なつくりであり、部材はすべて日本本土から持ち込んだもので、鈴木代議士の働きかけにより根室に本社がある渡辺建設工業が元請となって建設された。総工費は、4億1685万円。内部はほぼ完全に日本の様式になっている。1室の定員は、2~6人と室により異なる。付帯設備として、シャワー式浴場、食堂、厨房、洗面所、洗濯機、管理人室などが設置されている。これらの室にある家具類も、すべて日本本土から持ち込まれたものである。配電は、ロシア仕様のコンセントと、日本仕様の100Vのコンセントの両方がある。
「友好の家」の本来の使用目的はロシア人の避難所であるが、実態は、ビザなし交流で国後島を訪れた日本人訪問団、ならびに日本にビザなし交流で赴くロシア人島民の宿舎として利用されてきた。施設の管理はロシア側が行っている。鈴木宗男代議士が外務省に対し権勢を振るっていたころは、日本政府から潤沢な維持費が提供されていたが、鈴木宗男事件によって鈴木代議士の失脚した後は全て打ち切られた。このため、内部の維持に経済的に苦慮する状態となっており、ビザなし交流団だけでなく一般観光客などさまざまな人を宿泊させるホテルのように利用されて維持費を捻出している。2006年8月16日に発生したロシアによる日本の蟹かご漁船への銃撃・拿捕事件(詳しくは貝殻島を参照)で、坂下船長をはじめとする乗組員が一時この施設に拘束されていた。
[編集] 国会における追及
日本共産党の佐々木憲昭衆議院議員は、2002年2月13日の衆議院予算委員会において、「鈴木さん、あなたは私たちの友達です」という横断幕が掲げられた「日本人とロシア人の友好の家」の写真を提示した。この時「現地ではムネオハウスと呼ばれている」と言及し、語感のインパクトからマスコミが喧伝したため、「友好の家」はこの名前で知られるようになった。 続く2002年2月20日衆議院予算委員会において、渡辺建設工業が建設工事を受注した見返りとして鈴木代議士への政治献金を150万円上乗せしていると追及した。 この二度目の追及に関し、元日本共産党参議院議員の筆坂秀世は、「共産党に国会で質問してもらいたい事柄に関する外務省の秘密書類が、質問当日の朝、議員会館に届けられた」と証言している(『北方領土特命交渉』199ページ)。事実、佐々木代議士は、「国後島緊急避難所兼宿泊施設(メモ)」という外務省の秘密内部文書を質問に使用した。さらにこの点については、鈴木代議士本人や鈴木代議士と共に逮捕された佐藤優(元・外務省国際情報局分析第一課主任分析官 現在は作家として活動)の2氏も、共著[1]の中で筆坂をゲストという形で招いて対談し、アメリカとの同盟関係を強めていた小泉政権の下で、ロシアとの独自のパイプを持って外交にイニシアティブを発揮していた鈴木代議士を失脚させたい外務省が、鈴木議員の利権問題をとらえて、日本共産党の質問に乗った疑惑があることに言及し、これを非難している。
[編集] ムネオハウスムーヴメント
この疑惑が浮かび上がった2002年2月頃に、インターネット掲示板2ちゃんねるのテクノ板で「アシッドハウス=ムネオハウス」というスレッドが立てられた。
当初はただの駄洒落で立てられたというスレッドだったが、スレッドの中でテクノ板の住人達が、鈴木宗男ら当時の国会議員の答弁等の声をサンプリングしたハウスミュージックを発表すると、その完成度の高さがネット内外で大きな話題となった。ちょうど学校の春休みの時期と重なり、心得のある大学生・住人などが、楽曲は勿論、楽曲を題材にしたPV仕立てのFlashムービーや、架空のCDジャケットを制作し、そのクオリティの高さでも話題となった。
当時は全員が「DJ MUNEO」の名の下に匿名で楽曲を発表するのが習わしであったが、同ムーブメントをきっかけに画像や音楽のプロとして活動を始めた者、プロ活動歴がありながら同ムーブメントに参加した者もいるといわれる。唯一、後に同じ2ちゃんねるのバイク板内で「フルスロットル」を作詞したnaosが、同ムーブメントの参加者であったことを明言している[1]。
楽曲はハウスやテクノは勿論、ユーロビート、トランス、ヒップホップ、R&Bなど多岐にわたったが、これらのジャンルも総称して「ムネオハウス」と呼ばれた。 2002年の春から夏にかけて、新宿・京都のディスコ、クラブなどでイベントが開催され[2]、それに伴い楽曲のダウンロード数も連日増加し、一時は楽曲を保管するサーバの転送量が問題になるほどの盛り上がりを見せた。
2003年以降、ブームが去った後も、場所を公式サイトの掲示板に移して楽曲は制作し続けられ、現在に至るまでアルバムにして約20枚相当の楽曲が完成している。
当初は当然のことながら本人の許可を取らないアングラ的な活動として行われていたが、2004年5月に札幌で、2006年2月に東京で開催されたムネオハウスのクラブイベントには「MCムネオ」として鈴木宗男本人も参加するなど、現在では事実上本人公認となっている。
[編集] 脚注
- ^ 『反省 私たちはなぜ失敗したのか?』 (アスコム・2007年 筆坂はこの問題に関連する章に、ゲストとして登場)ISBN 4776204355
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 日本共産党佐々木代議士公式サイト中の、鈴木代議士を追及したページ – 外務省提供資料を使った国会での質問状況などが書かれている。
- 渡辺建設工業 -- 根室市で唯一、公共事業を受注する能力があるとされている企業。ムネオハウス以外にも、数多くの事業を今日まで受注している。
- ムネオハウスムーヴメント公式サイト

