赤線
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赤線(あかせん)
- 日本で1958年以前に公認で売春が行われていた地域の俗称(後述)。(非公認で売春が行われていた地域の俗称は「青線」である。)
- 法定外公共物である里道の通称。「赤道(あかどう)」、「赤地(あかち)」ともいう。(法定外公共物である水路の通称は「青線」、「青道」、「青地」)
- 『赤線』 - 2004年公開の奥秀太郎監督の日本映画。
赤線 (あかせん) は、GHQによる公娼廃止指令(1946年)から、売春防止法の施行(1958年)までの間に、半ば公認で売春が行われていた地域である。赤線区域、赤線地帯などとも。
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[編集] 概要
1946年1月、GHQは民主化改革の一環として、日本政府に公娼制度(貸座敷・娼妓)の廃止を要求し、これに基づき戦前からの取締法令が廃止された。女性の自由意志による売春自体は禁止できないとしても、女性を前借金で拘束する人身売買を禁止しようとしたものである。
東京では吉原、新宿二丁目などの貸座敷(遊廓)や、玉の井(東京都墨田区東向島)、鳩の街(東京都墨田区東向島)などの銘酒屋の看板を変え、飲食店などとして風俗営業許可を取ることになり、娼妓・私娼は女給になった(東京はカフェー、大阪では料亭など、地域によって異なる)。
戦前から警察では、遊郭などの風俗営業が認められる地域を、地図に赤線で囲んで表示しており、これが赤線の語源であるという(英語のRed light districtが語源という説もある[1])。終戦後のカストリ雑誌などでは「特飲街」(特殊飲食店街の略)という表現が用いられており、「赤線」という言葉が一般的になったのは、区域外への進出や人身売買事件などが大きな問題になった1950年代以降である。
- 1950年に大田区武蔵新田のカフェー業者が池上に進出しようとして反対運動となり(池上特飲街事件)、参議院厚生・文部・地方行政委員会で鳩の街の業者が「赤線区域内は一軒や二軒建つても大目に見る場合が沢山ある、併し赤線から外へ出るということはいけない」と証言した[2]。また1952年の衆議院行政監察特別委員会で人身売買事件が問題になり、3月4日には厚生事務次官が「赤線区域と申しまするものはないに越したことはないけれども、今日としてはやむを得ない」と証言し、黙認していることを認めた。[3]
東京の場合、カフェーらしくするため、1階にはダンスホールやカウンターなどが造られた。働く女性(女給)は2階の部屋に間借りをしていたが、ここが営業場所も兼ねていた。女性たちは店頭に並び、道行く客に声をかけて店に誘っており、風紀上も目に余る状態になっていたことは事実である。
[編集] 赤線廃止
売春防止法(1956年制定)の完全施行を控え、1958年3月までに赤線内のカフェーなどは一斉に廃業した。店舗は、バーやスナックなどの飲食店に転向するもの、旅館や料亭になるもの、ラブホテルや映画館になるもの、アパートや堅気の下宿屋になるもの、密かに風俗営業を続けるものなど、さまざまであった。
[編集] 文学・映画
赤線を描いた小説には、吉行淳之介「驟雨」「原色の街」、五木寛之「青春の門」、高城高「X橋付近」などがある。
映画には、溝口健二監督「赤線地帯」、川島雄三監督「洲崎パラダイス赤信号」、神代辰巳監督「赤線玉の井ぬけられます」などがある。
[編集] 青線
風俗営業法の許可を取らず、保健所から飲食店の許可を得ただけで同様の営業を行っていたものがあり、こちらは青線と呼ばれた。東京では新宿歌舞伎町が有名であった。 (その一部は現在の新宿ゴールデン街である。)

