フェニキア

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フェニキア英語: Phoenicia)は、古代地中海東岸に位置した歴史的地域名。シリアの一角であり、北は現シリアタルトゥースのあたりから、南はパレスチナのカルメル山に至る海岸沿いの南北に細長い地域であって、およそ現在のレバノンの領域にあたる。

フェニキアという名前は、フェニキア人ドイツ語版オランダ語版ロシア語版の居住地がギリシャ語Φοινίκη (Phoiníkē; ポイニケー)と呼ばれたことに由来しており、フェニキアがミュレックス(en)と呼ばれる貝から取れる紫色染料貝紫)を特産としていたことから、「紫色」(または「緋色」)という意味のギリシア語を語源とする説も存在するが、そのもともとの語源は不明である[1]

歴史[編集]

フェニキア人の交易路
黄がフェニキア人の都市、赤がギリシア人の都市、灰はその他。

フェニキア人は、エジプトバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始めた。紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出、地中海全域を舞台に活躍。また、その交易活動にともなってアルファベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝えた。

フェニキア人の建設した主な主要都市には、ティルス(現在のスール)、シドンビュブロスアラドゥスなどがあり、海上交易に活躍し、紀元前15世紀頃から紀元前8世紀頃に繁栄を極めた。さらに、カルタゴなどの海外植民市を建設して地中海沿岸の広い地域に広がった。船材にレバノン杉を主に使用した。

しかし紀元前9世紀から紀元前8世紀に、内陸で勃興してきたアッシリアの攻撃を受けて服属を余儀なくされ、フェニキア地方(現在のレバノン)の諸都市は政治的な独立を失っていった。アッシリアの滅亡後は新バビロニア、次いでアケメネス朝ペルシア帝国)に服属するが、海上交易では繁栄を続けた。しかし、アケメネス朝を滅ぼしたアレクサンドロス大王によってティルスが征服されると、マケドニア系の勢力に取り込まれてヘレニズム世界の一部となった。

一方、紀元前9世紀に北アフリカに建設された植民都市カルタゴは、フェニキア本土の衰退をよそに繁栄を続けていたが、3度にわたるポエニ戦争の結果、共和政ローマに併合されて滅んだ。

言語[編集]

フェニキア人は系統的には様々な民族と混交していたが、アフロ・アジア語族セム語派に属するフェニキア語を話し、言語的に見ればカナン人の系統にある民族である。先祖はセム系のアモリ人の一派が小アジアから北シリアに移住したことに始まるといわれている[2]

彼らがフェニキア語を書き表すために発明したフェニキア文字は、アラム文字ヘブライ文字ギリシャ文字アラビア文字など、ヨーロッパ西アジアの多くの言語で用いられる起源となった。

カルタゴの人々(en:Punicsベルベル人)の話していたフェニキア語はポエニ語英語版と呼ばれてローマ時代にも存続したが、やがてベルベル語や、イスラム教とともにやってきたアラビア語に飲み込まれ、消滅していった。

交易[編集]

フェニキア人は優れた商人であり、その繁栄は海上交易に支えられていた。紀元前8世紀には、ティルスは地中海方面からメソポタミア、アラビア半島に至る交易ネットワークのハブとなっていた。貝紫レバノンスギがフェニキア本土の特産品であり、この地域の都市国家の成立と繁栄を支えた。また、タルテッソス(イベリア半島)の銀をオリエントに持ちこむ航路はフェニキア人が独占していた。

紀元前12世紀から何世紀もの間、フェニキア人は地中海世界の海上の主役だった。

主なフェニキア人[編集]

神話上の人物(ギリシア神話)、または伝説の人物
実在の人物

カルタゴ人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ フェニキアとは深紅色を意味するギリシャ語である。この貝は、今日でも南部のサイーダなどの町中でこの貝殻の山を見かけることができる(小山茂樹『レバノン』中央公論社 中公新書474 1977年 39ページ)
  2. ^ 小山茂樹『レバノン』中央公論社 中公新書474 1977年 37ページ

参考文献[編集]

  • 小山茂樹『レバノン』中央公論社 中公新書474 1977年

関連項目[編集]