沢島忠

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沢島忠
主な作品
人生劇場』シリーズ
一心太助』シリーズ
殿さま弥次喜多』シリーズ
ひばり捕物帖』シリーズ
右門捕物帖』シリーズ

沢島 忠(さわしま ただし、旧字体:澤島1926年5月19日 - )は、日本の映画監督舞台演出家である。時代劇ひばり映画、および東映任侠映画の先駆者・巨匠として知られ、現在は舞台演出家として活躍中。沢島 正継(読みは同じ)とも。

来歴・人物[編集]

滋賀県愛知郡湖東町(現在の東近江市)に生まれる。1948年(昭和23年)、同志社大学文学部の聴講生となり、同大で教えていた野淵昶監督に師事、野淵の主宰する劇団「エランヴィタール」に参加し、演出助手となる。翌年大学を中退する。1950年(昭和25年)3月、同劇団が解散、俳優の月形龍之介の紹介で東横映画助監督部に入社する。翌年の3社合併で東横は東映になり、ひきつづき東映京都撮影所に勤務、マキノ雅弘松田定次渡辺邦男らに師事する[1]

1955年(昭和30年)4月、28歳のとき、渡辺邦男監督のスクリプターで、戦前に「マキノ東京派」と呼ばれたタカマツ・アズマプロダクション高松豊次郎の孫娘にあたる高松富久子と結婚する[1]。のちに『暴れん坊兄弟』(1960年)などの脚本家としてクレジットされる「鷹沢和善」は富久子との共同ペンネームである。

1957年(昭和32年)に監督昇進、『忍術御前試合』で監督デビューとなる。1967年(昭和42年)、東映との契約を解消、東京映画専属、1971年(昭和46年)には「コマ・プロダクション」を設立、フリーランスとなる[1]。1977年(昭和52年) 『巨人軍物語 進め!!栄光へ』を最後に監督を廃業する。その後は、舞台演出家として、現在もハイペースに活動中。

作風[編集]

徹底した娯楽主義の監督・演出家で、老若男女を問わず楽しめる完成度の高い作品を手堅く仕上げる職人肌の監督である。全49本の監督作品は、時代劇、ひばり映画、仁侠映画に大別できる。

時代劇では初代中村綿之助(萬屋錦之介)の当たり役『一心太助』シリーズや『殿さま弥次喜多』シリーズなどを手掛けた。また、大友柳太朗の代表作の一つの『右門捕物帖』シリーズの『右門捕物帖 片目の狼』など2作を監督しシリーズの作風基礎を作る。

ひばり映画では、江利チエミ競演の作品を含めて多数を手掛けた。美空ひばりが一番やりやすい監督と考えており、指名を受けることが多かった。またひばりの舞台も多く手掛けている。このひばり映画で東映娯楽時代劇にミュージカルの要素を持ち込んだことでも知られている。美空ひばりの映画シリーズ代表作の一つ『ひばり捕物帖』シリーズも最初の2作手がけた。

仁侠映画では鶴田浩二の代表作の「人生劇場シリーズ」などを手掛けている。『人生劇場 飛車角』はヤクザ映画の魁となった作品である。

現在も年に数本というハイペースで精力的に舞台演出をしているが、時代劇がほとんどである。また講演会やレトロスペクティブなどでしばしば公の場に姿を現している。

主な映画監督作品[編集]

主な舞台監督作品[編集]

参考文献[編集]

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  1. ^ a b c 『日本映画監督全集』(キネマ旬報社、1976年)の「沢島正継」の項(p.195-196)を参照。同項執筆は杵麻旬子。

外部リンク[編集]