山崎広太郎
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山崎 広太郎(やまさき ひろたろう、1941年9月3日 - )は、日本の元政治家。衆議院議員(1期)、福岡市長(2期)を歴任した。福岡県選出の衆議院議員(2009年に落選)に同姓の山崎拓がいるため、区別のために苗字ではなく名前で呼ばれることもあったが、血縁関係はない。
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[編集] 経歴
- 1941年9月3日 朝鮮全羅北道全州府(現・韓国全羅北道全州市)に生まれる。
- 1945年 父親の郷里である島根県出雲地方に引揚げ
- 1946年 福岡市の郊外である筑紫郡春日村(現・春日市)に引っ越し。中学校時代、父親が蕎麦屋を開業。本人も蕎麦打ちを覚え、家業を手伝う。
- 1960年 福岡県立修猷館高等学校卒業
- 1965年 九州大学法学部政治学科卒業、自民党福岡県支部で働く。
- 1971年 福岡市議会初当選、以来5期19年務める
- 1985年 福岡市議会議長就任、2期5年務める
- 1989年 全国市議会議長会会長に就任
- 1991年 福岡県知事選挙に出馬するが、落選
- 1993年 第40回衆議院議員総選挙に日本新党から出馬し、旧福岡1区で初当選。国会では地方分権特別委員会の理事を務め、地方分権推進法の成立に尽力。
- 1996年 第41回衆議院議員総選挙に新進党から出馬するが落選。
- 1998年 福岡市長選挙で現職の桑原敬一を破り初当選。同年12月7日より福岡市長に就任。
- 2002年 福岡市長選挙で再選(無所属=自民党、民主党、公明党、自由党、保守党推薦)。
- 2006年
- 9月26日 市職員の飲酒運転による幼児3名の死亡事故の責任を取り、10月分の給与を20%減額することを発表、陳謝した。
- 11月19日に投開票が実施された福岡市長選挙に3選を目指し出馬したが、新人の吉田宏に2万票の差をつけられ敗れ落選。12月6日に退任すると同時に政界引退。
- 2008年NPOライオンズの森プロジェクトを自ら設立。ライオンズクラブで国際的に協力を得てマングローブの森をつくるプロジェクトに尽力している。
[編集] 人物
生家は蕎麦屋を営んでおり、本人も蕎麦打ちをする。大学を卒業後、上京。自由民主党職員として政治の頭角を表す。福岡市長を2期務める。市長を辞めた後でも、市職員が集まる人望の厚い人物。趣味は水彩画。2008年11月初旬「瓢箪の会二人展ーチャリティ絵画展」を彼の友人でもある日本画家 平松礼二と福岡で催した。インドネシアでマングローブ植林活動を行うNPOライオンズの森プロジェクトを2008年発足。現在も「文明の後に森を残す」という大義のもとに植林活動を続けている。
[編集] 五輪招致
山崎は福岡市の2016年の夏季オリンピック開催地立候補に早くから活動した。しかし、2006年8月30日に開催されたJOCの立候補都市選定委員会における投票の結果、22対33で東京都に決定した。
[編集] 著書
- 昭和56年「水は関門海峡を渡れないか」。
- 昭和61年「福岡はシナリオをつくれるか」。
- 平成2年「ハートウォーミングシティ」
[編集] 外部リンク
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