中間市

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なかまし
中間市
NakamaSt.jpg
Nakama Fukuoka chapter.JPG
中間市章
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 福岡県
団体コード 40215-0
面積 15.98km²
総人口 43,616
推計人口、2012年1月1日)
人口密度 2,730人/km²
隣接自治体 北九州市遠賀町鞍手町水巻町
市の木 クスクロガネモチ
市の花 パンジーコスモス
市のキャラクター なかっぱ
中間市役所
所在地 809-8501
福岡県中間市中間一丁目1番1号
中間市役所
外部リンク 中間市役所

中間市位置図(福岡県)

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村
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中間市(なかまし)は、福岡県の北部にある筑豊炭田の一角をなし、エネルギー革命による炭坑の閉山等で一時人口が大きく落ち込んだが、その後北九州都市圏ベッドタウンとして再生した。旧遠賀郡

目次

[編集] 地理

東と南は北九州市八幡西区に、西は鞍手郡鞍手町および遠賀郡遠賀町に、北は遠賀郡水巻町にそれぞれ接している。市域のほぼ中央部を南北に貫流する一級河川遠賀川によって、川西(かわにし)と川東(かわひがし)の2つの地区に分けられている。東部地域には住宅地や商業施設が広がり、全人口の約90%がこの東部地域に集中している。一方、西部地域には農耕地や公園などの緑地が広がっており、一部では工業団地も立地している。

(参考)国土地理院 地図閲覧サービス 2万5千分の1:中間市

[編集] 行政域の変遷

  • 1889年明治22年) 中間村と岩瀬村が合併して長津村
  • 1922年大正11年) 町制施行で長津町
  • 1924年(大正13年) 町名変更で中間町
  • 1932年昭和7年) 中間町と底井野村が合併して中間町
  • 1958年(昭和33年) 市制施行し中間市

[編集] 隣接している自治体・行政区

[編集] 人口

Demography40215.svg
中間市と全国の年齢別人口分布(2005年) 中間市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 中間市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
中間市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 33,734人
1975年 43,145人
1980年 48,647人
1985年 50,294人
1990年 49,216人
1995年 49,353人
2000年 48,032人
2005年 46,560人
2010年 44,214人
総務省統計局 / 国勢調査

[編集] 歴史

[編集] 中間市の成り立ち

中間市域は肥沃な遠賀平野に位置していることから古代より稲作の盛んな地域であり、遠賀川式土器など弥生時代の農耕文化を伝える遺物が多数出土している。垣生丘陵周辺には古墳時代後期に作られたと見られる横穴式の群集墓(垣生羅漢百穴:県指定史跡)が多数見られ、この地に有力な豪族がいたことを伺わせる。また、当初宗像郡宗像郷に属し、宗像郡の中心部であったが、遠賀郡が宗像郡から分郡されて誕生したため遠賀郡宗像郷に属すこととなった。

中間市域は鎌倉時代から室町時代にかけて筑前国山鹿城芦屋町山鹿)を本拠とする豪族麻生氏の所領となり、現在の月瀬八幡宮(上底井野)がある丘陵に猫城という出城が築かれた。その後宗像大宮司宗像氏との勢力争いに敗れた麻生氏は、1578年(天正6年)宗像氏に川西地区を割譲して従属し、猫城には宗像氏家臣吉田倫行が配属された。1580年(天正8年)5月豊後大友氏の命を受けた筑前国鷹取山城(直方市頓野)毛利鎮実が猫城に攻め寄せるが、宗像勢はこれを撃退している。宗像氏断絶後は、小早川氏が支配した。

江戸時代には黒田藩の所領となり、1621年(元和7年)には度々氾濫していた遠賀川の治水対策のため遠賀川と洞海湾とを結ぶ運河開削工事が始まった。この運河は堀川と呼ばれ、1762年(宝暦12年)に完成してからは遠賀川一帯の治水、利水に大きく貢献することとなる。

明治時代から昭和時代にかけて、この地で産出される石炭が近代産業を支える重要なエネルギー源として利用されるようになり、筑豊炭田から産出される石炭は遠賀川や堀川を往き来する「川ひらた」という小型の舟を使って輸送されていた。1891年(明治24年)に筑豊本線1912年(明治45年)に香月線が開通すると鉄道による大量輸送が可能になり、中間は炭鉱の町として全盛を誇った。新手・大隈・岩崎などの炭坑が相次いで開発され、1914年(大正3年)には大正鉱業株式会社が事業を開始した。

[編集] 市制施行

戦後、様々な行政事務の見直しが進められるにあたり、基礎自治体の適正な規模も見直される動きが全国的に起こった。遠賀郡部では、まず福岡県主導により1950年(昭和25年)に中間町・水巻町芦屋町・香月町・遠賀村・岡垣村の4町2村による人口12万超の「遠賀市」構想が計画され、関係自治体での調査研究が行われたが、1951年(昭和26年)の統一地方選挙で多くの町村長・議会議員が改選を迎えたため、この構想は自然消滅となった。 次いで1952年(昭和27年)には、前回の4町2村に加えて八幡市若松市戸畑市の3市も含めた50万人超の「大遠賀市」構想が再燃し、世論調査も行われたが、今回も合併には至らず立ち消えとなった。なお、1955年(昭和30年)に香月町は八幡市に編入されている。 更に1957年(昭和32年)、遠賀川水利権と住宅適地を求めていた八幡市は、議員団を中間町に派遣して視察を行い、遠賀郡を含めた合併により大八幡市の建設を呼びかけた。しかし大きな市の辺地となることを恐れた郡部各町村の反応は悪く、それぞれ単独での市制・町制施行に向けた動きへと変わっていった。

地方自治法上のとなるべき人口要件は5万人以上であるが、1958年(昭和33年)4月の法律改正による特例措置により、同年9月30日までに申請のあったものについては人口3万人以上をもって市となることを認めるとされた。そこで急遽市議会内において市制調査特別委員会を設置してその可否を研究した結果、「市制施行すべき」との答申が行われ、9月末の期限直前に福岡県知事宛ての市制申請書が提出された。市制申請書は県を通じて総理府に提出され、11月1日をもって県下20番目の市となることを許可された。

[編集] 炭鉱の町から住宅都市へ

一方、この頃から始まった「エネルギー革命」によって石炭の需要は激減し、その結果石炭産業に依存していた中間市は大きな打撃を受け、1964年(昭和39年)12月の大正鉱業株式会社を最後に市内の炭坑は全て閉山し、この頃の市の人口は34,000人を割るほどにまで落ち込んだ。 この頃の市債(市の借金)のほとんどは教育債であり、ベビーブームに対応するため昭和20年代後半から30年代前半にかけて建設が続いた小中学校の新改築費の影響が重くのしかかってきていることが伺えるが、昭和30年代後半になると、炭坑閉山による失業者生活保護世帯の増加及び経営難に陥った炭鉱企業各社の市税滞納により市財政の収支は急速に悪化し、1962年(昭和37年)末には資金不足に陥り財政再建準用団体の指定を受けることになった。

6か年度にわたる財政再建計画に基づいて緊縮財政を行った結果、1968年(昭和43年)3月末で財政再建準用団体の指定を解除することができたが、歳入増を目指して行った数々の大規模開発に絡む利権は公共事業をめぐる汚職の温床となり、1966年(昭和41年)11月から翌年1月にかけて、当時の添田八尾亀市長をはじめとする市の幹部が相次いで贈収賄容疑によって逮捕されるという事件が起こった。市長は容疑を否認し続け、1967年(昭和42年)4月の統一地方選挙で有権者の判断を仰いだ結果、僅差で辛くも再選を果たした。

昭和30年代後半から40年代にかけて、中間市は炭鉱の町から脱却して北九州経済圏の住宅都市としての再生を目指し、「通谷周辺の住宅団地化」「大正鉱業跡地の再開発」「川西地域の工業団地化」を3つの柱に掲げた。通谷を中心とする筑豊電気鉄道沿線の住宅団地開発は1961年(昭和36年)から手がけられ、1964年(昭和39年)には松ケ岡県営住宅が完成し、中鶴の大正鉱業跡地については1969年(昭和44年)から市営・県営・住宅公団による住宅建設が行われた。川西地域の工場団地化については、1963年(昭和38年)に産炭地域振興事業団が中底井野と遠賀村にまたがる虫生津の地に工場団地を造成し、一方1967年(昭和42年)には中間市が上底井野の五楽に工場団地を造成した。

1971年(昭和46年)4月に市長選が行われ、緊縮財政を掲げる新人の岡部丘雄が開発推進派で現職の添田八尾亀を破って中間市第2代目の市長となった。しかし就任直後の同年5月、市民課窓口で対応していた市職員が市民に差別発言をしたということで部落解放同盟中間支部からの糾弾を受け、部落解放対策室を設けることや同和住宅保育所など総額30億に及ぶ施設等の整備を盛り込んだ覚書に市長は同意し、その覚書に基づいて1972年(昭和47年)、「解放保育所」と「部落解放会館(隣保館)」がオープンした。

[編集] ダイエーグループの進出

1975年(昭和50年)4月に行われた市長選によって添田八尾亀が再び市長に返り咲くと、「コミュニティづくり政策」を掲げて施設整備を推進し、1978年(昭和53年)1月に屋島庭球場、5月に中央公民館、6月に市立病院(改築)、7月に市営野球場、11月に体育文化センター、翌1979年(昭和54年)4月に勤労青少年ホームおよび弓道場1979年(昭和55年)6月に働く婦人の家と、公共施設が立て続けに新築(改築)された。

また、添田市長は消費人口の市外流出を食い止めるため、田中六助衆議院議員の仲介でダイエー中内功社長と接触し、人口増加の著しい通谷地区への大規模スーパー誘致を要望した。地元商店街の反発があったものの、ダイエー側は専門店街に隣接した用地を地元商業者用の出店用地(グリーンプラザ商店街)として確保することを条件として提示することにより合意を図り、1978年(昭和53年)9月に「ダイエー中間店」がオープンした。市内に核となる大型ショッピングセンターが進出したことは、消費人口の市外流出阻止に一定の効果が見られたが、この年を境に地元商店街の衰退は急速に進むこととなった。

相次ぐ公共施設の建設は当然市の財政を圧迫し、昭和50年代中頃には再び財政再建準用団体に転落する寸前となったが、昭和40年代に行った住環境整備政策の成果がようやく現れてきて、人口の増加に伴う市税収入の改善により辛うじて持ち直すことができた。ただし、単年度赤字については解消されたものの、この頃の建設ラッシュにより膨らんだ市債(借金)の償還にあてられる公債費の比率が上昇したことは、その後も中間市の財政を硬直化させる原因となった。

[編集] ふるさと・中間の創造

通算6期23年の長期にわたって中間市(町)長を務めた添田市長が1982年(昭和57年)8月に急死したことを受けて9月に市長選挙が行われ、保守系で文化人の木曽寿一が第4代中間市長となり、前市長が進めていた百貨店の誘致計画も継承することになった。

添田市長時代に誘致されたダイエー中間店に隣接する広大な市有地については、地元商店組合連合会が中心となって結成した「中間中央商業開発協同組合」と旧地権者により設立された出資会社「グリーンプラザ開発」に対して1977年(昭和52年)に払い下げられていたが、1983年(昭和58年)2月にダイエーの副社長とオ・プランタン・ジャポン(ダイエーとフランスの百貨店オ・プランタン合弁会社)の開発担当部長らが訪れ、高級百貨店プランタンの進出を突如発表した。出店計画としては、核となる百貨店と連絡通路で結ばれた地元専門店ビル、レストランなどを備えた高層ホテルなどの建設が計画されていた。

ところが、オ・プランタン・ジャポンの業績が想定より伸びなかったため、ダイエー関係者は新規店舗の出店に徐々に慎重になってきていた。同年9月に新聞紙上で「プランタン出店打ち切り」との記事が掲載されると、それまで行政、議会、商工会議所三位一体で磐石に進められてきた誘致運動に影が差し始め、翌10月に中内社長が正式に「プランタン銀座店以外の店舗の縮小」「新規進出計画凍結」の方針を記者発表することで、事実上、中間市への進出計画は消滅した。

市制施行時から県立高校誘致の動きはあったが、当時中間市は住宅地の造成に力を入れていたこともあって、同じく黒崎地区の中学生の進学先に苦心していた八幡市の熱意が勝って福岡県立八幡南高等学校の設立となり、一方中間市では、1962年(昭和37年)4月に土手ノ内に「西日本電子工業専門学校(現在の希望が丘高等学校)」が開校することになった。また、1973年(昭和48年)ごろから再び県立高校誘致の動きが起こったが、市側が用意した用地に好地がなかったため、このときも北九州市に先を越され福岡県立北筑高等学校の設立となった。1980年(昭和55年)ごろから起こった三度目の誘致運動では、利便性の高い候補地を準備し、精力的な陳情が行われた結果、1983年(昭和58年)4月に待望の福岡県立中間高等学校が開校した。

そのころ、長年にわたって石炭輸送を担ってきた筑豊ローカル線は、石炭産業の終焉とモータリゼーションの進展により赤字化に拍車がかかっており、国鉄の累積赤字が膨らむにつれ廃止問題に揺れることとなった。1981年(昭和56年)運輸省を中心に赤字ローカル線の廃止基準が決定された結果、中間市の中間駅北九州市八幡西区の香月駅とを結んでいた香月線も廃止の対象となり、その跡地は道路として整備することや、代替輸送は西鉄バスが行うこと、転換交付金はバス購入費や利用者への補償、道路整備費等に充当されることなどを盛り込んだ廃止案が了承された。1985年(昭和60年)3月31日をもって廃止された香月線の跡地の一部には、1988年(昭和63年)11月に市制施行30周年記念事業の一環として世界の石像のレプリカを配した「屋根のない博物館」が整備された。 また、長く市民から要望のあった市立図書館が1987年(昭和62年)5月に、歴史民俗資料館が同年11月にオープンしたのは、文化の薫るまちづくりを進めた木曽市長らしい施策であった。

[編集] 人にやさしいまちづくり

1992年(平成4年)6月に、木曽市長の死去に伴う市長選挙が行われ、建築行政に長く携わってきた前助役藤田満州雄が当選した。 添田市長の時代に計画されていた市民会館の建設構想は、巨額の建設費を必要とするために先延ばしとなっていたが、1990年(平成2年)7月、市内の文化団体代表者らによる「中間市『市民会館』または『文化ホール』建設実行委員会」が発足し、24,000人を超える署名を集めて9月議会に請願を行うなど、市民会館建設の機運が再び高まってきた。1994年(平成6年)11月から始まったこの中間市始まって以来の大事業は、総額57億円の巨費を投じて1996年(平成8年)11月1日に完成し、愛称を「なかまハーモニーホール」として中間市民の芸術・文化活動の拠点として長く親しまれることとなった。

一方、この頃からダイエーグループ本体は勢いに陰りが見えてきていたにもかかわらず、当時宅地開発が相次いでいた筑豊電気鉄道沿線に立地するダイエー中間店は好調に売上を伸ばしていたため、積極的な投資が行われた。プランタン出店が予定されていた用地については百貨店スーパーマーケットの中間的な業態に方針転換し、1993年(平成5年)12月「バンドール中間店」がオープンした。また、1998年(平成10年)11月には核テナントであるダイエー中間店・バンドール中間店に加えて、当時国内最多の16スクリーンを有するシネマコンプレックス「AMCなかま16(現在はユナイテッドシネマなかま16)」や、「セガアリーナ」および各種専門店街を増設し、複合型ショッピングモール「ショッパーズモール中間(現在はショッパーズモールなかま)」として新装開店した。

また、この頃国は、地域の保健・福祉サービスを総合的に提供する施設群を民間事業者の手によって整備するまちづくり「ふるさと21健康長寿のまちづくり事業(ウェルエイジングコミュニティ事業・WAC事業)」を進めており、中間市は三大都市圏以外では初めて、全国では4番目に認定を受け、第三セクター方式により通谷地区に民間活力による「福祉の里・ウエルパークヒルズ」づくりに着手した。その計画は、特別養護老人ホーム「サンライズ北九州」・「新中間病院」・介護老人保健施設「サンフラワーズ北九州」・「千寿中間」の4施設を核としたもので、さらに株式会社西日本医療福祉総合センターや21階建ての介護付有料老人ホーム「レーベン21」が入る中央棟と在宅介護サービスセンターの北棟が完成した1997年(平成9年)10月に事業開始し、温泉やスポーツセンターからなる南棟が竣工した2000年(平成12年)12月に全面オープンとなった。中間市もこれに合わせて2001年(平成13年)5月、垣生地区にあった社会福祉センターをウエルパークヒルズの敷地内に移転し、中間市地域総合福祉会館「ハピネスなかま」として新築オープンした。このことによりこの通谷地区に、医療・健康・福祉・居住・生きがいと、多様な観点からサービスを提供する総合的な福祉コミュニティが誕生した。

[編集] 北九州市との合併への動き

3期目に臨んでいた藤田市長が2001年(平成13年)6月に肝不全のため急逝し、同年7月に行われた市長選挙によって元市議会議員副議長の経験者でもある大島忠義が初当選を果たした。 しかしこの頃国では小泉純一郎内閣による三位一体の改革が断行されており、国庫補助負担金と地方交付税の大幅な削減と、それに比し不十分な税源移譲によって、各地方自治体の財政は困窮していた。特に、旧産炭地から住宅都市としての再生を図っていたため主要な産業を持たない中間市にとって、主要な収入源である地方交付税の削減は死活問題であった。

一方、国の進める平成の大合併がこの頃ピークを迎えており、その手厚い財政支援の条件が2005年(平成17年)3月31日までに合併手続きを完了することであったことから、財政運営に苦慮し市の行く末を悲観した大島市長は次第に合併推進へと舵を切ることとなった。

福岡県が推進していた遠賀郡との合併を当初は模索していたが、遠賀郡はこの頃4町での合併協議を既に始めていたことから中間市が途中で入ることは難しかったため、遠賀郡との合併が無理と悟ると、大島市長は2003年(平成15年)急遽独断で北九州市との合併を目指すことを表明した。 このことにより北九州市への編入合併の動きが本格化し、2004年(平成16年)1月15日には、北九州市・中間市合併協議会が設置された。法定協議会の中では、現中間市域に当分の間ひとつの行政区を置くこと、中間区の議員定数は定数特例を採用し3人とすること、合併の期日は2006年(平成18年)3月31日とすることなどが決定されていた。

10月31日住民投票が行われ賛成多数[1]の結果が得られたが、議員の在任特例が適用されず、北九州市主導で進められる合併協議に対し不満と不安を抱くようになった中間市議が12月24日市議会本会議において、まず冒頭に投票方式を無記名にて実施する要求を提出して可決され、続いて合併議案を無記名投票にて否決し、平成の大合併における北九州市との合併は白紙に戻った[2]

[編集] 行政

[編集] 三役

  • 市長:松下俊男(まつした としお) 2005年(平成17年)7月22日-
  • 副市長
  • 教育長:吉田 孝(よしだ たかし) 2009年(平成21年)1月4日-

[編集] 歴代市長

氏名 就任年月日 退任年月日 在任期間
初代 添田八尾亀 1958年(昭和33年)11月1日 1971年(昭和46年)4月29日 12年5ヶ月
2代 岡部丘雄 1971年(昭和46年)4月30日 1975年(昭和50年)4月29日 4年0ヶ月
3代 添田八尾亀 1975年(昭和50年)4月30日 1982年(昭和57年)8月15日 7年3ヶ月
4代 木曽寿一 1982年(昭和57年)9月26日 1992年(平成4年)4月26日 9年7ヶ月
5代 藤田満州雄 1992年(平成4年)6月7日 2001年(平成13年)6月4日 8年11ヶ月
6代 大島忠義 2001年(平成13年)7月22日 2005年(平成17年)7月21日 4年0ヶ月
7代 松下俊男 2005年(平成17年)7月22日 現職

[編集] 広域行政

  • 遠賀・中間地域広域行政事務組合
    構成団体:中間市・芦屋町水巻町岡垣町遠賀町
    業務内容:ごみし尿処理、火葬場、老人福祉施設、休日急病センター、農業共済
  • 中間市外二ヶ町山田川水利組合
    構成団体:中間市・遠賀町鞍手町
    業務内容:農業水利権の確保、農業用水の調整
  • 堀川水利組合
    構成団体:中間市・水巻町
    業務内容:農業水利権の確保
  • 中間市行橋市競艇組合
    構成団体:中間市・行橋市
    業務内容:若松競艇の開催

[編集] 行政機関等

[編集] 警察

中間市は福岡県警察折尾警察署の管轄区域となっている。
中間市には警察署が存在せず、岩瀬と垣生にあった駐在所も再編成されて廃止になった。
  • 中間交番
  • 東中間交番
※自動車のナンバープレートは「北九州」ナンバーが交付される。

[編集] 消防

  • 中間市消防署

[編集] 郵便

  • 中間郵便局
  • 中間土手の内郵便局
  • 中間中鶴郵便局
  • 中間徳若郵便局
  • 中間通谷郵便局
  • 底井野郵便局

[編集] 議会

  • 議長:井上太一(いのうえ たいち)
  • 副議長:古野嘉久(ふるの よしひさ)
  • 任期満了日:2015年(平成27年)4月23日
  • 定数:19人
2011年(平成23年)6月1日現在
会派名 議席数 議員名(◎は代表者)
日本共産党 3 ◎宮下寛、青木孝子、田口澄雄
市民の声 1 ◎佐々木晴一
福祉クラブ 1 ◎安田明美
清風会 1 ◎古野嘉久
中間クラブ 1 ◎植本種実
自民クラブ 5 井上太一、中野勝寛、藤本利彦、原田隆博、◎片岡誠二
公明党 3 ◎掛田るみ子、草場満彦、中尾淳子
良政クラブ 1 ◎山本慎悟
明政会 1 ◎堀田秀雄
創希改 1 ◎下川俊秀
市政会 1 ◎米満一彦

[編集] 公共施設

[編集] 児童・高齢者・障害者福祉施設

  • ハピネスなかま(地域総合福祉会館)
    中間市における総合的福祉サービスの拠点として建設された施設で、高齢者に対する相談・支援事業を行っている。会議室や視聴覚室、文化教養室などの保養施設に加え、機能回復や健康増進のため水中での歩行訓練ができるケアプールやアクアトレーナーなど全国でも珍しい設備が整っている。また、高齢者への配食サービスなどを精力的に行っている中間市社会福祉協議会や、中間市のボランティア活動の拠点となるボランティアセンターなども館内で活動している。
  • 中間市立病院
    中間市の中心部にある市営の総合病院で、内科・胃腸科・循環器科・外科・整形外科・泌尿器科・肛門科・耳鼻咽喉科・リハビリテーション科・透析センターがある。
  • 中間市保健センター
    中間市の保健事業の中心として市立病院に隣接して建設された施設で、母子保健事業(乳幼児健診・母子手帳交付・育児相談業務)のほか、老人保健事業(健康審査・機能回復・訪問指導)などを行っている。
  • 中間市松ヶ岡デイサービスセンター
    社会から孤立する恐れのある高齢者が、仲間とふれあい、機能を回復し、健康診断などを受けることができる通所施設。
  • 中間市子育て支援センター「くるり」
    子育てに関する相談や助言を行ったり、親子で一緒に遊べる広場を提供している。
  • 中間市療育支援センター「親子ひろばリンク」
    ことばや身体の発達に不安のある親子をサポートするため、専門のスタッフが遊びや運動や相談業務を行っている。

[編集] 文化・社会教育施設

  • なかまハーモニーホール
    中間市の文化の拠点として建設され、音楽・演劇・落語など様々な自主事業を行っている。また大ホールでは毎年九州交響楽団の演奏会を行うなど、本格的なイベントが実施できる設備が整っている。大小会議室や和室もあり、会議や研修などビジネスの場面でも多く利用されている。
  • 中間市中央公民館
    生涯学習に関する講座・学級・教室・講演会など多くの催し物が行われている市内唯一の市立公民館。各自治区内で管理運営している自治公民館は市内に62館設置されており、町内会活動・子供会活動・生涯学習活動の地域の拠点として利用されている。
  • 中間市民図書館
    蔵書数約12万冊を誇る中規模図書館。定期的にお話会や読み聞かせなども行われており、子供でも簡単に操作できる図書検索システムが設置されている。
  • 中間市歴史民俗資料館
    市民図書館の2階にある施設で、古代からの遺物や近代民俗資料などを展示している。県指定史跡「堀川唐戸水門」の模型や様々な農機具などが所狭しと並べられている。
  • 中間市働く婦人の家
    働く女性や勤労者家庭の主婦が、職業生活や家庭生活をより豊かなものにするため学習や交流をすることを目的とした施設。スポーツ・文化を中心に多くの講座が開講されており、軽スポーツやちょっとしたイベントに便利な小規模体育館のほか、本格的な焼入れができる陶芸窯がある。
  • 中間市生涯学習センター
    地域社会での生涯学習の拠点として、文化・芸術・教養の各種講座や研修、軽スポーツ・レクリエーションなど様々な用途に利用できる施設である。

[編集] スポーツ施設

  • 中間市体育文化センター
    中間市の体育文化の拠点である体育館施設。バレー・バスケットなら2面、バドミントンなら8面とれる広さとステージをもち、高齢者からスポーツ少年団まで多くの市民がソフトバレーボールやミニバスケットなどのスポーツで汗を流している。
    毎年9月25日前後に行われる福岡県県民大会の剣道の会場となる。(ただし4年に1度の実施)
  • 遠賀川河川敷グラウンド
    バーベキューやボール遊びなどに利用されている広い芝生の多目的広場、ラグビー場や市民体育祭が開かれる中鶴グラウンドなど、中間市の象徴である遠賀川の河川敷には多くのグラウンドがある。
  • 中間市営野球場
    スタンドと夜間照明を備え、内野は土、外野は天然芝の本格的な野球場。高校野球や軟式草野球などに多く利用されている。
  • ジョイパルなかま庭球場
    6面の人工芝コートとナイター設備、壁打ち練習場、シャワールーム付きのクラブハウスを備えた本格的なテニス場。
  • 屋島庭球場
    4面のコートとナイター設備を備えた、屋島公園内にある簡易庭球場。

[編集] 経済

[編集] 産業

産業人口

  • 第1次産業 152人(0.8%)
  • 第2次産業6,327人(33.1%)
  • 第3次産業12,633人(66.1%)

平成17年国勢調査

主な企業

  • 筑豊電気鉄道株式会社
  • 有限会社辻水産
  • 吉川工業株式会社吉川ハイプレシジョン北九州工場
  • 吉川精密株式会社
  • 株式会社岡部マイカ工業所
  • 東罐マテリアルテクノロジー株式会社九州工場
  • 安川エンジニアリング株式会社FA事業所
  • 北洋海産株式会社
  • 信和鋼板株式会社
  • 株式会社ハヤシ
  • 中條工務店

商業

[編集] 健康

  • 平均年齢(平成17年国勢調査)
    • 46.6歳(男性:44.8歳、女性:48.1歳)
  • 3階層別(平成12年国勢調査)
    • 総人口(年齢不詳含む)46,560人
    • 年少人口(0-14歳)5,720人(12.3%)
    • 生産年齢人口(15-64歳)29,008人(62.3%)
    • 老年人口(65歳以上)11,832人(25.4%)

[編集] 教育

[編集] 保育園

中間市の保育料は、近隣の自治体に比べ比較的安価に設定されている。これは中間市が進める「子育て支援施策」の一環であり、仕事を持つ両親でも安心して子供を産み育てる環境づくりに配慮した政策となっている。

  • 中間市立さくら保育園
  • 私立中間保育園
  • 私立双葉保育園
  • 私立砂山保育園
  • 私立中間みなみ保育園

[編集] 幼稚園

  • 私立中間中央幼稚園
  • 私立中間西幼稚園
  • 私立中間東幼稚園
  • 私立中間南幼稚園
  • 私立中間幼稚園
  • 私立はぶ幼稚園
  • 私立明願寺幼稚園
  • 私立緑ヶ丘第三幼稚園

[編集] 小学校

  • 中間市立中間小学校
  • 中間市立中間西小学校
  • 中間市立中間東小学校
  • 中間市立中間南小学校
  • 中間市立中間北小学校
  • 中間市立底井野小学校

[編集] 中学校

  • 中間市立中間中学校
  • 中間市立中間東中学校
  • 中間市立中間南中学校
  • 中間市立中間北中学校

[編集] 高等学校

学区

[編集] 特別支援学校

  • 福岡県立北九州高等学園

[編集] 交通

[編集] 鉄軌道

軌道系交通網としては市中央部を南北に九州旅客鉄道(JR九州)「筑豊本線福北ゆたか線)」が運行し、中間駅筑前垣生駅の2駅がある。また北九州市直方市を結ぶ筑豊電鉄筑豊電鉄線」が市の東部地域を縦断しており、通谷駅東中間駅筑豊中間駅希望が丘高校前駅がある。

九州旅客鉄道(JR九州)
中間駅 - 筑前垣生駅
筑豊電鉄
通谷駅 - 東中間駅 - 筑豊中間駅 - 希望が丘高校前駅

[編集] バス

[編集] 高速バス

西鉄バス北九州
香月営業所 - 岩崎 - 中間三丁目 - JR中間駅 - なかまハーモニーホール前 - 通谷電停(通谷駅) - 通谷団地口 - 塔野口 - 蔵本 - 中洲 - 天神郵便局前(香月発のみ停車) - 西鉄天神バスセンター

[編集] 一般路線バス

西鉄バス北九州
  • 行先番号61番(中間線)
香月営業所 - 大辻 - 筑鉄中間(筑豊中間駅)- 鳥森 - JR中間駅 - 犬王 - 通谷電停(通谷駅) - 通谷団地口 - 通谷二区 - 中間南小学校前 - 中間高校下 - 深坂口 - 池田町 - 筑鉄中間(筑豊中間駅
  • 行先番号67番(中間線)
香月営業所 - 大辻 - 筑鉄中間(筑豊中間駅)- 昭和町 - 中鶴北部 - 岩瀬西町 - JR中間駅前 - 犬王 - 通谷電停(通谷駅) - 通谷団地口 - 通谷二区 - 中間南小学校前 - 中間高校下 - 深坂口 - 池田町 - 筑鉄中間(筑豊中間駅
  • 行先番号74番(則松循環線)
香月営業所 - 筑鉄中間 - 犬王 - 永犬丸 - 引野口 - 八幡西区役所 - 黒崎
香月営業所 - 筑鉄中間 - 犬王 - 永犬丸西三丁目 - 泉ヶ浦 - 黒崎・折尾駅西口
香月営業所 - 筑鉄中間 - 犬王 - 永犬丸 - 宮ノ谷 - 則松 - 黒崎
西鉄バス筑豊
  • 行先番号69番(中山・中間線)
筑鉄中間 - 垣生駅(筑前垣生駅) - 砂山口 - 底井野 - 古月保育園 - 弥生 - 鞍手車庫 - 鞍手町立病院 - 中山口 - 新入本村 - 筑鉄直方(筑豊直方駅) - 須崎町 - 直方
北九州市交通局
  • 行先番号6,7,8,9番(水巻南部循環線)
バス停は「大膳橋」のみ

[編集] 廃止路線

西鉄バス北九州
  • 行先番号63番
JR中間駅 - 通谷駅 - 新手 - 下二 - 頃末 - 折尾車庫
  • 行先番号64番
香月営業所 - 西小田ヶ浦 - 新手 - 大膳橋 - 吉田団地 - 頃末 - 折尾車庫

ともに2009年3月末で廃止。

[編集] 道路

市内に一般国道は通っていない。

主要地方道

一般県道

[編集] 地域

[編集] 地域区分

  • 底井野小学校区
    垣生・砂山・中底井野・上底井野・下大隈・五楽
  • 中間東小学校区
    土手ノ内・上蓮花寺・新手・唐戸・本町・中尾
    徳若・扇ヶ浦・松ヶ岡
  • 中間小学校区
    岩瀬西町・中町・昭和町・屋島・川端・栄町・片峰町
    中鶴・浄花町・御館町・鳥森
  • 中間北小学校区
    岩瀬東町・岩瀬北町・自由ヶ丘・下蓮花寺・岩瀬南町・高見
    中牟田・白塔・大根土・宮林・天満宮・宮ノ下・曙町
  • 中間南小学校区
    太賀・鍋山・朝霧・通谷・中央町・桜台・星ヶ丘
  • 中間西小学校区
    大辻町・深坂・池田町・弥生町・七重・小田ヶ浦

[編集] 観光・名所

[編集] 公園

  • 屋根のない博物館(御館町-鳥森)…中間駅から徒歩1分
    1985年に廃線となった旧国鉄香月線の跡地に建設されたもので、「もやい通り」沿いに世界各地の石像のレプリカ(モアイ像スフィンクス凱旋門など)が立ち並ぶ。
  • 垣生公園(垣生)…筑前垣生駅から徒歩3分
    春には約2,000本の桜が咲き誇る市内最大の都市公園。園内には埴生神社や古墳群、アスレチックなどもある。また、国鉄線を走った蒸気機関車が1両保存されている。
  • 屋島公園(屋島)…中間駅から徒歩8分
    トンネルすべり台つき木製アスレチックやターザンロープをはじめ、幼児から児童まで遊べるちょっと変わった形の遊具が数多くそろっている。隣にひょうたん型のカラフルでかわいい幼児用プールもあり、夏休みには元気な子供たちの声が聞こえてくる。また、ナイター設備を備えた4面のテニス場も隣接している。
  • 遠賀川河川敷
    市のほぼ中央を流れる遠賀川沿いには、広い芝生の多目的広場のほかサッカー・ソフトボール・ラグビーのできるグラウンドもあり、夏祭りや市民体育祭など中間市を代表する多くのイベントが行われている。またボートスロープ場には週末になるとジェットスキーやウェイクボードの愛好者が多く集まっており、また全国有数のバスフィッシングポイントとしても有名。
  • 太陽の広場(中町)…中間駅から徒歩8分
    ゲートボールやグラウンドゴルフができる人工芝の多目的広場。敷地内には集会所もあり、老人クラブなどが多く利用している。

[編集] 名所・旧跡

  • ワクド岩(深坂)…東中間駅から徒歩13分
    中間高校の傍、こんもりとした森の脇にひっそりとたたずむ大岩。「ワクド」とは蛙のことを指し、むかし村人が日照りのときに雨乞いをすると水が湧き出たという言い伝えがある。
  • 垣生羅漢百穴(垣生)…筑前垣生駅から徒歩3分
    垣生公園内にある県指定史跡の横穴古墳群。多くの副葬品が出土しており、この地の有力な豪族の存在を伺わせる。
  • 梅安天満宮(徳若)…東中間駅から徒歩6分
    菅原道真公をまつっている神社で、名前のとおり県道沿いの斜面に咲き誇る見事な梅の木で有名。また、道真公が大宰府に向かう途中蜂の大群に襲われているところを救ったとして、この天満宮では鷽(うそ)の石像や木彫り人形があるのが特徴的。
  • 埴生神社(垣生)…筑前垣生駅から徒歩3分
    垣生公園の中央の池に囲まれた神社。神功皇后が征西した際に航海の無事を祈願したとされ、古来から武運(開運)と安産などの神として知られている。
  • 惣社宮(徳若)…筑豊中間駅から徒歩6分
    むかし神武天皇が崗水門に出かけた際にまつったといわれており、中間一の宮として元旦には多くの初詣客でにぎわっている。またどんど焼き(1月)、夏越祭の茅の輪くぐり(7月)、例大祭(10月)、七五三祭(11月)など季節ごとの祭りも多く催されている。
  • 黒田藩の御茶屋跡(上底井野)…筑前垣生駅から徒歩11分
    底井野小学校の裏手にある御座の瀬山にあった黒田藩の別荘地跡。藩主が狩猟や保養のため訪れていた。
  • 堀川の中間唐戸(唐戸)…筑豊中間駅から徒歩9分
    遠賀川洞海湾を結ぶ運河堀川への水流を調整するための水門で、県指定史跡に指定されている。
  • 猫城址と月瀬八幡宮(上底井野)…筑前垣生駅から徒歩13分
    小高い丘に築かれた筑前宗像氏の端城。現在は月瀬八幡宮の社殿があり、丘斜面に咲く「鹿の子百合」が見事。
  • 菖蒲園「清風荘」(中尾)…筑豊中間駅から徒歩5分
    約2,000株もの花菖蒲が植えられた住宅地内の庭園。喫茶店「もり珈琲店」が隣接しており、見物客で賑わう。

[編集] 名産・特産

  • 菊屋の中間饅頭・やっちゃれ漬・ほのぼの味噌
  • 苺・蕗・大豆・いちじく

[編集] 祭事・催事

  • 筑前中間さくら祭り(毎年3月末-4月上旬)
    市内最大の都市公園である垣生公園で実施されている祭り。公園内にある野外簡易ステージでは、市民の手による踊りやカラオケ大会などが行われ、いくつかの出店も並ぶ。この時期は公園内に提灯が飾られ、夜桜見物の客も多い。
  • 河川敷の鯉のぼり(毎年4月-5月ごろ)
    市内のまちづくり団体が協力して、遠賀川河川敷(市役所前)にたくさんの巨大な鯉のぼりを並べている。風を受けて一斉にたなびく様は壮観。
  • 筑前中間川まつり(毎年8月15日
    お盆に遠賀川河川敷(市役所前)で行われている市内最大のまつりで、ろうそくを立てた小さな舟を川に流して故人を弔う幻想的な精霊流しや、賑やかな盆踊りなどが行われている。河川敷広場には多くの出店が軒を連ね、同時に行われる花火大会では3000-4000発の打ち上げ花火と仕掛け花火が夜空と水面を彩る。
  • 中間市民体育祭(毎年10月)
    遠賀川の河川敷(中鶴グラウンド)で行われている、子供からお年寄りまで市民全体の体育祭。特に終盤の公民館(町内会)対抗のリレーや企業対抗のリレーでは、応援にも熱が入り大変な盛り上がりを見せている。
  • 筑前中間やっちゃれ祭(毎年10月第3土・日)
    なかまハーモニーホールで行われている祭。ホール内では終日太鼓の演奏やキャラクターショー、ブラスバンドの演奏会、カラオケ大会などのイベントが組まれ、ホール前の芝生広場では市内の各種地域団体や企業が青空市場やバザーなどを行っている。
  • ふるさと遠賀川親子凧あげ大会(毎年1月)
    遠賀川河川敷(市役所前)で行われている、昔ながらの情緒溢れるほのぼのとしたイベント。小さい子供からお年寄りまで、自分で凧を組み立て色を塗り、重心のバランスを調えてこの日を迎えている。好きなアニメのキャラクターを描いた子供や本物の鳥そっくりの凧を披露する人もいて、親子揃って楽しい時を過ごすことができる。

[編集] 出身有名人

政治

実業

文化

芸能

スポーツ

[編集] 脚注

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  1. ^ 北九州市との合併に関する住民投票の結果 賛成 1万6263票 反対 7246票 投票率 59.75%
  2. ^ 中間市市議会平成16年第5回定例会 平成16年12月24日議事録

[編集] 外部リンク

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