プトレマイオス3世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
Gold coin depicting Ptolemy III issued by Ptolemy IV to honor his deified father.

プトレマイオス3世エウエルゲテスΠτολεμαίος Γ' Ευεργέτης:Ptolemy III Euergetes、在位紀元前246年-紀元前222年)は、古代エジプトプトレマイオス朝ファラオ。父はプトレマイオス2世、母はアルシノエ1世。妻はベレニケ2世。子にはプトレマイオス4世アルシノエ3世がいる。恩恵王(エウエルゲテス)と称され、プトレマイオス朝の全盛時代を築いた。

治世と事業[編集]

紀元前246年プトレマイオス2世の死後、ファラオとなる。キュレネマガスの娘ベレニケ2世と結婚し、キュレネ地方との結びつきを強化した。姉妹でシリアのセレウコス朝に嫁いでいたベレニケ・フェルノフォラスが、夫アンティオコス2世の前妻ラオディケ1世により殺害されると、報復としてシリアへ侵攻し、第三次シリア戦争(紀元前246年-紀元前241年)を引き起こした。シリアの首都アンティオキアを占領し、メソポタミアセレウキアにまで到達し略奪を行なうなど大勝利を収めた後、エジプト国内での凶作・内乱を受けて帰国。

ファイユーム地方への植民活動を奨励し、文化活動の保護・君主崇拝の強化、暦法の改革を行なうなど、内政面においても優れた統治能力を発揮した。

伝説[編集]

シリア遠征に際し、かみのけ座の逸話を残している。妻ベレニケ2世は、夫が無事に戻ったならば、美しく、かつ美しいゆえに有名であった自分の髪を女神アプロディテに捧げると誓った。夫が戻ると、王妃は髪を切り、女神の神殿に供えた。

翌朝までに、髪の毛は消えていた。王と王妃は大変に怒り、神官たちは死刑を覚悟した。このとき、宮廷天文学者コノン(Conon)は、神は王妃の行いが大変に気に入り、かつ、髪が美しいので大変に喜び、空に上げて星座にした、と王と王妃に告げ、しし座の尾の部分を指し示した。そして、その場所はこれ以後、Bereniceのかみのけ座(Coma Berenices)と呼ばれることになった。コノンのこのとっさの知恵により、神官たちの命は救われたという。

カノープス勅令[編集]

プトレマイオス3世は、死亡した王妃を記念する新しい祭典の執行を命じる勅令を出した。その碑文が現存している。この碑文はヒエログリフ(聖刻文字)、デモティック(民衆文字)、ギリシア文字の3種で刻まれている。

恩恵を施す神々、プトレマイオス王と上下エジプトの女王ベレニケの間に娘が生まれた。この王妃は名をやはりベレニケといったが、突如、思いがけなくも処女のまま天に帰ることになった。そこで祭司たちは・・・・女神として彼女の栄光をこの時より永遠にエジプト全土の神殿でたたえることを決定した。・・・・よって女神のための祭典と行列の儀式が定められた。・・・・あらゆる宝石で飾った黄金の女神像をエジプト全土の神殿に安置すること・・・・