問責決議
問責決議(もんせきけつぎ)とは、国または地方自治体の議会において、政治任用職にある者(閣僚など)、または議会の役員(議長・委員長など)の責任を問うことを内容として行われる決議をいう。類似のものとして不信任決議(信任決議)、解任決議、辞職勧告決議などがある。
目次 |
[編集] 概説
日本の国会においては参議院で国会決議として議決される例が多い。衆議院の場合、内閣を信任しない場合には、内閣不信任決議を可決(または内閣信任決議を否決)することで、内閣に対し、内閣総辞職あるいは衆議院解散によって改めて民意を問う法的義務を負わせることができる(日本国憲法第69条)。しかし、参議院にはこのような不信任決議権が認められておらず、内閣の政治的責任を問おうとする場合には法的拘束力のない「国会決議」という形式を用いることになる。
また、内閣不信任決議が合議体としての内閣を対象としたものであるのに対し、問責決議は、内閣総理大臣、国務大臣、副大臣など公職者個人を対象にするものである。
[編集] 国務大臣等に対する問責
問責決議そのものには法的拘束力はないが、日本国憲法は、内閣総理大臣指名選挙について、衆議院・参議院両院において指名することを定めている(日本国憲法第67条)。両者の議決が一致しない場合の衆議院の優越も予定されているものの(同条2項)、少なくとも憲法は、参議院にも首相指名への一定の関与を認め、これを通じて、政府の構成にも一定程度関与させることを意図していると考えられる。
その参議院が現職の国務大臣等を名指しして責任を問う旨の決議を行う(=その閣僚を信任していない意思表示)を行うことには、先述した憲法の趣旨に照らして、一定の政治的意味があると考えられている。
問責された閣僚等が出席する国会において野党議員が問責決議があることを大義名分として出席しない(審議拒否)などの行動を取ることが予想される[1]。国会委員会の定足数は定数の半数であるため、もし参議院で野党が過半数を占めるねじれ国会の場合、当該閣僚等が出席してくる参議院委員会において野党議員が全員欠席すれば参議院委員会を開くことはできず、当該閣僚等の参議院委員会での発言権が事実上封じられ国会審議が混乱する。国会審議混乱は政権にとって痛手になるため、国会が平常化するには当該大臣等の辞任が望ましいとされ、問責決議可決は当該閣僚等の辞任につながる政治的効果があると考えられている。
一方で問責された閣僚等が出席する国会への審議拒否という行動には、世論の支持を得るかによって審議拒否という対応を貫き通せるかが決まってくる。もし問責となる大義名分が不十分であるために野党議員の審議拒否への世論の批判が強くなった場合、野党議員は国会審議に復帰せざるを得なくなると考えられている。当該閣僚等が辞任することなく野党議員が国会審議に復帰した場合、問責決議可決が当該閣僚等を辞任させるという政治的効果はなくなる。
首相と閣僚は日本国憲法第63条で国会出席権と発言権が明記されているため、参議院は首相や閣僚抜きに審議を行う議事は憲法上できず、一切の審議を止める形で首相や閣僚の辞任圧力を加えることになる。なお、首相や閣僚以外の行政府の人間については、議長や委員長の議事権で当該人物を出席させずに、当該人物抜きで審議をすることが可能である[2]。
[編集] 過去に可決された例
[編集] 第二次世界大戦前
大日本帝国憲法には議院内閣制についての明文上の規定がなく、よって帝国議会は、当時の衆議院・貴族院とも、日本国憲法下のような内閣不信任決議の法的権限をもたなかった。実例をみると、主として衆議院が「内閣不信任決議」という名称の決議を可決した事例を数多く確認することができるが、法的な根拠を欠く点については今日にいう問責決議と同様である。ただし当時「憲政の常道」として、衆議院の信任なき内閣は退陣するか衆議院解散で信を問うべきであるとする考えは根強く、第二院に位置付けられる後の参議院の問責決議よりは強い道義的根拠を有していた。
[編集] 現行憲法下
日本国憲法の下、参議院が発足して以降に問責決議が可決された例は現在のところ7例ある。なお、いずれにおいても参議院では野党が過半数を占めていた。
- 1998年10月16日、額賀福志郎防衛庁長官に対するもの。防衛庁調達実施本部背任事件に関連し、自身が大臣を務める省庁での汚職発覚を理由に、額賀の責任を問う決議であった。額賀は1ヶ月後に引責辞任した。
- 2008年6月11日、福田康夫首相に対するもの。野党の求める後期高齢者医療制度廃止に福田政権が応じないこと、参議院が否決した法案を与党が衆議院で再可決したことが理由に挙げられた。これを受け、与党は翌日に衆議院で内閣信任決議を行い対抗した。問責を直接の理由とするものではないが、結果的に福田内閣は3ヶ月後に退陣している。
- 2009年7月14日、麻生太郎首相に対するもの。野党が再三衆議院の解散を求めたにもかかわらず引き延ばし続けてきたことや、「発言のぶれ」が理由に挙げられた。このときは同日に衆議院で内閣不信任決議案が否決されている。衆議院議員の任期満了が迫る中で行われた解散総選挙での与党敗退により、麻生内閣は2ヶ月後に退陣した。
- 2010年11月26日から27日にかけて、仙谷由人内閣官房長官、馬淵澄夫国土交通大臣に対するもの。尖閣諸島中国漁船衝突事件への対応の批判などが決議理由となっている。休憩を挟んではいるが、2件連続して可決された例としては初。約2か月後に内閣改造で退任。
- 2011年12月9日。一川保夫防衛大臣、山岡賢次国家公安委員長兼消費者担当大臣に対するもの。一川は就任以来の数次にわたる防衛閣僚としての不適切な言行(詳細は当該記事を参照)、山岡はマルチ商法業者からの政治献金受けに対するもの。自民、公明ほか野党7党の賛成多数で可決された。当初野田佳彦内閣総理大臣は更迭しない方針を明言し、問責決議が可決された閣僚自身も辞任はしなかったが[3][4]、35日後の2012年1月13日の内閣改造(野田改造内閣発足)に伴い、両閣僚を更迭した。
[編集] 国務大臣以外に対する問責
[編集] 議院の役員
常任委員長については本会議での決議により解任できることとなっているため(国会法30条の2)、解任まで求める場合は「解任決議」が問責的な場合は不信任決議が行われる。決議による解任規定の無い議長、副議長、事務総長等に対しては「不信任決議」が、特別委員長に対しては問責決議がそれぞれ用いられる。国会議員に対して院外における不祥事などが理由とされる場合は「辞職勧告決議」が用いられる。
[編集] 地方公共団体首長
地方公共団体の議会は首長に対する不信任決議を行う権限があるが、成立条件が出席議員の3/4の賛成(定足数2/3)と厳しいうえ、不信任決議を受けた首長は議会解散により対抗することができる。そのため、法的拘束力をもたないものの単純過半数によって可決できる問責決議によって首長の糾弾が行われることがある。
[編集] 一覧表
[編集] 国務大臣に対する議決一覧
| 本会議採決日 | 問責対象者 | 役職 | 採 決 |
可 | 否 | 票 差 |
備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1956年(昭和31年)3月5日 | 鳩山一郎 | 内閣総理大臣 | 否決 | 41 | 100 | 59 | 戒告決議案。 |
| 1956年(昭和31年)5月30日 | 河野一郎 | 農林大臣 | 否決 | 67 | 123 | 56 | 戒告決議案。 |
| 1964年(昭和39年)6月20日 | 賀屋興宣 | 法務大臣 | 否決 | 48 | 122 | 74 | 参議院初の問責決議案採決例。 |
| 1965年(昭和40年)10月28日 | 福田赳夫 | 外務大臣 | 否決 | 106 | 132 | 26 | |
| 1971年(昭和46年)11月9日 | 田中角榮 | 通商産業大臣 | 否決 | 110 | 133 | 23 | |
| 1972年(昭和47年)6月16日 | 佐藤栄作 | 内閣総理大臣 | 否決 | 108 | 131 | 23 | 参議院初の首相問責決議案採決例。 |
| 1973年(昭和48年)9月22日 | 山中貞則 | 防衛庁長官 | 否決 | 83 | 129 | 46 | |
| 1973年(昭和48年)9月24日 | 奥野誠亮 | 文部大臣 | 否決 | 85 | 127 | 42 | |
| 1974年(昭和49年)5月27日 | 奥野誠亮 | 文部大臣 | 否決 | 62 | 95 | 33 | |
| 1974年(昭和49年)7月31日 | 田中角榮 | 内閣総理大臣 | 否決 | 121 | 128 | 7 | 否決例における最小の票差。 |
| 1975年(昭和50年)12月12日 | 大平正芳 | 大蔵大臣 | 否決 | 114 | 125 | 11 | |
| 1975年(昭和50年)12月24日 | 三木武夫 | 内閣総理大臣 | 否決 | 117 | 127 | 10 | |
| 1983年(昭和58年)5月25日 | 中曽根康弘 | 内閣総理大臣 | 否決 | 63 | 109 | 46 | |
| 1988年(昭和63年)12月24日 | 竹下登 | 内閣総理大臣兼大蔵大臣 | 否決 | 98 | 136 | 38 | |
| 1988年(昭和63年)12月24日 | 梶山静六 | 自治大臣・国家公安委員長 | 否決 | 83 | 136 | 53 | |
| 1988年(昭和63年)12月24日 | 林田悠紀夫 | 法務大臣 | 否決 | 77 | 134 | 57 | |
| 1992年(平成6年)6月7日 | 宮澤喜一 | 内閣総理大臣 | 否決 | 100 | 135 | 35 | |
| 1994年(平成8年)1月26日 | 畑英次郎 | 農林水産大臣 | 否決 | 106 | 130 | 24 | |
| 1995年(平成9年)6月14日 | 村山富市 | 内閣総理大臣 | 否決 | 62 | 158 | 96 | 記名投票における最大の票差。 |
| 1998年(平成10年)6月17日 | 橋本龍太郎 | 内閣総理大臣 | 否決 | 97 | 128 | 31 | |
| 1998年(平成10年)10月16日 | 額賀福志郎 | 防衛庁長官 | 可決 | 140 | 103 | 37 | 参議院初の可決例(本文)。 35日後の11月20日に辞任。 |
| 1999年(平成11年)8月12日 | 小渕恵三 | 内閣総理大臣 | 否決 | 77 | 140 | 63 | |
| 1999年(平成11年)8月12日 | 陣内孝雄 | 法務大臣 | 否決 | 91 | 137 | 46 | |
| 2000年(平成12年)5月31日 | 森喜朗 | 内閣総理大臣 | 否決 | 108 | 134 | 26 | |
| 2001年(平成13年)3月14日 | 森喜朗 | 内閣総理大臣 | 否決 | 105 | 138 | 33 | |
| 2001年(平成13年)4月5日 | 武部勤 | 農林水産大臣 | 否決 | 102 | 114 | 12 | |
| 2001年(平成13年)7月31日 | 小泉純一郎 | 内閣総理大臣 | 否決 | 97 | 135 | 38 | |
| 2002年(平成14年)7月16日 | 竹中平蔵 | 経済財政政策担当大臣 | 否決 | 100 | 137 | 37 | |
| 2003年(平成15年)7月24日 | 川口順子 | 外務大臣 | 否決 | 103 | 136 | 33 | |
| 2003年(平成15年)7月24日 | 石破茂 | 防衛庁長官 | 否決 | 104 | 135 | 31 | |
| 2003年(平成15年)7月25日 | 福田康夫 | 内閣官房長官 | 否決 | 103 | 138 | 35 | 内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)兼務 |
| 2004年(平成16年)6月5日 | 坂口力 | 厚生労働大臣 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 閣僚問責決議では唯一の起立採決 |
| 2006年(平成18年)12月15日 | 伊吹文明 | 文部科学大臣 | 否決 | 98 | 132 | 34 | |
| 2007年(平成19年)6月29日 | 柳澤伯夫 | 厚生労働大臣 | 否決 | 97 | 115 | 18 | |
| 2007年(平成19年)6月29日 | 安倍晋三 | 内閣総理大臣 | 否決 | 94 | 112 | 18 | |
| 2008年(平成20年)6月11日 | 福田康夫 | 内閣総理大臣 | 可決 | 131 | 105 | 26 | 参議院初の内閣総理大臣に対する可決例(本文)。 105日後の9月24日に内閣総辞職。 |
| 2009年(平成21年)7月14日 | 麻生太郎 | 内閣総理大臣 | 可決 | 132 | 106 | 26 | 2人目の内閣総理大臣に対する可決例。 7日後の7月21日に衆議院解散。 64日後の9月16日に内閣総辞職。 |
| 2010年(平成22年)11月26日 | 仙谷由人 | 内閣官房長官・法務大臣 | 可決 | 127 | 111 | 16 | 49日後の翌年1月14日に内閣改造で退任。 |
| 2010年(平成22年)11月27日 | 馬淵澄夫 | 国土交通大臣 | 可決 | 126 | 111 | 15 | 48日後の翌年1月14日に内閣改造で退任。 |
| 2011年(平成23年)12月9日 | 一川保夫 | 防衛大臣 | 可決 | 130 | 109 | 21 | 35日後の翌年1月13日に内閣改造で退任 |
| 2011年(平成23年)12月9日 | 山岡賢次 | 国家公安委員長・ 消費者及び食品安全担当大臣 |
可決 | 125 | 109 | 16 | 35日後の翌年1月13日に内閣改造で退任 |
- デフォルトでは時代順に配列。対象者の列は50音順ソート。
- 太字は問責決議可決例
- これらのほかにも、決議案提出後(撤回、会期終了等により)採決に至らなかったものが多数ある。
[編集] 参議院の特別委員長に対する議決一覧
| 本会議採決日 | 問責対象者 | 役職 | 採 決 |
可 | 否 | 票 差 |
備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1965年(昭和40年)12月9日 | 寺尾豊 | 日韓条約等特別委員長 | 否決 | 83 | 102 | 19 | |
| 1975年(昭和50年)7月3日 | 中西一郎 | 公職選挙法改正に関する特別委員長 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
| 1982年(昭和52年)7月16日 | 上田稔 | 公職選挙法改正に関する特別委員長 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
| 1983年(昭和58年)11月28日 | 松浦功 | 選挙制度に関する特別委員長 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
| 1988年(昭和63年)12月24日 | 梶木又三 | 税制問題等に関する調査特別委員長 | 否決 | 89 | 135 | 46 | |
| 1992年(平成4年)6月8日 | 下条進一郎 | 国際平和協力等に関する特別委員長 | 否決 | 99 | 136 | 37 |
[編集] その他の議決例
- 1954年12月4日に衆議院予算委員会で吉田茂内閣総理大臣への問責決議案が可決された(本会議ではなく国会委員会で問責決議が採決された事例)。吉田内閣は3日後の12月7日に総辞職した(12月10日まで職務執行内閣)。
[編集] 関連書籍
- 「リベラルタイム2008年2月号」
[編集] 脚注
- ^ 時事通信 2010年11月16日
- ^ 問責決議可決ではないが、2008年3月に松島みどり国土交通副大臣は参議院予算委員会で委員長の鴻池祥肇より答弁の制止を無視して答弁を続行したため、鴻池委員長が職権で松島副大臣の予算委員会出入り禁止処分にした例がある。
- ^ 野党、首相に反発 問責2閣僚の続投方針表明で 朝日新聞 2011年12月9日
- ^ 野田首相:一川・山岡氏の続投明言…年明け国会、五里霧中 毎日新聞 2011年12月9日