イシス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イシス
Isis
ヒエログリフ表記
Q1X1
H8
B1
信仰の中心地 ベーベイト・エル=ハガー英語版フィラエ神殿
シンボル チェト英語版
配偶神 オシリス小ホルス
ゲブヌト
兄弟 オシリス、セトネフティス
子供

オシリスとの子→ホルス

ホルスとの子→ホルスの4人の息子
テンプレートを表示
女神イシス(紀元前1360年頃の壁画)
イシスの女司祭(2世紀ローマの立像)

イシス (Isis) は、エジプト神話における豊穣の女神ヘリオポリス九柱神に数えられる。

概要[編集]

大地の神ゲブを父に、天空の女神ヌトを母に持つ。二柱の間に生まれた四柱の神々の次姉。冥界の神オシリスは兄、戦いの神セトは弟、葬祭の女神ネフティスは妹である。 配偶神は兄オシリス。オシリスと習合した豊穣の神ミンも配偶神とすることがある。オシリスとの間に天空の神ホルスを成し、オシリスとネフティスの間に生まれた不義の子アヌビスを養子として育てた。 また、息子ホルスを夫としたとする神話もあり、ホルスの4人の息子を成したとされる。 ホルスの4人の息子では、死者の肝臓を守る神イムセティを守護する。 司る神性は豊穣のみならず、後の神話では玉座(王権)の守護神、魔術の女神の性格を持つようになり、ヌビアフィラエ島ナイル河畔のサイスに大規模なイシス女神を祀るイシス神殿が造られるなど、古代エジプトで最も崇拝された女神となった。

外見[編集]

外見は、背中にトビの翼を持った女性として表される。後にハトホルに代わって信仰を集めるようになると頭部に牛の角と太陽円盤を持った女性としても表されるようになる。名前は「椅子」という意味を持ち、玉座(現世の王権)を神格化した女神ともされ、その場合は、頭頂に玉座を載せた姿で表される。これは、夫オシリスや息子ホルスを守る者を意味する。 さらに時代を下ると、ギリシアの女神デーメーテールのシンボルである松明や麦の穂を持った女性としても現されるようになった。

名称[編集]

イシス(イーシス)は古代ギリシア語であり、古代エジプトではアセトと呼ばれた。

神話[編集]

神話では、セトと対峙した際にを投射し、ホルスに誤射した後、セトを瀕死の重傷にしている。またセトの陰謀でオシリスが行方不明になった時、ギリシアまで彼を探し、セトに殺されバラバラにされたオシリスの遺体を集めて(ただし男根は見つからなかった。魚に食べられたと言われる)繋ぎ合わせトトとアヌビスの協力を得て復活させるなど生と死を操る強大な魔力を持つ。さらに息子ホルスに権力を与えるため、ラーの垂らした唾液を含んだ泥から毒蛇を作りラーの通る道に潜ませ、毒蛇に咬まれたラーを解毒する代わりに彼の魔力と支配権を得るなど陰謀を巡らす一面を持つ。

このようにオシリスとイシスの伝説では、献身的な母や妻としての性格が強く描かれているが、他の神話的物語では、強力な魔術師的存在として描かれ、そのため魔術の女神ともされ、中世ヨーロッパではイシスは魔女の元祖とされることもある。

信仰の歴史[編集]

イシス信仰の誕生と隆盛[編集]

イシスの起源については定かではなく、イシス単体を祀った神殿や町は初期の頃には存在せず常に夫オシリス神の陪神として扱われた。しかしながら、ピラミッド・テキストには既に何度も登場しているため古い起源を持つ女神である。また、古くはホルス神の母ではなかったとされ、その性格は女神ハトホルが担っていたとされる。

時代が下ってオシリスとイシスの伝説が生まれ、広まっていく事によってハトホルと共にホルス神の母という性格を持つようになる。もっともホルス神も非常に古い起源を持つことから、大ホルスと小ホルスという出自や神性が異なるために便宜的に大ホルスの母が女神ハトホル、小ホルスの母が女神イシスという見方もできる。次第にイシスとハトホルは習合・同一視され、イシス信仰は広がりを見せた。 紀元前1千年紀頃には地中海沿岸全域に広がり、ギリシャでは、デーメーテールと同一視され、共和政末期にはローマへも持ち込まれて発展し、200年頃にはほぼローマ帝国全域で信仰された。

ギリシア・ローマ時代にはアレクサンドリア港の守護女神や航海の守護女神としての性格を持つようになり、「天上の聖母」「星の母」「海の母」などの二つ名を得て、7世紀にはブリテン島にまで及んだ。

イシス信仰の消滅[編集]

驚異的な隆盛を見せたイシス信仰だが、イシスは処女のまま子供(ホルス)を身ごもったために、信者が基本的に女性に限られた。また、信者の女性が一定期間の純潔を守ることを教義としたために男性からの評判が悪く[要出典] 衰退し、やがてキリスト教の隆盛に伴って、マリア信仰に取って代わられた。 「ホルスに乳を与えるイシス女神」像などは、イエスの母・マリアへの信仰の原型といわれる。エジプトにコプト派キリスト教が広まるとイシス神殿は聖母マリアを祀る教会として使用された。

余談[編集]

サイスのイシス神殿の銘文「わが面布を掲ぐる者は語るべからざるものを見るべし」は、真理の性格をあらわすものとしてヨーロッパで好んで引用された[要出典]ノヴァーリスの『サイスの弟子たち』は、イシス神殿の学生たちを登場人物としたものである。

参考文献[編集]

  • P. プティ、A. ラロンド 『ヘレニズム文明―地中海都市の歴史と文化』北野徹訳、白水社文庫クセジュ、2008年

関連項目[編集]

ヘリオポリス創世神話、オシリス神話

他神話、他宗教