光明寺 (鎌倉市)

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光明寺
Komyo-ji Main Hall.jpg
本堂(重文)
所在地 神奈川県鎌倉市材木座6-17-19
位置 北緯35度18分11.62秒
東経139度33分16.75秒
山号 天照山
宗旨 浄土宗
宗派 (鎮西派)
寺格 大本山
本尊 阿弥陀如来
創建年 仁治元年(1240年
開山 然阿良忠
開基 北条経時
中興年 13世紀〜14世紀頃
中興 祐崇
正式名 天照山蓮華院光明寺
札所等 鎌倉三十三観音18番
鎌倉二十四地蔵22番
東国花の寺百ヶ寺 鎌倉2番
文化財 当麻曼荼羅縁起2巻(国宝)
本堂・当麻曼荼羅図一幅・浄土五祖絵伝一巻(重文)
公式HP 浄土宗大本山 光明寺
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光明寺(こうみょうじ)は、神奈川県鎌倉市材木座にある浄土宗寺院である。寺格大本山。山号を天照山と称する。本尊は阿弥陀如来開基(創立者)は北条経時開山(初代住職)は、浄土宗三祖然阿良忠(ねんなりょうちゅう)である。

目次

[編集] 歴史

鎌倉幕府4代執権北条経時が法然の流れを汲む浄土宗の高僧・然阿良忠(1199-1287)を開山として、仁治元年(1240年)、鎌倉の佐助ヶ谷(さすけがやつ、鎌倉市佐助2丁目)に開創した蓮華寺が当寺の起源とされる。同寺は寛元元年(1243年)、現在地に移築され、光明寺と改称したという。別伝では、北条氏の一族である大仏朝直(おさらぎともなお、1206-1264)が建立した悟心寺が元で、これが後に蓮華寺、さらに光明寺に改称したともいう。

その後、13世紀〜14世紀にかけての歴史はあまり定かでないが、室町時代には中興開山とされる祐崇上人(ゆうそうしょうにん、?-1509)によって復興された。明応4年(1495年)には後土御門天皇より勅願寺(天皇の指定した祈願寺)に定められている。

近世には、浄土宗の関東十八檀林の第一位の寺として栄えた。「関東十八檀林」とは、浄土宗に帰依していた徳川家康が定めた、浄土宗の学問所18か寺のことで、光明寺はその筆頭であった。

[編集] 境内

  • 山門-五間三戸二重門(正面柱間が5間で、うち中央3間が通路になっている、2階建ての門)で、浄土宗関東総本山にふさわしい大規模な門である。鶴岡八幡宮から移築したものとされ、弘化4年(1847年)頃の建築である。
  • 本堂(重文)-元禄11年(1698年)の建立。入母屋造、銅板葺きで、正面側面ともに約25メートルの、鎌倉地方でも最大級の本堂である。内部は畳敷きの広大な空間となっている。1923年の関東大震災でもほとんど損傷しておらず、建立当初の形式をよく保っている。1999年に重要文化財に指定されている。
  • 内藤家墓所-日向延岡の領主内藤家歴代の墓所で、200基以上の石塔が立つ。江戸の霊巌寺から移されたものである。

このほか、総門、稲荷社、鐘楼なども近世の建築であり、他に開山堂、書院、客殿などが建つ。

庭園は小堀遠州作と伝える蓮池を中心とした庭と、「三尊五祖来迎の庭」と称する枯山水庭園がある。

また、近くにたつ蓮乗院、千手院はともに浄土宗で光明寺の支院。蓮乗院は光明寺が佐助ヶ谷から移転する前からこの地にあったもので、光明寺完成まで住職がこの寺に滞在した故事から現在でも光明寺の住職がかわるときは、新しい住職はいったんこの寺に入ってから、光明寺に行く。

[編集] 文化財

当麻曼荼羅縁起(部分)

[編集] 国宝

  • 紙本著色当麻曼荼羅縁起 2巻-鎌倉時代制作の絵巻物で、上下2巻に分かれる。奈良・當麻寺に伝わる著名な当麻曼荼羅中将姫の説話を絵解きしたものである。

[編集] 重要文化財

  • 本堂
  • 絹本著色当麻曼荼羅図 1幅
  • 紙本著色浄土五祖絵伝 1巻
  • 絹本著色十八羅漢および僧像 19幅

[編集] お十夜

例年10月12日~15日まで行われる念仏法要。現在は植木市や露店なども立つ。

[編集] 交通

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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