第12代総選挙 (大韓民国)

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第12代総選挙
大韓民国
1981年 ←
2012年4月11日 (2012-4-11)
→ 1988年

国会275議席
投票率 84.6%
  第1党 第2党 第3党
  Chun Doo-hwan, 1985-Mar-22.jpg
党首 全斗煥 李敏雨 柳致松
政党 民主正義党 新韓民主党 民主韓国党
獲得議席 148議席 67議席 35議席
得票数 7,040,811 5,843,827 3,930,966
得票率 35.2% 29.3% 19.7%

  第4党
 
党首 金鍾哲
政党 韓国国民党


獲得議席 20議席
得票数 1,828,744
得票率 9.2%
第12代総選
Seoul-National.Assembly-01.jpg
国会議事堂庁舎(ソウル特別市汝矣島)
各種表記
ハングル 제12대 총선
漢字 第十二代總選
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第12代総選挙(だい12だいそうせんきょ)は、第五共和国時代における大韓民国国会を構成する国会議員を選出するため1985年2月12日に実施された選挙である。なお、韓国では選挙の回数について「第○回」ではなく「第○代」と数える。また、名称も「総選挙」(총선거)ではなく、「総選」(총선)と二文字で表記するのが一般的である。

概要[編集]

国会議員の任期(4年)満了に伴って行われた選挙である。

全斗煥政権が実施した国民和合措置[1]によって、政治活動を解禁された政治家を主体として結成された新韓民主党(略称:新民党)が、結成からわずか一ヶ月足らずで実施された本選挙で「官製野党」と揶揄されていた民主韓国党(民韓党)を抜いて第一野党に躍進し、与党に対する政治不信と民主化を熱望する国民の強い願いを反映した選挙となった。

基礎データ[編集]

  • 大統領:全斗煥(民主正義党
  • 改選議席数:276議席
  • 議員任期:4年
  • 選挙制度中選挙区比例代表並立制.有権者は地域区の候補者のみに投票(記号式)。選挙制度に付いての詳しい解説は第11代総選挙に取り上げているのでそちらを参照のこと
  • 有権者数:23,987,830名

選挙結果[編集]

  • 投票日:1985年2月12日
  • 投票率:84.6%
総投票者数:20,286,672名
有効票数:19,974,643票[2]
党派別議席数と得票
政党名 得票数 地域区 全国区 合計
民主正義党
민주정의당
7,040,477 35.2% 87 61 148 53.6%
新韓民主党
신한민주당
5,843,827 29.3% 50 17 67 24.5%
民主韓国党
민주한국당
3,931,300 19.7% 26 9 35 12.7%
韓国国民党
한국국민당
1,828,744 9.2% 15 5 20 7.2%
新政社会党
신정사회당
288,863 1.4% 1 0 1[3] 0.3%
新民主党
신민주당
112,654 0.6% 1 0 1[3] 0.3%
その他の政党 278,750 1.4% 0 0 0 0.0%
無所属
무소속
650,028 3.2% 4 4 1.4%
合計議席 19,974,643 184 92 276 100.0%
出所:尹景徹著『分断後の韓国政治-1945~1986-』(木鐸社)。金浩鎮『韓国政治の研究』李健雨訳(三一書房)から引用。得票数は韓国中央選挙管理委員会の「歴代選挙情報システム」から引用した。議席を獲得出来なかった3政党(勤労農民党・民権党・自由民族党)の得票については「その他の政党」として合算して掲載する。
女性当選者8名[4]
党派 議席数 地域区 全国区
民主正義党 7 1 6
新韓民主党 1 1 0
合計 8 2 6
地域別議席数[5]
地域 定数 党派
民正 新民 民韓 国民 新社 新民主 無所
首都圏 ソウル特別市 28 13 14 1 0 0 0 0
仁川直轄市 4 2 2 0 0 0 0 0
京畿道 20 10 4 3 3 0 0 0
江原道  12 6 0 1 4 0 0 1
忠清道 忠清北道 8 4 2 1 1 0 0 0
忠清南道 16 8 4 4 0 0 0 0
湖南(全羅道) 全羅北道 14 7 2 1 3 0 1 0
全羅南道 22 11 5 5 0 1 0 0
嶺南(慶尚道) 釜山直轄市 12 3 6 2 1 0 0 0
大邱直轄市 6 2 2 1 1 0 0 0
慶尚北道 20 10 4 3 1 0 0 2
慶尚南道 20 10 5 4 1 0 0 0
済州道 2 1 0 0 0 0 0 1
合計 184 87 50 26 15 1 1 4
  • 略称について
民主正義党=民正、新韓民主党=新民
民主韓国党=民韓、韓国国民党=国民
新政社会党=新社党、新民主党=新民主
無所属=無所
  • 当該地域で最多の議席を獲得した政党については、議席数を太字で表示した。

解説[編集]

民正党は、地域区で第1党の議席を得た政党に全国区の議席3分の2を配分する制度によって安定過半数を確保し、第1党の座を守った。しかし新民党は、ソウルの14選挙区、釜山の6選挙区、光州仁川大田の5選挙区で全員当選を果たしただけでなく、ソウル・釜山などで候補の殆どが一位で当選した。また新民党は大都市部の票をさらって(ソウルでは新民党の得票率が40.7%に対し、民正党は27%)、得票率で与党民正党を抑えて躍進を果たした(ソウル・釜山・大邱・仁川・光州を除く地方では民主正義党が優勢)。「選挙革命」と新民党自身が呼んだこの選挙で、学生運動圏の支持など若い層の政治的関心の高まりと支援に力を得たことが新民党が躍進した大きな理由である。また、既存政治圏や野党、そして正当性を欠く全斗煥政権が行なった強圧的な政治手法と不道徳性に対する国民の不満が一気に爆発したことが新民党躍進のもう一つの理由といえる。ちなみにソウル城北区では民青学連事件で死刑判決を受けたこともある元ソウル大学学生の李哲が新民党公認でトップ当選している。

選挙後の情勢[編集]

新民党が躍進したこの総選挙で、政治環境に変化が現れ始め、民正党内の穏健派が力を持つようになった。また新民党は大統領の直接選挙制を復活させるための「改憲署名運動」など対与党の強硬な闘争を行なうようになり、6・29民主化宣言へと繋がって行き、第五共和国の終焉を早める作用として機能した。一方で「やらせ野党」、「さくら野党」と揶揄されていた民韓党は、選挙後直後から所属議員の新民党への集団脱党が相次いだことで最終的に3議席という群小政党に転落し、解体への道を歩むことになった。新民党は民韓党など他党からの入党者で、5月までに所属議員数が102人となり、総議席数の三分の一を上回り、国会召集権を単独で確保するまでになった。

脚注[編集]

  1. ^ 1983年12月から1年余りにわたって政府が実施した措置の名称で、学生デモで除籍された大学生の復学容認、学園(大学)における公権力(警察)介入を抑え学内における政治活動を容認する学園自立化措置、政治活動規制解禁措置などが行われた。和合措置は、これまでの強権的統治を改め穏健路線を内外にアピールする為に行われたものであるが、政府の思惑とは裏腹に学生や在野政治人による民主化運動を活発化させる結果となった。
  2. ^ 選挙人数と総投票者数、有効票数は、韓国中央選挙管理委員会の「歴代選挙情報システム」より引用
  3. ^ a b 3月に新韓民主党に入党
  4. ^ 春木育美著『現代韓国と女性』新幹社。158頁“「韓国女性の政治参画」表5-1歴代女性国会議員”、173頁“(4)全斗煥政権及び盧泰愚政権初期”
  5. ^ 韓国日報1985年2月14日付6~7面「12代議員、地域区184名・得票最終集計」(6面)(7面)を引用して作成した。なお、記事において慶尚南道で新社党の当選者1名となっているが、新韓民主党の誤りである。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]