ラストタンゴ・イン・パリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ラストタンゴ・イン・パリ
Ultimo tango a Parigi
監督 ベルナルド・ベルトルッチ
脚本 ベルナルド・ベルトルッチ
フランコ・アルカッリ
アニエス・ヴァルダ仏語台詞)
製作 ベルナルド・ベルトルッチ
アルベルト・グリマルディ
出演者 マーロン・ブランド
マリア・シュナイダー
音楽 ガトー・バルビエリ
撮影 ヴィットリオ・ストラーロ
編集 フランコ・アルカッリ
ロベルト・ペルピニャーニ
配給 ユナイテッド・アーティスツ
公開 フランスの旗 1972年12月15日
イタリアの旗 1972年12月16日
アメリカ合衆国の旗 1973年1月27日
日本の旗 1973年6月23日
上映時間 136分
129分
250分(オリジナル)
製作国 イタリアの旗 イタリア
フランスの旗 フランス
言語 英語
フランス語
製作費 $1,250,000[1][2]
興行収入 $36,144,824[2] アメリカ合衆国の旗カナダの旗
$96,301,534[2] 世界の旗
テンプレートを表示

ラストタンゴ・イン・パリ』(: Ultimo tango a Parigi: Last Tango in Paris)は、1972年イタリア映画

概要[編集]

1970年代前半の映画にして大胆な性描写(一般映画として、アナル・セックスの描写がある初の映画と言われる)が世界中に物議を醸し、本国イタリアに至っては公開後4日にして上映禁止処分を受け、日本でも下世話な話題ばかりが先行し、当時の興行成績は芳しくなかったという。反対に支持者も多く、ミッキー・ロークはこの映画の大ファンであり『ナインハーフ』を作るきっかけになったという。

主演のマーロン・ブランドにとっては辛い映画であり「役者として拷問のような体験だった」と語っており、私生活でも泥沼の裁判劇の挙句敗訴という憂き目に遭った。ヒロイン役のマリア・シュナイダーに至っては波乱万丈の人生を余儀なくされ、この映画に出演した事を「人生最大の痛恨」と語っている[3]。しかし両名の演技の評価は高く、特にブランドの中年男の悲哀感をたっぷりにじませた迫真の演技は圧倒的なものであり、本作でブランドはニューヨーク映画批評家協会賞を受賞している。

当初はドミニク・サンダがヒロイン役として考えられていたが、妊娠のため降板した。

映画冒頭ではフランシス・ベーコン (芸術家)の絵画が2点起用されており、主人公達のコスチュームデザインもベーコンの絵画から作られている。[[1]]

あらすじ[編集]

パリのアパルトマンの空室でうらぶれた中年男(マーロン・ブランド)とブルジョア系の若い娘ジャンヌ(マリア・シュナイダー)は単に部屋を探していた身であったが、間違って掛かってきた電話の男に刺激され、男はジャンヌを犯す。ジャンヌにはれっきとしたTVディレクターのトム(ジャン=ピエール・レオー)という恋人が居たものの、アパートで会う時は互いにただのオス・メスとして行為に更ける。やがて男には暗い過去が明らかになり、実は男には自殺した妻が居たという。男はジャンヌを牝の肉玩と見なしていたが、次第に2人の立場が逆転していき男が中年の醜い姿を晒した時、二人の間の肉欲の関係は終わりを告げる。

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

主な受賞歴[編集]

アカデミー賞[編集]

ノミネート
アカデミー監督賞:ベルナルド・ベルトルッチ
アカデミー主演男優賞:マーロン・ブランド

ゴールデングローブ賞[編集]

ノミネート
作品賞 (ドラマ部門):
監督賞:ベルナルド・ベルトルッチ

全米映画批評家協会賞[編集]

受賞
主演男優賞:マーロン・ブランド

ニューヨーク映画批評家協会賞[編集]

受賞
主演男優賞:マーロン・ブランド

ポルノ裁判[編集]

本国イタリアでは上映禁止になっただけでなく、猥褻映画だとして主演のブランドとシュナイダーの両名は出頭しなければならなくなり、ポルノ裁判に掛けられ有罪になってしまった。また本国では1987年になりようやく解禁され、ビデオソフトなども発売できるようになったという。『地獄のハリウッド宝島社)』によると、この事件がきっかけでブランドは前妻に「こんな恥さらしなセックス映画に出た人に父親の資格がない!」と言われ、全面的に親権を奪われてしまったという。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ Last Tango in Paris (1973)” (英語). Box Office Mojo. 2011年5月19日閲覧。
  2. ^ a b c Ultimo tango a Parigi (1972) - Box office / business” (英語). IMDb. 2011年5月19日閲覧。
  3. ^ Downhill ride for Maria after her tango with Brando” (英語). The Sydney Morning Herald (2006年6月22日). 2011年5月19日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]