ティーガーII

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ティーガーII
Sd Kfz 182 Panzerkampfwagen VI Ausf B (Tiger 2) (4536516314).jpg
性能諸元
全長 10.28 m
車体長 7.38 m
全幅 3.75 m
全高 3.09 m
重量 69.8 t
懸架方式 トーションバー方式
速度 38 km/h(整地
20 km/h(不整地
行動距離 170 km(整地)
120 km(不整地)
主砲 71口径8.8 cm KwK 43 L/71(84発)
副武装 7.92mm MG34機関銃×3
(内1挺対空用)
装甲 砲塔
前面180 mm 傾斜10°
側面・後面最大80 mm 傾斜20°
車体
前面最大150 mm 傾斜50°
側面・後面80 mm 傾斜25°
上面・下面最大40 mm
エンジン マイバッハHL230P30
4ストロークV型12気筒水冷ガソリン
700 hp(520 kW) / 3,000 rpm
乗員 5 名
テンプレートを表示

ティーガーII: Panzerkampfwagen VI Tiger Ausführung B "Tiger II")は、第二次世界大戦ドイツ重戦車であるVI号戦車の通称。VI号戦車にはI型とII型の2種類の戦車が存在し、それぞれティーガーIティーガーII と呼ばれる。

本稿ではティーガーII について述べる。

ノルマンディー戦線でこの戦車を見たアメリカ軍は「キング・タイガー」と呼び、イギリス軍は「ロイヤル・タイガー」とあだ名した。この渾名がドイツに逆輸入され、「ケーニッヒス・ティーガーKönigstiger)」(ドイツ語での意味はベンガルトラ)と翻訳された。なおソ連赤軍からはパンターの発展型と解釈され、前線では「新型豹戦車」と呼ばれた。

開発[編集]

設計概念はティーガーI を踏襲したが、車体には更なる重装甲、重武装が施され、パンターと同じように傾斜装甲が採用された。車体のデザインはティーガーIよりもむしろパンターの発展型といえるが、トランスミッションはより高度なティーガー系のものである。ティーガーII の重量は68.5トンから69.8トンにも及び、前面装甲は150~180 mm の厚さを持ち、8.8cm KwK43/2 L/71 戦車砲が主武装となった。車台(シャーシ)はほぼ併行して開発されていたヤークトティーガーに、その延長型が流用された。

ティーガーII が戦線に投入された時点で、その重装甲および強力な主砲に事実上対抗できる戦車は存在しなかった。これは西部戦線で特に顕著で、イギリスアメリカ両軍は対抗しうる重戦車を保有していなかった。大戦中、前面装甲を貫通した事例は皆無だったとの調査結果が本車の防御力の高さを証明している。防御陣地に配備されたティーガーII はその重装甲の効果を遺憾なく発揮したが、機動性に乏しく攻勢時にはさほど威力を発揮できず、期待をかけていたヒトラー総統の失望を誘った。

ブダでの第503重戦車大隊のティーガー(1944年10月)

ティーガーII の開発は大戦後半であり、試作車も含めて1943年9月から1945年3月の生産終了までに489輌と比較的少数の生産に終わった。これは生産工程が複雑であるのに加え、1944年9月から空爆により何度も工場が破壊され生産が中断したことが大きく、計画通りであれば更に650輌をこえるティーガーII が完成していたはずであったという。

他のドイツ戦車同様にティーガーII はガソリンエンジンを装備したが、より軽いパンターやティーガーI に装備された物と同じであったため、慢性的に出力不足に悩まされた。本車は第二次世界大戦中に使用された他の重戦車同様、大量の燃料を消費した。これは補給が不足がちな大戦後半には運用上深刻な問題となった。戦闘で撃破されたティーガーII よりも、燃料切れや故障で放棄された車輌の方が多かったという。

砲塔[編集]

第503重戦車大隊第3中隊のポルシェ砲塔型。
砲塔前面の装甲が大きく湾曲している

本車の開発はヘンシェル及びポルシェの両社に発注され、各社用の砲塔がクルップ社によってそれぞれ設計された。どちらも前面の厚い装甲と長い砲身の重量バランスをとるため、カウンターウエイトの役を果たすため後部が延長されており、内部は即応砲弾用のラックになっていた。また、トーションバー・サスペンションのせいで床下に脱出ハッチを設置できず、代わりに砲塔後部に置かれた。キューポラはティーガーI の中期型以降と同じ、ペリスコープによる間接視認型であった。

初期量産型の曲線の強い砲塔は"ポルシェターレット"と呼ばれ、ポルシェ社の試作車輌にも用いられていた事からポルシェデザインとよく誤解されているが、実際にはクルップ社のデザインである。これは避弾経始に優れたデザインではあったが、T-34IS-2パンターの前期型同様に、湾曲した100 mm 厚の砲塔前面下部への命中弾がショット・トラップ(跳弾して防御の弱い車体天板や砲塔リングを貫通する)を生じ、容易に撃破される危険があった。

ポルシェ社の設計案 VK4502(P)VK4501(P) の時と同様、駆動に大型電動モーターを使用するハイブリッド式であったが、貴重な戦略物資である銅を多く消費するという問題もあった。VK4502(P)は砲塔が車体前方にあるV型と後方にあるH型の二種の設計案が計画されたが、砲塔部品が先行量産された段階で開発は中止され、試作のみに終わった。

クルップ社から送られた部品をヴェクマン社で組み立てたポルシェ型砲塔は流用され、ヘンシェル社の VK4503(H) の車体に装備され、初期量産型の50輌となった。以降はヘンシェル社のティーガーH3用砲塔"ヘンシェルターレット"が搭載された。このヘンシェル型砲塔は直線主体のデザインで、切り立った180 mm もの前面装甲と、円錐型防盾のザウコフにより高い防御力を誇った。

機械的な問題[編集]

第503重戦車大隊の整列したティーガー

戦況が悪化するとティーガーII 生産工場から戦線へ直接送られることとなった。生産後の検品やテストが省略された結果、多くの機械的トラブルが発生した。特にトランスミッションは車体重量のため頻繁に故障した。生産初期のトラブルは深刻なもので、例えば極初期型を指揮戦車として受領した第316無線操縦戦車中隊の5輌は、直接交戦する以前に故障により爆破放棄されるに至っている。 さらにエンジンはより軽量なパンターと同じマイバッハ製700馬力を流用したため、出力不足により絶えず全開運転しなければならず、オーバーヒートが頻発した。 ヘンシェル社の主任設計者、エルヴィン・アーダースは「故障はティーガーII がテスト結果を考慮せずに生産に入ったため生じた」と語っている。エンジンと動力機関は重量のため過重な負担が生じ、より多くのテストと問題解決が必要であった。

多くの問題があったにもかかわらず、ティーガーII は連合軍にとって恐るべき相手であった。ティーガーII の主砲は、実戦に投入された全ての敵戦車の有効射程外からの射撃で撃破が可能であった。なお、有効射程はT-34の3倍近くあったといわれている。

生産[編集]

ティーガーII の生産は1,500輌が発注されたが、試作車両も入れて総生産数は485輌から492輌と見られる。本格的生産は1944年中頃から第二次世界大戦の終了まで行われた。

  • 1943年:3輌(1輌)
  • 1944年:377輌(379輌)
  • 1945年:107輌(112輌)

各車両は個々の砲塔番号が記入された。

  • ギアボックス: Maybach OLVAR EG 40 12 16 B(前進8段、後進4段)
  • 無線機: FuG 5, Befehlswagen version: FuG 8 (Sd. Kfz. 267), FuG 7 (Sd. Kfz. 268)
  • 搭載弾薬: 88 mm - 80発(ポルシェ砲塔), 86発(ヘンシェル砲塔), 7.92 mm - 5,850発以上
  • 照準機: Turmzielfernrohr 9d (TZF 9d), 初期型は TZF 9b

運用[編集]

パンツァーファウスト作戦でブダペストに進駐した、再編成された第503重戦車大隊の車輌

ティーガーII の実戦投入は第503重戦車大隊による1944年7月18日のノルマンディー上陸作戦での戦闘が最初である。同大隊は東部戦線で大きく消耗した後、1944年6月にティーガー45輌で再編成がなされ、その内の12輌がポルシェ砲塔を装備したティーガーII であった。東部戦線では第501重戦車大隊が1944年6月25日から8月7日にかけて45輌のティーガーII を受領、8月12日にヴィスワ川上のバラノフ橋頭堡での戦いに使用した。その後もバルジの戦い春の目覚め作戦ベルリンの戦いなど弾薬・燃料不足に苦しみながらも要所要所に投入された。

極めて皮肉なことに、ドイツ軍が守勢一方となってから実戦投入されたことで、ティーガーII はその重装甲と強火力の威力を発揮できたといえる。ドイツ軍が攻勢側であった時期ならば、機動力に劣る本車はその進撃についていけなかったはずである。実際、最後の攻勢であるバルジの戦いでも、パイパー戦闘団にSS第501重戦車大隊(一部SS第509重戦車大隊より編入した車輌もあり)の約20輌が参加しているが、映画などのイメージとは異なり、先頭に立って戦ったのは35輌ずつのIV号戦車とパンターで、最後尾を進む本車はカーブの多い狭い小道を進撃中に、頻繁なギアチェンジにより最終減速機を破損し脱落するものが相次いでいる。また春の目覚め作戦に参加した本車も、その重量から地面が陥没してしまい放棄されるなど実力に対して散々な結果を残している。

何輌かの運命[編集]

  • #102 - オグルドウでソ連軍に捕獲される。クビンカに運ばれ、射撃目標として使用された。
  • #104 - SS第501重戦車大隊所属車両。1944年8月29日、ボーヴェの近くでM4中戦車数輌と交戦し最終減速器を損傷し擱坐。後日第23槍騎兵中隊のロバート軍曹がこの擱坐車両を射撃し戦果を報告している。現在イギリスのシュリヴェンハムに展示される。
  • #213 - SS第501重戦車大隊所属。バルジの戦いベルギーのラ・グレーズ村まで達した所で燃料不足に陥り、1944年12月25日、パイパー戦闘団の撤退時に自爆処分された6輌の内の1輌。米軍がスクラップとして処分するはずだったが、村人がコニャック1本と引き替えに購入、展示物となり1951年にベルギー軍により現在の位置に移動。1972年に修復され、失われたマズルブレーキを第150戦車旅団の偽装M10パンターの残骸から流用、現在も同村で展示中。
  • #234 - オグルドウでソ連軍に捕獲される。102号車と502号車に部品が流用された。
  • #332 - SS第501重戦車大隊所属車両。機械故障のため1944年12月18日、トロワ・ポンの近くで放棄される。 12月25日にアメリカ軍によって捕獲され、メリーランド州アバディーン性能試験場に送られた後、ケンタッキー州のパットン・ミュージアムで展示され、その後ドイツに返還された。
  • #002 (#502) - オグルドウでソ連軍に捕獲される。クビンカに運ばれ、クビンカ戦車博物館に展示される。
  • #300 - SS第503重戦車大隊所属車両。1944年、11月9日、ハンガリーのウローにて敵軍対戦車砲に破壊された。

名称の変遷[編集]

当初「ティーガーH3」と呼ばれていたが、1943年3月13日より「ティーガーII」に変更された。書類上の制式名称は「装甲戦闘車輌ティーガー(8.8cm)(Sd.Kfz.182)B型」または略して「ティーガーB型」。「ケーニッヒスティーガー」の名は1945年1月初旬の報告書の中で非公式に使われているのが確認されている。なお記録上「VI号戦車~」と書かれたものは少なく、むしろ「ティーガーII」「ティーガーB型」の方がニックネームではなく制式名称である。

日本語での表記[編集]

Königs の日本語読みの表記は、「ケーニッヒス」「ケーニヒス」「ケーニクス」等いろいろあり、ドイツ語でも方言により変化がある。1970年代後半、戦車専門誌である『月刊PANZER』の編集部が西ドイツ(当時)大使館に電話して訊ねたところ、「ケーニクスである」と回答されたため、以来同誌ではそう表記されている。

バリエーション[編集]

ヤークトティーガー
Jagdtiger (Sd.Kfz.186)
ティーガーIIをベースに開発された、128mm砲を搭載した駆逐戦車
Gerät 809
ティーガーIIをベースとした対戦車自走砲。 17cm K72(Sf) カノン砲を搭載している。
モックアップが1両製作されたのみであり、量産はされていない。

外部リンク[編集]