プトレマイオス朝

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プトレマイオス朝は、古代エジプトヘレニズム王朝(紀元前306年 - 紀元前30年)。アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)の死後、部下であったプトレマイオスマケドニア地方出身のギリシア人)が創始した。首都アレクサンドリアに置かれ、アレクサンドリアは地中海世界屈指の大都市・ヘレニズム文化の中心として栄えた。

プトレマイオス朝はエジプトの伝統を取り入れて血族結婚を繰り返したので、200年以上エジプトを支配しながらエジプト人の血が混じらず、ギリシア人の血脈を保った。代々「プトレマイオス」という名前を持った王が、姉・妹・叔母・姪などにあたる「ベレニス」「アルシノエ」「クレオパトラ」という名前を持った女王と共同統治した。しかしプトレマイオス朝は一族内での殺し合いが頻繁に行なわれ、これに介入したローマにより滅ぼされた。


[編集] 歴代プトレマイオス朝ファラオ

在位年が重複している箇所はすべて複数のファラオによる共同統治である。

ファラオ 続柄・備考 在位
プトレマイオス1世 285年退位。 305−285年
ベレニケ1世 (女王) プトレマイオス1世の后。  ?−285年
プトレマイオス2世 288−246年
アルシノエ1世 (女王) プトレマイオス2世の后。 284−274年
アルシノエ2世 (女王) プトレマイオス2世の后。 277−270年
プトレマイオス3世 246−222年
ベレニケ2世 (女王) プトレマイオス3世の后。 244−222年
プトレマイオス4世 222−204年
アルシノエ3世 (女王) プトレマイオス4世の后。 220−204年
プトレマイオス5世 204−180年
クレオパトラ1世 (女王) プトレマイオス5世の后。 193−176年
プトレマイオス6世 180−164年
クレオパトラ2世 (女王) プトレマイオス6世の后。 173−164年
プトレマイオス8世 171−163年
プトレマイオス6世 復位。 163−145年
クレオパトラ2世 (女王) プトレマイオス8世の后、反乱軍を率いて夫を放逐し単独統治。 163−127年
プトレマイオス7世 プトレマイオス8世の子 144−145年
プトレマイオス8世 復位。 145−131年
クレオパトラ3世 (女王) プトレマイオス8世の二番目の后 142−131年
プトレマイオス・メンフィティス クレオパトラ2世により王とされるが、まもなくプトレマイオス8世により殺される。 131年
プトレマイオス8世 復位。 127−116年
クレオパトラ3世 (女王) プトレマイオス8世とともに復位。 127−107年
クレオパトラ2世 (女王) プトレマイオス8世と復縁、プトレマイオス8世およびクレオパトラ3世と共同統治。 124−116年
プトレマイオス9世 116−110年
クレオパトラ4世 (女王) プトレマイオス9世の后、クレオパトラ3世により放逐。 116−115年
プトレマイオス10世 110−109年
プトレマイオス11世 復位。 109−107年
プトレマイオス10世 復位。 107−88年
プトレマイオス9世 復位。 88−81年
ベレニケ3世 (女王) プトレマイオス11世と強制的に結婚させられ、19日後に殺される。 81−80年
プトレマイオス11世 プトレマイオス10世の子、少年。ベレニケ3世殺害に怒った群衆により虐殺される。在位80日。 80年
プトレマイオス12世 プトレマイオス9世の子。 80−58年
クレオパトラ5世 (女王) プトレマイオス12世の后、ベレニケ4世の母。  ?−57年
クレオパトラ6世 (女王) プトレマイオス12世の子。  ?−58年
ベレニケ4世 (女王) プトレマイオス12世の子。 58−55年
プトレマイオス12世 復位。 55−51年
クレオパトラ7世 (女王) 一般にクレオパトラとして知られる女王。 51−30年
プトレマイオス13世 クレオパトラ7世の弟 51−47年
アルシノエ4世 (女王) クレオパトラ7世の妹、プトレマイオス13世の姉。 48−47年
プトレマイオス14世 クレオパトラ7世とプトレマイオス13世の弟。 47−44年
プトレマイオス15世(カエサリオン) クレオパトラ7世の子、父はユリウス・カエサル、3歳のときクレオパトラ7世が共同統治者に指名 44−30
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