ヴァドヴィツェ
| ヴァドヴィツェ (Wadowice) | |||
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| 位置 | |||
| 情報 | |||
| 県: | マウォポルスカ県 | ||
| 緯度: | 北緯 49°53' | ||
| 経度: | 東経 19°30' | ||
| 標高: | 318m | ||
| 面積: | 12.98 km² | ||
| 人口 - 合計 - 人口密度 |
19,149 人 1,475 人/km² |
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| 郵便番号: | 34-100 | ||
| 市外局番: | 48 33 | ||
| 市長: | エヴァ・フィリピアク (Ewa Filipiak) | ||
| 公式サイト: | 市公式ウェブサイト | ||
ヴァドヴィツェ(Wadowice, ドイツ語:Wadowitz)は、ポーランド中南部、現在はマウォポルスカ県西端のヴァドヴィツェ郡に位置する町。シロンスク高原上、スカワ川(ヴィスワ川の支流)流域にある。古都クラクフからは50km離れている。ヴァドヴィツェ郡の行政中心地であり、クラクフとチェシン(Cieszyn)を結ぶ国際道路沿いに位置する。
[編集] 歴史
ヴァドヴィツェについての最も古い記述は1327年のものである。オシフィエンチム公ヤン1世スホラスティクがボヘミア王ヨハンに送った封土台帳にWadowiczの綴りで書かれている。
1430年に大火災によって町は一旦焼滅したものの復興し、オシフィエンチム公カジミェシュ1世により、市町の特権を与えられた。1482年にザトル公ヴワディスワフによって彼の死(1489年)までヴァドヴィツェ公国の首都となる。
16世紀には、家内工業と商業の中心地であった。この時期に特筆すべき出身者にマルチン・ヴァドヴィタ(Marcin Wadwita)がいる。彼は、クラクフのヤギェウォ大学の神学者・哲学者・助祭であり、またヴァドヴィツェに病院と初等教育学校を設立した。
1819年、オーストリア帝国に併合されたヴァドヴィツェの地域は広がり、3380平方キロメートルに亘り、10の町、2の市場の集落、340の村を抱え、人口は35万人を数えた。初代予備軍隊長ルドヴィク・ド・セルト(Ludwik de Sertes)の頃には、ヴァドヴィツェの町には2,500人の人口があった。
1867年から1975年までヴァドヴィツェのコミュニティーの管理の所在地であった。
[編集] 出身者
上述したマルチン・ヴァドヴィタ(Marcin Wadwita)、のちにローマ教皇ヨハネ・パウロ2世となったカロル・ヴォイティワ、そして、ゴドウィン・ブルモフスキ(Godwin Brumowski)が知られている。
ブルモフスキはオーストリアのパイロットであり、オーストリア=ハンガリー帝国軍の戦闘機のエースパイロットとして第一次世界大戦中に活躍した。
哲学者のエーミール・ラスクも知られている。
[編集] 外部リンク
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座標: 北緯49度53分 東経19度29分 / 北緯49.883度 東経19.483度
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