モラヴィア王国

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スワトプルクの治世期 (871-894) に最も拡大したモラヴィア王国の版図。
キュリロスの像(モラヴィア地方・オロモウツにある三位一体柱の一部)

モラヴィア王国 (Veľkomoravská ríša) は、9世紀から10世紀初頭にかけて栄えたスラヴ人の王国。大モラヴィア王国などとも表記される。現在のモラヴィアスロヴァキア辺りの地域を支配した。

歴史[編集]

9世紀前半、文献にモラヴィア王国についての記述があらわれる。初代君主のモイミール(位830頃-846)は、カトリックザルツブルク大司教座による布教をみとめた。しかし、846年に即位したラスチスラフ(ロスティスラフ)は、東フランク王国の圧迫に対抗する必要性から東ローマ帝国正教会との結びつきを図り、宣教師キュリロスメトディオスを招いた。この際にグラゴル文字が作成された。しかし、ロスティスラフは東フランク王国と結んだ甥のスヴァトプルク(スワトプルク)に離反され失脚し、スヴァトプルク(スワトプルク)は最終的に東フランク王国に従った。これによってビザンツ帝国から招いた修道士たちは追放され、モラヴィア王国のカトリック受容が決定的になった。スヴァトプルクの死後は王位継承をめぐる争い、東フランク王国の圧力、さらにマジャル人の侵入により荒廃し、10世紀前半に事実上滅亡した。

関連項目[編集]