アルシノエ2世
アルシノエ2世(Ἀρσινόη, 紀元前316年 - 紀元前270年7月から紀元前260年没)は、プトレマイオス朝エジプトの女王である。リュシマコス王との結婚によりその妻としてトラキア、小アジア、マケドニアの女王となり、後に弟であり夫ともなったプトレマイオス2世とともにエジプトを治めた。その意見は力を持ち、クレオパトラの先駆とも称される[2]。
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略歴 [編集]
ヘレニズム国家をエジプトに興したプトレマイオス1世ソーテール(Πτολεμαίος Σωτήρ は「守護者プトレマイオス」の意)とその2番目の妻ベレニケ1世との間に長女として生まれた[3] 。
アルシノエ2世は15歳のときにリュシマコスと結婚し、3人の子をもうけた。その名はプトレマイオス1世エピゴノイ[4][5][6]、リュシマコス[5]、ピリッポス[5]と伝わる。息子たちを玉座に座らせるために、アルシノエ2世は反逆を企てたかどで夫の長子、アガソクレスに毒を飲ませた。リュシマコスが紀元前281年の戦いで亡くなると、急ぎカッサンドレイアへ向かい、異母弟であるプトレマイオス・ケラウノスと結婚している。2番目の夫は、プトレマイオス1世とその前妻エウリュディケの子供の一人だった。この結婚には2人がマケドニアとトラキアの覇権を争っていたという政治的な背景がある(生前のリュシマコスは両地を支配し、その権勢は南ギリシアと小アジアにも及んでいた)。2人の関係は長続きしなかった。プトレマイオス・ケラウノスがさらに力をつけはじめると、アルシノエ2世はその勢いをおさえ、息子とむすんで夫に反旗を翻す時期だと判断した。しかし陰謀は露見する。プトレマイオス・ケラウノスは女王の2人の息子リュシマコスとピリッポスを殺害するが、長男であるプトレマイオスは北へ脱出し、ダルダニア人の王国に逃れた。当のアルシノエ2世も弟プトレマイオス2世の庇護を求め、エジプトのアレクサンドリアへ向かった。
エジプトでもアルシノエ2世は術策を巡らせ、夫をそそのかしたのかプトレマイオス2世と最初の妻であるアルシノエ1世とを離婚させ[2]、追放している。そしてアルシノエ2世は自分の弟の妻となる。かくて2人を形容して「兄弟姉妹を愛する者達」(古希: Φιλάδελφοι、英: Philadelphoi)[7]という言葉が、おそらくは憤慨したギリシア人により与えられた[note 1]。アルシノエ2世は弟のもつ肩書き全てを自らも名乗り、女王に捧げられた街や崇拝者、その肖像を象った貨幣ができるなど、強い影響力をもった[8]。外交政策にも深く関わったとみえて、それは中東でセレウコス朝と対峙した第一次シリア戦争(紀元前274-271年)でのプトレマイオス2世ピラデルポスの勝利にもつながった。女王の死後もプトレマイオス2世は公文書でたびたびその名に触れており、貨幣や礼拝もかつてのままにさせ、さらにアルシノエ2世を女神として崇めさせた[9]。それはそのまま自らの神格化につながったのである。
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- アルシノエ2世のコイン(英語)
- ブリタニカ百科事典(英語)
- アルシノエ2世(英語) - M.H.スミスによる史料集(英語)
脚注 [編集]
- 注釈
- 出典
- ^ クレイトン 1999, p. 269.
- ^ a b c 物應 2006, p. 3.
- ^ “Did female Egyptian pharaoh rule before Cleopatra?”. MSNBC. (2010年12月2日) 2010年12月5日閲覧。
- ^ Billows, Kings and colonists: aspects of Macedonian imperialism, p.110
- ^ a b c Bengtson, Griechische Geschichte von den Anfängen bis in die römische Kaiserzeit, p.569
- ^ Ptolemaic Genealogy: Ptolemy ‘the Son’, Footnotes 9 & 12
- ^ プトレマイオス2世には、プトレマイオス2世ピラデルポスの異名があるが、ギリシャ名のみで正式な名前ではない。
- ^ a b クレイトン 1999, p. 268.
- ^ 波部 2004, p. 143.
参考文献 [編集]
- H. Bengtson, Griechische Geschichte von den Anfängen bis in die römische Kaiserzeit, C.H.Beck, 1977
- S.M. Burstein, "Arsinoe II Philadelphos: A Revisionist View", in W.L. Adams and E.N. Borza (eds), Philip II, Alexander the Great and the Macedonian Heritage (Washington, 1982), 197-212
- R.A. Billows, Kings and colonists: aspects of Macedonian imperialism, BRILL, 1995
- ピーター・クレイトン著、吉村作治監修、藤沢邦子訳 『古代エジプト ファラオ歴代誌』 創元社、1999年。ISBN 4422215124。
- 波部雄一郎「プトレマイオス2世とディオニュソスのテクニタイ : アテナイオス第5巻198bを手がかりとして」、『人文論究』53(4)、関西学院大学、2004年1月、 140-153頁。
- 物應忠 (2006年). クレオパトラと共和政ローマ (M. thesis). 兵庫教育大学. 2012年4月1日閲覧。
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