民主化宣言
民主化宣言(みんしゅかせんげん、민주화 선언)とは、1987年6月29日に、韓国の盧泰愚大統領候補が発表した政治宣言。六・二九民主化宣言(ろくにきゅうみんしゅかせんげん、6・29 민주화 선언)とも呼ばれる。ソウルオリンピックの成功裡終了を条件とした大統領直接選挙制の受け入れと、反体制政治家・金大中の赦免・復権を骨子とした。
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[編集] 前史
1971年に実施された大統領選挙で、現職の朴正煕候補は、野党の金大中候補に90万票差まで迫られた。自身の支持基盤が必ずしも盤石でないことを知った朴正煕は、大統領選挙を統一主体国民会議(統体)による間接制[1]に改めると共に、大統領権限を大幅に強化した。第四共和国または維新体制と呼ばれるものである。
1979年になると、労働者層に負担を強いる朴正熙の近代化路線に対し、あちこちで暴動が起き始める。そうしたさ中、同年10月26日に、大統領警護室長金載圭により、朴正熙は暗殺される(10・26クーデター)。
次期大統領に名乗りを上げたのが、三金と呼ばれる金鍾泌・金泳三・金大中であった。金鍾泌は朴正煕の下で韓国中央情報部 (KCIA) 初代部長を務めた保守本流。金泳三は穏健的自由主義者、金大中は急進的自由主義者であった。朴正煕の苛酷な独裁政治が終焉したこの時期をソウルの春と呼ぶが、時代はまだ軍政を必要としていた。
1979年12月29日に粛軍クーデターで実権を掌握した全斗煥は、1980年5月の光州事件を武力で鎮圧し、8月19日には、民主化要求を無視する形で大統領に就任した。統一主体国民会議による選出は、軍政の継続を意味していた。そうして、光州事件の首謀者として金大中に死刑判決を下す(直ちに無期懲役に減刑)と共に、大統領間接選挙制[2]を維持し、与党に有利な選挙制度[3]を施行した。しかし、1985年2月の12代国会議員選挙では、大統領直接選挙制への改憲を標榜した新韓民主党が躍進し、民意が大統領直接選挙にあることは間違いなかった。
[編集] 6月民衆抗争
全斗煥はしかし、大統領任期満了後に院政を敷こうと考えていたため、大統領直接選挙制には関心がなく、議院内閣制を主張した。が、野党が大統領直接選挙を譲らないと知るや、改憲論議打ち切りを発表し、国民の怒りを買った。一方で、学生運動家の拷問致死事件が発覚し、国民の怒りは頂点に達した。
1987年6月、学生による反政府デモは日増しに高まりを見せていった。そうして、大学生のデモに高校生、サラリーマンも合流し、デモ参加者は100万人に達した。韓国の反政府運動を担ったのは、伝統的に学生であったが、6月民衆抗争と呼ばれる反政府運動の担い手は、学生だけではなく、皮肉にも軍政が育てた新中間層であった。
ソウルオリンピックが1年後に迫っていた。学生デモによりソウルでオリンピックが開けなくなった場合、ロサンゼルスが代わりに開くとの声明が出された。高度経済成長の成果を世界に誇示したい軍政としては、オリンピックが吹き飛ぶ事態だけは何とか避けたかった。
そこで、全斗煥の後継指名を受けた盧泰愚が、民主化宣言を発表したわけである。民主化宣言で、激しいデモは取り敢えず終息した。そうして、学生運動の中に、主体思想を公然と掲げる者(主体思想派=主思派)も現れた。
[編集] 民主主義の定着
民主化宣言後に、野党勢力を率いた金泳三と金大中の間で対立が表面化、金大中が平和民主党を創党して大統領選挙に出馬した。そのため、反軍政票が金泳三と金大中で分裂、全斗煥の後継者である盧泰愚が当選する結果となった。しかし、翌年4月の13代国会議員選挙で盧泰愚大統領与党の民主正義党は過半数を割り込む結果となった。そのため、1990年2月に金泳三の統一民主党や金鍾泌の新民主共和党と合同して民主自由党を発足、1992年の大統領選挙で金泳三を当選させる。いわば職業政治家と軍部との連立政権であった。そして1997年の大統領選挙では、金大中が金鍾泌との連合(JP連合)の末、当選を果たした。
6月民衆抗争を牽引した元学生運動家たちは、386世代と呼ばれ、国会で若手議員として活躍している。
2004年の国会議員選挙では、第一共和国の進歩党以来の革新政党である民主労働党が9議席を獲得し、国会第三党となった。
[編集] 脚注
- ^ 立候補には統体代議員の推薦が必要であったが、代議員はほぼ全員が政府支持派で占められており、野党側の立候補は事実不可能となっていた。
- ^ 統体代議員による間接選挙から大統領選挙人団によるものに改められ、野党候補の立候補も認められたが、与党側に有利な仕組みとなっていた。
- ^ 国会議員の選挙制度も、地域区(中選挙区)で第1党となった政党に全国区議席の3分の2を自動的に配分する仕組みになっており、与党が絶対多数を維持できるようになっていた。
[編集] 関連項目
- 民主憲法争取国民運動本部-在野勢力や野党勢力によって結成された団体で、6月民衆抗争において指導的役割を果した。
- 大韓民国の政治