クラクフ共和国

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自由にして独立した完全に中立なクラクフ市とその付随領域
Wolne, Niepodległe i Ściśle Neutralne Miasto Kraków z Okręgiem
Free, Independent, and Strictly Neutral City of Kraków (Cracow) with its Territory
ワルシャワ公国 1815年 - 1846年 クラクフ大公国
クラクフ共和国の国旗 クラクフ共和国の国章
(国旗) (国章)
クラクフ共和国の位置
1815年のクラクフ及び隣接三国の地図
公用語 ポーランド語
首都 クラクフ
大統領
xxxx年 - xxxx年 不明
面積
1815年 1164km²
人口
1815年 95,000人
1843年 146,000人
変遷
ウィーン会議(成立) 1815年5月3日
十一月蜂起 1830年11月29日
クラクフ蜂起(併合) 1846年11月16日
通貨 ポーランドズウォティ(~1835年
クラクフズウォティ1835年~)
オーストリアプロイセンロシアの保護国
ポーランドの歴史
Warsaw-Castle-Square-2.jpg
先史時代
ピャスト朝  
プシェミスル朝
 
ヤギェウォ朝
ポーランド・リトアニア共和国(第1共和制)
ポーランド分割
ワルシャワ公国
ポーランド立憲王国 クラクフ共和国 ポズナン大公国
ポーランド摂政王国
ポーランド共和国(第2共和制)
ソ連による占領 亡命政府
ナチス・ドイツによる占領
ポーランド共和国
ポーランド人民共和国
ポーランド民主化運動
ポーランド共和国(第3共和制)
年表
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クラクフ共和国(クラクフきょうわこく、Rzeczpospolita Krakowska)は、1815年から1846年までポーランドのクラクフにあった国家。クラクフ自由市(Wolne Miasto Kraków)などとも称される。オーストリア帝国に併合されて消滅した。

歴史[編集]

1815年のウィーン議定書に基づき成立した。当初は広範な自治が認められていた。

1830年の十一月蜂起(ポーランドにおける民族運動)を受けて、ロシア・プロイセン・オーストリアの三国による政治的干渉が強まることになった。

1846年2月のクラクフ蜂起が失敗に終わり、11月16日にオーストリア帝国に併合されて消滅した。その後、オーストリア帝国領内のクラクフ大公国となった。

関連項目[編集]

自由にして独立した完全に中立なクラクフ市とその付随領域 1815-1846