上を向いて歩こう
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| 上を向いて歩こう | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 坂本九 の シングル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| B面 | あの娘の名前はなんてんかな(オリジナル盤) 九ちゃんの炭坑節(米盤・ジュークボックス向け) 幸せなら手をたたこう(1976年版) 見上げてごらん夜の星を(1988年版) |
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| リリース | 1961年10月15日 1963年7月(再発) 1976年10月20日(再発) 1988年11月6日(再発) 1994年3月16日(再発) 1994年9月7日(再発) 2000年10月25日(再発) ※注:以上は日本での発売日である。 |
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| 録音 | - | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ジャンル | 歌謡曲 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| レーベル | 東芝レコード 東芝EMI |
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| 作詞・作曲 | 永六輔、中村八大 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| プロデュース | 草野浩二 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| チャート最高順位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 坂本九 シングル 年表 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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「上を向いて歩こう」(うえをむいてあるこう、別名:スキヤキ、SUKIYAKI)は、坂本九の大ヒット曲。作詞は永六輔、作曲は中村八大[1]、プロデューサーは草野浩二。ビルボード(Billboard)誌では、1963年6月15日に、週間ランキング第1位を獲得。ビルボード誌1963年年間ランキングでは、第10位。後に数多くのアーティストによってカヴァーされ、いまだに外国人によるモノマネのネタにもされる。現在でも根強いファンが多い。坂本逝去のメモリアルソングとしてもよく用いられる。
目次 |
[編集] 日本でのヒット
元々は中村八大が自身のリサイタルのために制作した楽曲であったが、曲直瀬信子の推薦により、坂本九のシングル曲としてレコーディングされることになった[2]。
1961年8月にNHKで放送されていたテレビ番組「夢であいましょう」の「今月の歌」として発表され、同年10月にレコードが発売されると爆発的なヒットとなった。当時の日本のレコード売り上げランキング(「ミュージック・ライフ」誌に掲載されていた国内盤ランキング[3])では1961年11月 - 1962年1月まで3ヵ月にわたり1位を独走した。
売り上げだけを見れば相当なものであったが、九の独特な歌い回しが耳に合わない当時の保守的な日本の歌謡界においては評価は高くなかった。レコード大賞にも選ばれていない。だが、この評価は世界での大成功により覆された。
[編集] 日本以外でのヒット
1962年、ヨーロッパでこの曲が紹介され、大ヒットした。フランスなどでは原題と同じ意味のタイトルで発売されたが、イギリスでは「SUKIYAKI」、ベルギーやオランダでは「忘れ得ぬ芸者ベイビー」と改題された。
1962年、イギリスのディキシーランド・ジャズのトランペッター、ケニー・ボールが彼のバンドでインスト曲として演奏し、「SUKIYAKI」というタイトルで発売、全英チャートで10位にランクインした。
「SUKIYAKI」という曲名は、ケニー・ボールの所属したイギリスのパイ・レコードの社長ルイス・ベンジャミンが、『原題の「UE O MUITE ARUKOU(上を向いて歩こう)」では英語で発音しにくいだろう』という理由で、社長の好物の日本料理の名前を付けたものだと言われている。しかしケニー・ボールの証言では、「上を向いて歩こう」ではタイトルが長くなってしまい短くわかりやすい日本語の曲名をつけたかったが彼が知っていたものが「SUKIYAKI」と「SAYONARA(さよなら)」ぐらいだったため、「サヨナラ」では暗すぎるし、どうすればいいか考えていた中華料理屋での会食で同席していた友人の女性歌手ペトゥラ・クラーク(当時の彼女は仏ヴォーグ・レーベルに所属していたが、英国でのレコード発売権をパイ・レコードに委託している)に相談したところ「SUKIYAKI」がいいと言われたこともあり、そうしたとのことである。なお原題の英語での直訳は「I LOOK UP WHEN I WALK」である。
実はケニー・ボールはレコーディングの直前に最愛の母を亡くしており、その哀しみをトランペットに込めて演奏(本人の談によれば曲の雰囲気を出すために何とオマルを使ったとのこと)、これもヒットにつながった要因の一つといえる。
ちなみにケニー・ボールは現在でも自分のバンドの演奏レパートリーにこの曲を加えており、2005年にはこの曲が海外でヒットした経緯を辿る番組のために彼のコンサートを訪れた坂本九の次女の大島舞子(舞阪ゆき子)を特別にヴォーカルに迎えて演奏した。
アメリカでは、イギリスでヒットしたケニー・ボール楽団のレコードが発売されたが、チャートの100位以内には入らなかった。しかしワシントン州パスコのラジオDJリッチ・オズボーンが偶然坂本九のレコードを入手し(彼の番組のリスナーの高校生が日本にいるペンフレンドに貰ったものを送ってきたという)、ラジオ番組で「SUKIYAKI」として紹介すると、局に問い合わせが殺到し、1963年、「SUKIYAKA」(発売当初は「SUKIYAKI」が誤植されこのタイトルとなった。後に訂正)の題でキャピトル・レコードから発売され、ビルボード誌で6月15日付から6月29日付まで3週連続、キャッシュボックス誌で6月15日付から7月6日付まで4週連続1位のヒットとなった。ビルボード誌において、英語以外の歌では1958年のドメニコ・モドゥーニョ「ボラーレ」(イタリア語)以来2曲目の1位であり、同年のシングルレコード年間チャート4位にもランクされている。また「全米1位」の影響を受け、日本でも1963年7月に『上を向いて歩こう「スキヤキ」』のタイトルで再プレスされヒットした。しかし当時、「SUKIYAKI」の全米1位は日本の洋楽ファンにとっては大変な出来事だったが、日本の東芝レコードの反応は「全米1位ってそんなに凄いの?」という程度だったという。なお、キャピトル側は最初、アメリカで英語以外の歌がヒットした前例がほとんど無いことから九に英語で歌わせようとしたが、米軍時代に駐日経験のあるオズボーンは日本語で売り出した方が受けがいいと主張、日本語のオリジナルバージョンがそのまま発売された[4]。
この大ヒットを受けて同年8月に坂本九はキャピトル・レコードの招きで渡米、テレビ番組「スティーブ・アレン・ショー」にゲスト出演し、さらに売り上げが上昇した。アメリカ国内の売り上げが100万枚を突破し、翌1964年5月15日には外国人としては初めて全米レコード協会のゴールドディスクを受賞した(当時は100万枚以上がゴールド)。ちなみにこの頃アメリカ国内の音楽雑誌の記事には手書きの「鋤焼(すきやき)」が「鍬焼(くわやき)」となったりレコードジャケットの「坂本九」が「坂木九」となるなどの誤植が見られた。「鍬焼」に関してはNHK「夢であいましょう」内でもヒットの話題を伝える黒柳徹子が触れていた。
このほか世界約70ヵ国で発売され、総売り上げは1300万枚以上[5]とされる。また1988年までにアメリカのラジオでのオンエア回数は100万回を超えた。
2005年6月から「上を向いて歩こう」がイギリスの携帯ネットワーク会社スリー・モバイルのCMソングに起用され、問い合わせが殺到。同年8月29日にイギリスで坂本九のアルバム「メモリアル・ベスト」が発売された。9月には「上を向いて歩こう」をシングル発売。
[編集] その後のアメリカでの活動
アメリカでは渡辺はま子のカバー「支那の夜(China Nights)」(この曲は発売当時は作曲家の専属契約の問題があり、専属契約に対しての縛りが緩和された後には新たに差別表現が問題となり長年日本では発売されず。2004年に発売された坂本九のアルバム「メモリアル・ベスト」で日本発売・初CD化された)も最高58位、アルバム『Sukiyaki and Other Japanese Hits』(有名な「坂木九」の誤植はこのレコードである)も最高14位(いずれもビルボード誌)を記録した。次のシングル「九ちゃんの炭坑節(Tanko Bushi)」(こちらは日本でも発売された)も発売されたが、三井三池炭鉱で起こった爆発事故の影響で歌うことを自粛し、これに伴いアメリカでの活動も事実上終了した。キャピトル・レコードはビートルズのアメリカでのプロモーション以上に宣伝費用をかけたといわれるが、結局、アメリカでは一発屋に終わってしまった。
予定では、本格的に活動拠点を日本国外に移す計画もあったという。尚、坂本九がアメリカでの活動を終えたことで、それ以降ピンク・レディーが37位にランクインするまで日本人歌手がビルボードのHOT 100のランキングに挙がることは出来なかった。
[編集] B面曲
日本盤のオリジナル(東芝音楽工業 JP-5083)、アメリカ盤(Capitol 4945)、イギリス盤(HMV POP-1171)等のB面曲は「あの娘の名前はなんてんかな」(Anoko No Namaewa Nantenkana。ドイツ盤(Electrola E-22477)では「Anoko-No」という表記になっている)。アメリカのジュークボックス用レコードのB面曲は「九ちゃんの炭坑節」(Tanko Bushi)である。
また、日本で1988年にCD化された(東芝EMI XT10-2268)際のカップリング曲は「見上げてごらん夜の星を」である(1994年に発売されたもの(東芝EMI TODT-3208、TODT-3309)はオリジナルと同じく「あの娘の名前はなんてんかな」をカップリングに収録)。
[編集] 主なカヴァー
[編集] 日本の歌手
- 坂本九 & 大島舞子
- 井伊英理
- 岩崎宏美(2008年、アルバム「Dear Friends IV」収録)
- 宇多田ヒカル
- おおたか静流(1995年アルバム「Repeat Psrformance III」収録)
- 大友良英プロデュースの「See You in Dream」にさがゆき、山本精一のボーカルで収録
- 金丸淳一(1993年、アルバム「inspired colors」収録)
- 小林幸恵(2000年、ニッキー・モンロー名義)
- 小柳ルミ子(1973年、CD-BOX「小柳ルミ子 CD-BOX」収録)
- 桑田佳祐(ライブのみ)
- 坂本龍一
- 佐藤竹善(2005年、シングル「風光る」収録)
- さだまさし
- 猿岩石(1998年ベストアルバム「通信簿-SARUGANSEKI SINGLES-」に収録)
- 清水仁(元オフコース)
- スターダストレビュー
- 田代まさし
- ザ・ピーナッツ
- 長渕剛(1997年、坂本九トリビュートアルバム収録)
- 西田ひかる(英語版)
- 平井堅(2003年、DVD「Ken Hirai Films Vol.6 MTV UNPLUGGED」収録)
- ピンキーとキラーズ
- ペギー葉山
- 美空ひばり
- 南こうせつ(1996年、紅白歌合戦でも歌っていた)
- B.B.クイーンズ(1990年、アルバム「We Are B.B.クイーンズ」収録)
- B-DASH(2002年、シングル「平和島」収録)
- Ken Yokoyama(2005年アルバム「Nothin' But Sausage」にSucky Yackyとしてボーナストラックで収録)
- RCサクセション(シングル「ステップ」収録)
- SAYOKO(元ZELDA、1995年)
- VOICE OF LOVE POSSE(2003年)
- デコレ村オールスターズ(2008年)
[編集] 日本以外の歌手
- ケニー・ボール楽団(1962年、イギリスのチャートで10位。インストゥルメンタル)
- ビリーヴォーン楽団(インストゥルメンタル)
- フランク・プゥルセル楽団(インストゥルメンタル)
- クレイド・ビーヴァーズ(1963年。英語)
- テイスト・オブ・ハニー(1981年、ビルボード誌3位、ミリオンセラー。英語)
- ダッギーフレッシュとスリックリック
- 4PM(1995年、ビルボード誌8位。英語)
- ダイアナ・キング (ライブアルバムに収録)
- ザ・ベンチャーズ
- ボブ・ディラン
- ボビー・コールドウェル(日本向けアルバムに収録)
- セレーナ(テハーノ・ミュージックの歌手。スペイン語)
- トリオ・ロス・パンチョス(スペイン語)
- Trish Thuy Trang(ベトナム系アメリカ移民歌手)
- ダニエラ・マーキュリー(ブラジルのポップ歌手。日本語)
- ブルー・ダイヤモンズ(ドイツ語)
- ロッカペラ(アメリカのヴォーカル・グループ)
- ディック・リー(中国系シンガポール人歌手)
- スティエパン・ジミ・スタニッチ(1964年、クロアチア語)
- キッス(アメリカのバンド、ライブのみ)
その他フランス語、デンマーク語、ポルトガル語、中国語等のカバーもあり、すき焼を食べる内容の歌詞に変えられたバージョンも存在する。また、エルヴィス・プレスリーも1964年にカバーする予定だったが、坂本九で1位を取っていることと、良い英語の歌詞が見つからなかったことを理由に断念したという。なお、エルヴィスは後年、ラスベガスでのステージを見に坂本九が訪れたことを知ると「もっと早く知っていればステージに上げて紹介したのに」と残念がったという。
[編集] 映画
1962年に日活より同名の映画が公開された。
少年鑑別所から脱走した主人公の九と良二の更正と趣味に傾斜する行く末を軸に、高度経済成長期に生きる若者達の青春群像を描かれている。
そのため、楽曲からイメージしがちな「集団就職で親元を離れた―」という視点は当てはまらない。
- キャスト
- 河西九:坂本九
- 左田良二:浜田光夫
- 松本健:高橋英樹
- 永井紀子:吉永小百合
- 永井光子:渡辺トモコ
- 永井徳三:芦田伸介
- 久米刑事:大森義夫
- ジェシー・牧:梅野泰靖
- 黒木恵子:高田敏江
- 伸一:亀山靖博
- 五郎:市村博
- 若林:平田大三郎
- 関口:滝恵一
- 石本:石川進
- 吉田:小島忠夫
- 花井:林茂朗
- 監視員A:玉井謙介
- 監視員B:本目雅昭
- 運送店員:ダニー飯田とパラダイスキング
- バンド・マスター:杉江弘
- サックスの男:久遠利三
- ベースの男:柳瀬志郎
- ペット吹き:石丘伸吾
- 正一郎:清水将夫
- ふさ子:原恵子
- 管理人:河上信夫
- 女学生A:小幡真樹子
- 女学生B:茂手木かすみ
- 歌手:上野山功一
- 新田:武藤章生
- チンピラA:木下雅弘
- チンピラB:井田武
- チンピラC:立川博
- 医者:木島一郎
- 係員:紀原土耕
- 女中:清水千代
- 客A:黒田剛
- 客B:榎木兵衛
- 客C:水木京二(水木京一)
- ポンコツ屋の親父:衣笠力矢
- スタッフ
[編集] その他
- 1999年に発行された「わたしの愛唱歌シリーズ第9集」で、切手の題材になった。
- 2005年にNHKが実施した「スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜」で白組39位を記録した。
- 2007年3月4日から友部駅の常磐線ホームで、発車メロディとして使用される。
- 2008年12月20日からは京急線京急川崎駅でも接近メロディとして使用されている。[6]。
- 坂本九はその後日航ジャンボ機墜落事故で逝去したため、命日である8月12日の慰霊式における鎮魂曲として奏でられた。
- 坂本が『スター誕生!』の司会をしていた時にEDテーマとして使われ坂本が歌った。
- 春のセンバツ高校野球大会の入場行進曲が日本の曲(前年の流行曲)になった第1号である。
| 選抜高等学校野球大会入場行進曲 | ||
| 前年度 1961年 第33回 アート・ムーニー楽団 山下敬二郎 『バッファロー大隊マーチ』 |
1962年 第34回 坂本九 『上を向いて歩こう』 |
次年度 1963年 第35回 橋幸夫・吉永小百合 『いつでも夢を』 |
| 先代: レスリー・ゴーア 「涙のバースデイ・パーティ」 |
ビルボード Hot 100 1位獲得シングル 1963年6月15日-6月29日 |
次代: エセックス 「内気な17才」 |
[編集] 脚注
- ^ 当時3人は「六八九トリオ」と呼ばれてもてはやされた。
- ^ 『坂本九 上を向いて歩こう』日本図書センター、2001年、52頁。ISBN 4820559729
- ^ 「ミュージック・ライフ」誌のランキングは、オリコンが発足する以前の日本において、著名なレコード売り上げランキングの一つであった。
- ^ 『坂本九 上を向いて歩こう』58-59頁。
- ^ 『坂本九 上を向いて歩こう』59頁。
- ^ 京浜急行電鉄 報道発表資料

