旧居留地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

旧居留地(きゅうきょりゅうち)とは、かつて主に安政の五か国条約により外国の治外法権が及んでいたことのある区域を指す。神奈川県横浜市大阪府大阪市兵庫県神戸市長崎県長崎市、の旧居留地が有名。

横浜[編集]

  • 詳細は、「関内」の項目を参照のこと。

大阪[編集]

神戸[編集]

明石町筋
浪花町筋
仲町通
海岸通

神戸の旧居留地は、北は西国街道、東は旧生田川(現在のフラワーロード)、西は鯉川(現在の鯉川筋)、南はに囲まれた周囲と隔絶されていた地区で、そこにイギリス人技師J.W.ハートが居留地(神戸外国人居留地)の設計を行い、整然とした西洋の街を造り上げた。その後、東西の川は移設(付け替え)や暗渠化によって道路となったが、現在も道路を越えると街の雰囲気が一変する。

起源[編集]

1868年明治元年)から1899年(明治32年)の返還までに、外国人に126区画に分けて競売された治外法権の場所であった。やがて、居留地の外国人が山手に住居を構えるようになったのが、北野異人館街である。当時、条約の未締結国であった清国から神戸に渡ってきた華僑は、居留地には住むことができず、その西側に多く住み着き、南京町といった中華街を築いていった。居留地に対してこれら西側のエリアを雑居地といった。

街並の保存[編集]

1980年代までは、「老朽化した古いビルのオフィス街」という認識であったが、1988年に起こった旧神戸商工会議所ビルの保存運動が街再生のきっかけとなる。商工会議所ビル自体は解体されたが、居留地の一角を占める百貨店大丸神戸店が自ら所有していたヴォーリズ設計の近代建築をLive Lab West(現旧居留地38番館)として店舗化し、さらに周辺の近代西洋建築へ高級ブティックを積極的に出店していった。それによって近代建築オーナーの意識も変わり、近代建築が点在するのではなく「街並み」として「面」として存在することの価値を認識するようになる。2000年代に入るとLVMHなどの外資ブランドが直接参入し、今では「最も神戸らしい洗練された街」として活況を呈するようになった。これは市民運動と商業資本のコラボレーションの成功例として特記に値する。 1992年国土交通省都市景観100選に選定、2007年には旧居留地連絡協議会が日本都市計画学会の最高賞である石川賞を受賞[1]している。

神戸旧居留地内の主な建造物[編集]

明治時代昭和初期築の主な西洋館近代建築は日没から22時頃までライトアップされる。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]