組物

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組物(くみもの)とは、

  1. になっているもの。組み合わせたもの。
  2. 針金経木などで組みつくったもの。
  3. 建築物の柱上にあって軒を支える部分。

である(『広辞苑』第五版)。本頁では3について述べる。


前後または左右に腕のように渡した横木で上からの荷重を支える肘木(栱)と、桁や肘木を受ける方形の斗(ます)(枡形(ますがた)とも)とで構成され、斗組(ますぐみ/とぐみ)とも、斗と栱から成る事から斗栱(ときょう、zh:斗栱)ともいう。

斗には大きく、柱の直上に置かれる大斗(だいと)と、肘木の上に置かれる小型の巻斗(まきと)とがあり、肘木には単純な形式の舟肘木(ふなひじき)や装飾化した花肘木(はなひじき)がある。

大仏様の組物(兵庫県、浄土寺浄土堂)。柱に4段の挿肘木を構え、下部3段がそれぞれ上部の挿肘木を支え、最上段の肘木で丸桁を受ける三手先組。

組物の様式は和様禅宗様大仏様で異なるが、和様と禅宗様が柱上に組むのに対し、大仏様は柱の途中に肘木を挿す挿肘木(さしひじき)に特徴がある。また禅宗様は柱間中備(なかぞなえ)にも組物を設ける詰組(つめぐみ)となっている(和様は柱上のみに組物を組み、柱間は斗束(とづか)間斗束(けんとづか))或いは蟇股(かえるまた)を飾る疎組亜麻組)(あまぐみ)とする)。

基本的分類[編集]

組物の発展は、大規模建築の発展に必要不可欠なものであった。垂木を支える先端の丸桁をより先に出し建築の軒を深くするため、組物は複雑化していった。 最も単純な柱の上に舟形の肘木を置くのみの舟肘木(ふなひじき)から、柱上に大斗を置いて肘木を受ける大斗肘木(だいとひじき)の形式、大斗の上の肘木に更に3箇の巻斗を載せる平三斗(ひらみつど)、大斗上の肘木を十字に組み、壁面から直角に挺出した肘木の先端に斗を載せた出三斗(でみつど)と複雑化していき、更に発展させたものが出組(でぐみ)となる。

出組は出三斗の壁面から挺出した肘木の先端に組物を組んで丸桁(がぎょう)を受ける形式で、これは壁面の1段外で組む為に一手先(ひとてさき)ともいうが、出組から更に1段外へ挺出したものを二手先組(ふたてさきぐみ。単に二手先ともいう。以下同)、二手先から更に1段外へ挺出したものを三手先(みてさき)という風に増えていき、七手先に至るまで組むものもある。通常建築で用いられるのは三手先までで、四手先以上は真言宗、天台宗の両密教固有の多宝塔などの建築において例外的に使用される。なお、二手先以上になると多く尾垂木支輪小天井(こてんじょう)を伴う。

歴史[編集]

青銅器、石窟寺院・壁画などにみられる例によると、既に中国戦国時代には組物の原型と考えられる柱上に横材を受ける緩衝構造が確認できる。また、『爾雅』(漢代初めの書物)には升にあたる構造体である「閞」に関する記述がある。そして、漢代の四川省雅安県高頤墓闕では升の上に肘木を確認することができる。

日本においては、538年(あるいは552年)の仏教伝来とともに組物を用いた建築が伝わった。日本最古の仏教建築である法興寺には、升と肘木が一体となって雲形を形作る雲形組物と呼ばれる特殊な組物が確認できる。同様の構造は法隆寺西院の金堂、五重塔、中門、玉虫厨子、および法起寺三重塔のみにみられる。現在みられる升と肘木による組物は、7世紀半ば過ぎ、川原寺造営の頃に伝わった。以降、升と肘木による組物は日本の仏教建築において一般化する。

平安時代初期の室生寺金堂には、内側に梁がかからないが外側に虹梁鼻が付けられている見せかけの組物を確認することができる最も早い例のひとつである。これは、建築の外周は同じ組物で統一するという特に入母屋や寄棟建築に一般的な原理を達成するために発達した新しい形式である。以降、平安時代末期に改造された当麻寺本堂にみられるような、外側には虹梁鼻、内側には梁ではなく梁を持ち上げる肘木、というさらなる特異な手法がみられるようになる。これらの発達は伝統的な見え方そして内部構造のルールを両立させようとする欲求が生んだものと言える。

鎌倉時代初期になると、組物の新しい形式として出三斗が普及する。法隆寺東院礼堂、東大寺念仏堂などが早くに見られる例である。これは、前述の外側が虹梁鼻、内側が肘木という構造の虹梁鼻が肘木に代わった発展系とみなすことができる。

参考文献[編集]

  • 玉井哲夫『図説日本建築の歴史 : 寺院・神社と住宅 』河出書房新社、2008年。
  • 藤井恵介『日本建築のレトリック : 組物を見る』INAX、1994年。