アレクサンドリア図書館

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アレクサンドリア図書館に言及したラテン語の碑文。西暦56年のもの。本文の5行目に図書館の名前が記されている。

アレクサンドリア図書館(アレクサンドリアとしょかん、: Βιβλιοθήκη της Αλεξάνδρειας)は、紀元前300年頃、プトレマイオス朝ファラオ、プトレマイオス1世によってエジプトアレクサンドリアに建てられた図書館

世界中の文献を収集することを目的として建設され、古代最大にして最高の図書館とも、最古の学術の殿堂とも言われている。図書館には多くの思想家や作家の著作、学術書を所蔵した。綴じ本が一般的でなかった当時、所蔵文献はパピルスの巻物であり、蔵書は巻子本にしておよそ70万巻にものぼったとされる。アルキメデスエウクレイデスら世界各地から優秀な学者が集まった一大学術機関としても知られる。薬草園が併設されていた。

略史[編集]

「アレクサンドリア」建設以前[編集]

マケドニアアレクサンドロス3世(大王)はアケメネス朝ペルシアを侵略してアナトリアシリアを奪ったのちエジプトをも奪い、紀元前332年そのエジプト支配の中枢都市としてアレクサンドリアの建設を命じた。アレクサンドロス自身は短い滞在ののちさらに東方への侵略を続け、アレクサンドリアに戻ることはなかったが、紀元前323年のその死ののちは後継将軍の一人プトレマイオス1世ファラオを名乗ってエジプト支配を引き継ぎ、プトレマイオス朝を建て、その首都としてのアレクサンドリアの街造りを押し進めた。

首都アレクサンドリア[編集]

アレクサンドリアには、古代世界の学問の中心として栄えた図書館をはじめとして、学術研究所ムセイオンや、のちに「世界の七不思議」にも選ばれるファロス島の大灯台も建造され、他のヘレニズム都市を圧する威容を誇るようになった。

アレクサンドリア図書館の発展[編集]

アレクサンドリア図書館の内部(想像図)右上に巻子本を収めた棚が、手前に巻子本を抱える人物が描かれている

アレクサンドリア図書館は、書物の収集のためにさまざまな手段をとり、そのためには万金が費やされていた。 書物収集の方法の一つを伝える逸話の一つとして、「船舶版」についての逸話が知られている。ガレノスによれば、プトレマイオス朝当時のアレクサンドリアに入港した船は、積荷に含まれる書物をすべて一旦没収された上で所蔵する価値があるかどうか精査されたという。所蔵が決定された場合には、写本を作成して原本の代わりに持ち主に戻し、同時に補償金が支払われたとされる。このやり方で集められた書物が船舶版と呼ばれている[1][注 1]。 同様にして他の図書館の蔵書を強引に入手したという逸話もある。アテナイの国立図書館はアイスキュロスソポクレスエウリピデスらの貴重な自筆原稿を門外不出のものとして所蔵していた。プトレマイオス3世は担保金をかけてそれを借り出すことを認めさせた後、それを返還する代わりに銀15タレントという膨大な違約金とともに写本のみを返したという[1]

このようにアレクサンドリア図書館は世界中から文学地理学数学天文学医学などあらゆる分野の書物を集め、ヘレニズム文化における学術研究にも大きな役割を果たした。

アレクサンドリア図書館で研究され発表された知識は、その後の西洋科学の誕生に大きく貢献した。幾何学エウクレイデス、地球の直径を計測したエラトステネス天動説の大家プトレマイオスなど、ヘレニズムにおける学芸の巨人の多くは、この図書館で研究した。また、古代最高の科学者の一人アルキメデスは主にシチリアシラクサで活動したが、かれも一時的にはアレクサンドリアに滞在したものと推定されている。

大図書館および併設のムセイオンなどの学術施設は当初からプトレマイオス朝の手厚い保護を受け、同王朝の滅亡後はローマ帝国による同様に手厚い保護のもとにあった。

「アレクサンドリア図書館」の喪失[編集]

その後、虫害や火災によって図書館の莫大な蔵書のほとんどは、併設されていた薬草園共々灰燼に帰した。そして後世の略奪や侵略による度重なる破壊で、建物自体も失われた。

アレクサンドリア図書館が火災に遭った原因については諸説がある。プトレマイオス朝末期のユリウス・カエサルの侵攻時(ナイルの戦い (紀元前47年))、港の艦隊の火災が延焼して焼失したと考えられるが、その後ローマ帝国の下で復興した。270年代アウレリアヌス帝時にも内戦による被害を受けている。しかし最悪の打撃は4世紀末以降のキリスト教徒による継続的な攻撃である。5世紀には当時のキリスト教徒大司教の使嗾のもとにヒュパティアの虐殺(415年)などの蛮行を繰り返し、大図書館やムセイオンをも破壊した。このようなキリスト教の蛮行によりヘレニズム学術の貴重な成果の大半が失われた。

アレクサンドリア図書館の分館[編集]

ラコティス地区のセラピス神の神殿(セラペイオン、セラペウム)には、本館をしのぐ規模の分館が存在していたが、391年、異教徒の集会所と見なされ神殿もろとも破壊されている。歴史家オロシウスは同じクリスチャンの手で行われた蛮行を嘆いている。

13世紀になってからアラビアの将軍アムル・イブン・アル=アースが書物をアレクサンドリアの浴場の燃料としたという作り話[要出典]が生まれた。


脚注[編集]

  1. ^ 図書館は写字生を多数抱えており、組織的に写本を作っていた。また当時の写本は、近代的な製紙技術と印刷技術がなかったため、ナイル川のデルタで栽培されていたパピルスを原料としたパピルス紙を利用していた。

出典文献[編集]

  • モスタファ・エル=アバディ 『古代アレクサンドリア図書館 よみがえる知の宝庫』 松本慎二訳、中央公論社中公新書〉、1991年(原著1990年)。ISBN 4121010078

関連文献[編集]

  • 野町啓 『謎の古代都市アレクサンドリア』(講談社現代新書、2000年/講談社学術文庫、2009年)
  • ルチャーノ・カンフォラ 『アレクサンドリア図書館の謎 古代の知の宝庫を読み解く』(竹山博英訳、工作舎 1999年)
  • デレク・フラワー 『知識の灯台 古代アレクサンドリア図書館の物語』(柴田和雄訳 柏書房、2003年)
  • ジャスティン・ポラード、ハワード・リード 『アレクサンドリアの興亡 現代社会の知と科学技術はここから始まった』(藤井留美訳、主婦の友社 2009年)
  • ナイルの遺産-エジプト歴史の旅(屋形禎亮監修、山川出版社

関連項目[編集]

外部リンク[編集]