京町家

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京町家、京都市東山区花見小路

京町家(きょうまちや、きょうちょうか)とは、主に京都の職住一体型の住居形式。建築様式としては町家造りと呼ばれる。

「きょうまちや」と読む場合は京町屋とも記される。店舗としてみるなら京町屋、住居としてみるなら京町家と表記されることが多い。歴史的には、店屋と書いて「まちや」と読んでいた[1]。一方、住居を指す「町家」という語は比較的新しく、昭和初期まで町家(ちょういえ)とはの集会所のことを指した。

概要[編集]

江戸時代中葉には現在残る形に近いものとなったとされる。外観は、紅殻格子(べんがらこうし)と呼ばれる色の濃い格子、虫籠(むしこ)窓、犬矢来などが特徴的である。2階建てが多いが、平屋や3階建てもある。

町家の立地する敷地は、間口が狭く奥行きが深いため、「うなぎの寝床」と呼ばれる。これは三(約5.4m)の間口を一軒役として課税する豊臣秀吉の税制に反発した形状であるという説がある[2]一方、街路に都市住宅、とくに併用住宅が建ち並ぶ際には古今東西でこのような細長い敷地の町並みが成立しており、京都に限らず各地においてもその形状が課税のせいだとする俗説がある[要出典]

京都市の定義で「1950年以前に伝統的木造軸組構法で建てられた木造家屋」とされる現在残存する京町家は、1864年禁門の変ののちに発生した大火(どんどん焼け)以降に建てられたものがほとんどである。1998年に行われた市の調査によると、市中心部(上京、中京、下京、東山区)で約28000軒が確認され[3]、市内全域で推計5万軒残っているとされていた[4][5]

2010年8月、京都市が市内全域を対象に京町家の実態調査を行った結果、47735軒残存しているが、うち10.5%が空き家であると分かった。江戸時代の京町家は全体の2%で、明治時代のものも14%あった。また、中京区などの都心部では、1996年に行った調査に比べ約2割減少していることも判明。老朽化や住人の高齢化が主な理由とみて、市は調査結果をデータベース化して保存・再生の仕組みや政策づくりに反映させるという[6]

世代交代による保全の困難さ[編集]

京町家に住む所有者の多くは高齢者である。高齢者(65歳以上)だけの世帯は35%を超え[6]、子供たちは別の場所に移り住んでいることが多い。そのため、相続が発生した際に、次世代に現状のまま引き渡すことができるかが課題となっている[7]。所有者の36%が「できる限り残したい」との思いを持つ一方で、相続税の負担や維持改修費用などの問題点を懸念する声も多い[6]

屋内の保温性に乏しく、防火性や耐震性に劣るため建築基準法の基準を満たしづらいうえに、同様式での建て替えが困難であることなどから、毎年およそ2%(1000軒程度)の割合で失われているとされる[8][9]

京町家の種類[編集]

  • 厨子二階(つしにかい)
2階の天井が低く、虫籠窓がある。近世後期に完成し、明治後期まで一般的に建築された様式で、中二階ともいう。
  • 総二階(そうにかい)
2階の天井が1階並みにあり、木枠にガラス窓が一般的である。明治後期から昭和初期にはやった様式で、本二階ともいう。
  • 平屋(ひらや)
1階建てで、表に店舗をもたない。中世の町家はほとんどが平屋であった。今日では「平家」と表記することも多い。
  • 三階建(さんかいだて)
3階建ての町家。
  • 仕舞屋(しもたや)
住居専用の町家。店を「仕舞った」つまり商いをやめた店からきている。
大塀造(だいべいづくり)はその一種で、直接には建物が道に面しておらず、表通りに塀をめぐらして玄関先に庭、その奥に家屋を配した屋敷をいう[10]塀付き高塀造(たかべいづくり)ともいう。
町家の表側を近代的に改装したもの。昭和中期の高度経済成長期に改修が施されたものが多い。外観は京町家とは大きく異なるものの、戻すことは比較的容易である。

2010年の調査では、総二階(本二階)類型が全体の過半数を占め、看板建築も2割弱みられた。一方で、三階建はほとんど現存していないことが分かった[6]

京町家の造り[編集]

京町家、窓の下の犬矢来、京都市東山区花見小路
京町家、直線の犬矢来、京都市東山区花見小路
京町家、一般的な犬矢来その上には虫籠窓、京都市東山区花見小路
京町家、ばったん床几、あがっているところ、京都市東山区
京町家、鍾馗さん、京都市東山区

構造[編集]

京町家は、在来工法と異なり、基礎に石(一つ石、玉石)を用い、壁は漆喰塗り籠の大壁造りや真壁造り、建物の構造材には継手・仕口・ほぞを用い大栓、だぼ、楔(くさび)などで補強される。在来工法では、基礎は鉄筋コンクリートによる布基礎、新建材や木板の張り壁やモルタル塗りの大壁造りが多く、継手・仕口を金物によって補強される。

屋根は「起り(むくり)」という傾きを緩やかな曲線にして雨水をよく流し、印象をやわらかくしている。煙を外に出すための「煙(けむ)出し」があり、「一文字瓦」で軒先のラインを揃える。

京町家だけではないが、夏になると障子戸が「簾戸(すど)」に替えられ、畳の上に「網代(あじろ)」と「籐筵(とむしろ)」を敷いて涼しくする。間仕切りとして吊るだけの「座敷簾」も使われることがある。

部位[編集]

  • 虫籠窓(むしこまど)
明治期までの町家の2階部分に使われた標準的な窓。
  • 犬矢来(いぬやらい)
道路に面した外壁に置かれるアーチ状の垣根や木などでできたものが多いが、現在は金属製も多く用いられる。のはねる泥、犬走りと呼ばれる軒下を通る犬や猫の放尿から壁を守るもの。駒寄せから発展したとも言われ、泥棒が家に入りにくい効果もある。
  • ばったり床几(しょうぎ)
折りたたみ式のベンチ。ばったん床几ともいう。
  • 鍾馗さん(しょうき)
受験の神様・疫病除けの神の瓦人形。入り口の小屋根の上に置かれる。
玄宗皇帝マラリアにかかった際、武将が夢の中にあらわれて、皇帝を苦しめていた悪鬼を退治した。皇帝が尋ねると、科挙に失敗したため自殺したが、玄宗皇帝に手厚く葬られたため恩義に報いてはせ参じた鍾馗という人物だったという故事に由来する。端午の節句にも用いられる。
  • (にわ)
町家の多くは裏庭がある。また、玄関(店庭)から裏庭までの土間の部分を通り庭言い、玄関を含まない部分は「走り庭」と呼ばれる。大規模な町家の場合、途中に坪庭(「前栽」)と呼ばれる小規模な中庭がある。
これらの庭は、いずれも採光、風の通り道としての機能を兼ね備えている。
  • 走り庭(にわ)
「水屋」(作り付けの食器棚)、「嫁隠し」(つい立てでこれ以上「立ち入り禁止」の意味も)、「井戸」、「はしり」(流し)、「おくどさん」(竃)、「布袋さん」(愛宕神社の「火迺要慎(ひのようじん)」のお札と竃の神の「布袋さん」が祀られる、布袋は7体集めるとめでたいとされる)などがある。高い天井は「火袋(ひぶくろ)」と呼ばれ、「天窓」からは光が入って明るい。
  • 箱階段(はこかいだん)
町家の狭さをカバーするために、階段の下部が収納スペースになっているもの。押入れのスペースによりかかるように掛けられた階段は隠し階段とも呼ばれる。収納スペースの高さを確保するため、傾斜が急になっているものが多い。
  • (くら)
防火を施した丈夫な蔵が奥にある。家の中にあるので「内蔵」と呼ばれることもある。
  • 格子(こうし)
京町家に特徴的な格子。接道部に用いられる。光を採り入れ、中からは外が見えるが外からは中が見えにくい。ガラスの登場により衰退しつつある。
多くは、紅殻(べんがら)と呼ばれる酸化第二鉄(赤サビ)を主成分とした粉末にエゴマ油などを混ぜて塗られているため、紅殻格子とも呼ばれる。紅殻には防腐、防虫効果がある。顔料の紅殻(紅柄、弁柄)は、産地であるインド北東部の地名ベンガルにちなむ。
格子の形は構造、形態、お商売(職業)などによって分類できる。
  • 構造
    • 出格子
    • 平格子
  • 形態
    • 親子格子
    • 子持格子
    • 連子格子
    • 切子格子
    • 板子格子
    • 細目格子
    • 目板格子
  • お商売(職業)
    • 米屋格子
    • 酒屋格子
    • 麩屋格子
    • 染屋格子
    • 郭(くるわ)格子
    • 炭屋格子
    • 糸屋格子
    • 堺屋格子
    • 仕舞屋(しもたや=商売を止めた家)格子

設備[編集]

電気設備については、がいし引き工事で屋内配線を行う例が、「再生運動」でも見られる[11]

参考文献[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]