寺島実郎

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てらしま じつろう
寺島 実郎
生誕 1947年8月11日(67歳)
日本の旗 日本 北海道雨竜郡沼田町
出身校 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程[1]修了

寺島 実郎(てらしま じつろう、1947年8月11日 - )は、日本評論家多摩大学学長教授立命館大学国際関係学部客員教授、帝塚山大学特別客員教授、立命館アジア太平洋大学国際経営学部客員教員、三井物産戦略研究所会長、日本総合研究所理事長、新潟県知事泉田裕彦後援会会長。


略歴[編集]

日本総合研究所

  • 2001年6月 - 理事長
  • 2006年4月 - 会長
  • 2010年6月〜 - 理事長に再任

学術分野

受賞[編集]

  • 1994 寺島実郎「新経済主義宣言-政治改革論議を超えて」(『中央公論』1994年2月号)で第15回石橋湛山賞を受賞。
  • 2000 経済界大賞特別賞受賞。
  • 2006.10 経済産業大臣表彰 個人表彰「情報セキュリティ促進部門」。
  • 2010.4 早稲田大学名誉博士学位取得。

経歴[編集]

幼少時代

  • 小学生時は1950年半ばの日本各地の炭鉱閉鎖が相次ぎ、炭鉱の子息が空腹だった光景を見たのが社会を考える最初のきっかけとなった。
  • 高校時代は読書や日記執筆に明け暮れた。
  • 学生時代は博報堂でのアルバイト、学生運動に明け暮れた。
  • 大学院生時代の1972年に統計数理研究所青森県六ヶ所村水島コンビナートがある岡山県倉敷市などの社会意識調査を手伝った。
  • 商社では異例の文系修士での内定だが、これは当時の人事部長が特別に配慮して入社試験を受ける機会を作ったのがきっかけ。
  • 三井物産の調査部時代は各国での調査やプロジェクトに明け暮れる。人脈を気づき、アメリカ・中東の知識を肥やし、1つの国を見る際に他の諸外国からの視点を考える姿勢を身に着ける。水上達三(当時は相談役)の下働きも経験。
  • 上記のように商社での営業経験はない。

論調など[編集]

  • 政治経済における東アジア統合を唱えており、憲法9条2項の改正とともに、対等な日米同盟とアジアでの多国間安保関係を提唱する一方で、軽武装・経済国家路線の堅持を説くなど、穏健な保守派として知られる。ジョージ・W・ブッシュ政権となって以降はしばしば反米的な発言をするが、本来は親米派であり、「親米入亜」)[3]を標榜している。
  • 日本のエネルギー戦略の脆弱さを指摘して、「日本人は原発をもっと引き受ける覚悟が必要ではないか」(NHK BS1『世界潮流2006』)と発言したこともある。東日本大震災後においても、「日本の原発技術を絶やしてはならない」と発言し、早期の原発再稼働や原発技術の海外輸出推進を主張している。
  • アメリカ同時多発テロ事件陰謀説を強く支持し、事件の背後には巨大な陰謀がある・ペンタゴンへの航空機突入はアメリカ政府の演出であり実際には突入していない・ユナイテッド航空93便テロ事件の墜落現場は偽装されたものである・自爆犯とされた19人のうち8人は生きている、などの主張がなされる藤田幸久編著『9.11テロ疑惑国会追及』(2009年、クラブハウス)[4]に、「9.11を合理的に直視・再考することの大切さ」「粘り強く事実を追い求めることは、現代史を謎に終わらせないために不可欠である」との推薦文を寄せた。
  • 民主党の鳩山政権誕生後は鳩山首相の外交ブレーンとみなされており[5]、鳩山が『Voice』(2009年9月号)に寄稿した論文[6]のシナリオライターと思われている。インド洋における海上自衛隊による補給活動の撤退や沖縄の普天間基地を巡る問題に関して官邸にFAXで頻繁に助言していると言われている。2009年12月には、緊張が高まっていた日米関係の誤解を解くとの目的でワシントンを訪れたが、米政府の有力者とは会談できなかった[7][8][9]
  • 産経新聞』は、鳩山政権の対米政策への批判が高まるにつれ、伝統的な知米派とされる岡本行夫などへブレーンを交代させることが検討されていると報道した[10]
  • 倫理観に関して積極的に発言しており、下記に代表される意見のように、より自由な社会より一定の倫理基準に沿った社会を志向している。
    • 「一九九四年二月号の『中央公論』に、私は『新経済主義宣言』という論稿を書いた。私にとっては石橋湛山賞をもらった記憶に残る論文だが、心の中にあった問題意識は、冷戦の終焉といわれた直後のロシア・東欧など旧社会主義圏といわれる地域を動いてみて、西側が東側に持ち込んでいるものが、溢れるばかりの商業主義、マネーゲーム、卑猥な風俗であり、こんなことで“西が東に、資本主義が社会主義に勝利したといえるのか”という怒りにも近い感情であった」[11]

その他[編集]

  • 三井物産で毎年新入社員に講演をする。
  • 多摩大学に関わるようになってから、ここに三井物産出身の教員が増えた。
  • 多摩大学で現在行われている取り組みのうち、リレー講座[12]、・インターゼミ[13]を企画したのは寺島である。
  • 九段下に“寺島文庫”があり、自らが集めた本[14]やコレクションなどが置いてある。
  • 趣味はボクシング

社会的活動[編集]

家族[編集]

  • 父親は明治鉱業の幹部。
  • 母親は赤十字東京都で勤務、戦前に看護婦養成学校教員、戦後に炭鉱の生活の近代化や給食活動に力を注ぎ、90歳まで生きた。
  • 2つ年上の兄がいる。

著書[編集]

単著[編集]

  • 『地球儀を手に考えるアメリカ 21世紀・日米関係への構想』(1991年、東洋経済新報社
  • 『ふたつの「FORTUNE」 1936年の日米関係に何を学ぶか』(1993年、ダイヤモンド社
  • 『新経済主義宣言』(1994年、新潮社
  • 『ワシントン戦略読本 ホワイトハウスの見える窓から』(1997年、新潮社)
  • 『国家の論理と企業の論理 時代認識と未来構想を求めて』(1998年、中公新書
  • 『団塊の世代 わが責任と使命 戦後なるものの再建』(1999年、PHP研究所
  • 『一九〇〇年への旅 あるいは道に迷わば年輪を見よ』(2000年、新潮社)
  • 『「正義の経済学」ふたたび 日本再生の基軸』(2001年、日本経済新聞社
  • 『寺島実郎の発言 時代の深層底流を読む』(2001年、東洋経済新報社)
  • 『歴史を深く吸い込み、未来を想う 一九〇〇年への旅 アメリカの世紀、アジアの自尊』(2002年、新潮社)
  • 『脅威のアメリカ 希望のアメリカ この国とどう向きあうか』(2003年、岩波書店
  • 『脳力のレッスン 正気の時代のために』(2004年、岩波書店)
  • 『われら戦後世代の「坂の上の雲」』(2006年、PHP新書
  • 『寺島実郎の発言Ⅱ 経済人はなぜ平和に敏感でなければならないのか』(2007年、東洋経済新報社)
  • 『脳力のレッスンII 脱9.11への視座』(2007年、岩波書店)
  • 『世界を知る力』[15](2009年、PHP新書)
  • 渋沢栄一の「士魂商才」』(2010年、中経出版
  • 『時代との対話 寺島実郎対談集』(2010年、ぎょうせい
  • 『問いかけとしての戦後日本と日米同盟 脳力のレッスンIII』(2010年、岩波書店)
  • 『世界を知る力 日本創生編』(2011年、PHP新書)

共編著[編集]

その他[編集]

  • 慶應MCC夕学セレクション『世界潮流と日本の進路』(2008年、日本音声保存)

出演[編集]

 その他多数

脚注[編集]

  1. ^ 1972年に統計数理研究所で社会意識調査をした経歴がある。
  2. ^ 担当講義は「国際情報戦略論」
  3. ^ 『潮』(潮出版社)号数不明。近年は“アジアダイナリズム”の重要性を説いている。
  4. ^ 藤田幸久による著書紹介
  5. ^ 時事ドットコム:稲盛、寺島氏と会談=鳩山民主代表[リンク切れ]
  6. ^ 鳩山由紀夫 「私の政治哲学」, 2009年8月10日.
  7. ^ ”四面楚歌の鳩山首相…米は対話相手にせず(1)”, 中央日報, 2009.12.08.
  8. ^ 古森義久 ”オバマ政権 鳩山「特使」を拒絶 政権混乱で厳しい姿勢”, 産経新聞, 2009/12/11.
  9. ^ ”オバマ政権 鳩山「特使」を拒絶 政権混乱で厳しい姿勢”, MSN産経ニュース, 2009/12/11.
  10. ^ 日米関係の深刻さにやっと気づいた?首相、外交ブレーン交代を模索, MSN産経ニュース, 2009.12.22.[リンク切れ]
  11. ^ 『世界』2009年2月号(岩波書店)「特別篇:直面する危機の本質と日本の進路」
  12. ^ 毎週木曜の公開講座、講師は毎回異なる
  13. ^ 主な活動場所は寺島文庫、1つのテーマに沿って、学部生・社会人院生・教員が協力し、1年間研究していくゼミ
  14. ^ 元々は駒沢の自宅に置いてあったものが増えてきたため、それらを移してきた
  15. ^ 少々難関名な著書が多い寺島のものとしては珍しくベストセラーになった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]