沢渡朔

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沢渡 朔(さわたり はじめ、1940年1月1日[1] - )は、日本写真家東京都出身[1]。女性ポートレートの分野を中心に幅広く活躍。『少女アリス』等の写真集を出版している。

父の沢渡恒(ひさし)は佐伯キリコのペンネームでも知られ、早逝した詩人[要出典]母の沢渡敏子も坂窗江(さかまどえ)の名前で詩人として活動した[要出典]

経歴[編集]

中学の修学旅行の際に中古のリコーフレックスを入手し、写真を撮り始める[2]日大二高では写真部に所属[2]2年上の先輩に後に写真家になる一色一成がおり、指導を受けたという[要出典]。高校3年時に『サンケイカメラ』誌月例コンテストの中高の部でいきなり3作品を入賞させ、その後も月例コンテストの常連となる[2]

日芸の写真学科に進学後、月例コンテストの選者だった佐藤明のアドバイスで月例コンテストからは撤退[2]。この頃、映画『死刑台のエレベーター』を見てジャズヌーヴェルヴァーグに傾倒[2]。詩人の白石かずことともに横田基地に通い、黒人女性や子供たちの撮影に取り組む[2]。在学中には既に『カメラ毎日』『女性自身』などに作品を発表しはじめている。

大学卒業後日本デザインセンターに入社[2]高梨豊のアシスタントとなるも、遅刻ばかりしていたため解雇され、フリーとなる[2]ファッション写真の分野に興味があった為、立木義浩の紹介で少しずつファッション誌の仕事を始める[2]。やがて『an・an』が創刊されると、雑紙の方針もあり沢渡はそれまでの日本のファッション写真の常識を打ち破る作品を発表してゆく[要出典]

ファッション写真以外では、桑原武夫らとのコラボレーションで、イギリスの10歳の少女モデル、サマンサを撮影[2]。『不思議の国のアリス』をモチーフとした写真集『少女アリス』として発表[2]。高い評価を得る。

1973年にはイタリア人モデルのナディアと出会い、彼女をテーマにした作品の制作に取り組む[2]。サマンサとナディアの撮影によって、それまでのテーマが一度「完結してしまった」沢渡は40代の間スランプに陥るが、50代になってスランプを脱出し[2]、女性グラビアを中心に活動を続けている。

年譜[編集]

著書・写真集[編集]

その他[編集]

レコードジャケット[編集]

  • クリエイション
    • PURE ELECTRIC SOUL

雑誌表紙[編集]

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  1. ^ a b 『現代日本人名録2002』1巻p1432
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 池谷修一 沢渡朔 Fotonoma The Photographer 2003年 fotonoma