IV号駆逐戦車

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IV号駆逐戦車
Panzermuseum Munster 2010 0449.JPG
IV号駆逐戦車 (Sd.Kfz. 162)
性能諸元
全長 6.85 m
全幅 3.17 m
全高 1.85 m
重量 24 t
懸架方式 リーフスプリング方式
速度 40 km/h(整地
18 km/h(不整地
行動距離 190 km(整地時)
主砲 48口径7.5 cm Pak 39 L/48(79発)
副武装 7.92 mm MG42 ×1
MP40または44 ×1
装甲 前面上部60または80 mm
ザウコップ防楯部80 mm
前面下部50 mm
側面40 mm 後面30 mm
上面20 mm 底面20 mm
エンジン マイバッハHL 120 TRM
4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
300 馬力
乗員 4 名
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IV号駆逐戦車(よんごうくちくせんしゃ、Jagdpanzer IV)は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツIV号戦車をベースに開発した駆逐戦車である。制式番号は Sd.Kfz.162 及び Sd.Kfz.162 / 1 である。

開発[編集]

1943年8月19-20日の会議で前月のクルスクの戦いの報告を読んだアドルフ・ヒトラー総統は、突撃砲は敵戦車に包囲されない限り、当時の主力戦車であったIV号戦車よりも優れた戦闘力を持つと確信した。

ヒトラーはIV号戦車駆逐車(Panzerjäger IV)の開発を命じ、同年10月20日にフォーマーク社の試作車が完成した。これはIV号戦車の車体に戦闘室を設け、この内部にパンター戦車7.5 cm L/70砲を搭載するものであった。しかし長砲身(70口径)の7.5 cm L/70砲はパンターへの供給が優先され、試作車(O型)はIV号戦車と同じ砲身長(48口径)の7.5 cm L/48砲を搭載していた。

ヒトラーはIV号戦車の生産を戦車駆逐車に切り替えることを計画、名前もIV号駆逐戦車(Jagdpanzer IV)に変更した。

概要[編集]

その車台は基本的にはIV号戦車のものと同等であるが、車体前面下部の装甲版はIV号戦車の直立した形状から角度を持った二面構成に変更されている。IV号戦車でも車体前面の傾斜装甲化は検討されていたが、組み立て治具の交換のために従来の生産ラインを止めることができず、新たに下請けメーカーの工場で専用シャーシの生産ラインを作った駆逐戦車のみで実現したものである。

主砲として48口径の7.5 cm PaK 39 L/48砲を備え、シャーシ上に砲架を据えた突撃砲型と異なり、前面装甲版に直接接合したカルダン枠砲架となったため、車内が広く使えるようになった。生産性も向上した反面、重量が車体前方に偏るノーズヘビー化により、操縦性は低下、「グデーリアン・エンテ」(グデーリアンのあひる)というあだ名がつけられている。歩兵の肉薄攻撃に対抗するS-マイン(跳飛式対人地雷)型の擲弾を発射する近接防御兵器も搭載されたが、生産が間に合わず未搭載の車輌もある。

バリエーション[編集]

IV号駆逐戦車(Oシリーズ)
Oシリーズ後期型
量産開始前に少数製造された試作型。48口径の7.5 cm PaK 39を搭載し、車体前面と側面の装甲の接合部が曲面構成になっているのが外見上の特徴。
量産型と違い、防弾鋼ではなく工作の容易な通常鋼(軟鋼)で作られ、各種試験に用いられた。1943年10月に1号車が完成。


IV号駆逐戦車F型
IV号駆逐戦車F型
Jagdpanzer IV Ausf.F、Sd.Kfz. 162
傾斜した前面装甲は60 mm(防御力は垂直に立った110 mm 装甲に相当)で、Oシリーズとは異なり側面装甲との接合部が直線になった。これは5月以降の生産車からは80 mm に強化されている。当初、主砲にマズルブレーキが装着されていたが、砲の位置が低く爆風で砂埃が舞い上がり、照準が困難になるため外され、5月以降の生産車では取り付け用のネジ山も切られていない。また前面のMGクラッペ(車内に搭載されたMG42機関銃を撃つための孔)は、当初左右一基ずつであったが、3月以降の生産車から右側一基に減らされた。
実戦で用いられた車輌の履帯は、同時期のIV号戦車が履いているような滑り止めの付いた新型ではなく、より軽量な旧型が使われている。
生産数は1944年1~11月までの802輌で、シャーシ番号は320001~321000だが、途中に70口径砲搭載型が含まれるため、生産数と一致しない。名称は後に、単にJagdpanzer IV(IV号駆逐戦車)と変更された。
IV号戦車 / 70 (V)
IV号戦車 / 70 (V)
Panzer IV / 70 (V)、Sd.Kfz. 162 / 1
IV号駆逐戦車の発展型であり、備砲が7.5cm Pak 42 L / 70に変更され、名称も「Jagdpanzer(駆逐戦車)」ではなく「Panzer(戦車)」に変更された。(V) はフォマーク社製であることを示す頭文字である。当初から前面装甲が80 mmに強化された上、長砲身砲の搭載によりノーズヘビーの傾向が更に悪化したため、転輪ゴムタイヤの早い損耗を避けるべく9月の生産車から前部二つを鋼鉄製(ゴムは内部に収納)に変更している。また履帯も肉抜き部の多い、より軽量の新型となった。
当初、IV号戦車ラング(=長砲身)という名前だったが、通常のIV号戦車の長砲身型と紛らわしいので口径名に変更された。1944年8月から旧来のIV号駆逐戦車との併行生産が始まり、工場の被爆で生産が縮小・停止する1945年4月までに940輌が生産された。
シャーシ番号は320651~321000、および329001以降だが、途中に48口径砲搭載型が含まれるため、生産数と一致しない。
生産開始直後から順次部隊配備されているが、戦車駆逐大隊だけでなく通常の戦車隊(例えばパンターで編成される戦車大隊のうちの1個中隊など)にも多く配備されており、名称の変更のとおり駆逐戦車ではなく、長砲身の戦車扱いであった。
IV号戦車 / 70 (A)
IV号戦車 / 70 (A)
Panzer IV / 70 (A)、Sd.Kfz. 162 / 1
アルケット社による生産型で、ニーベルンゲン製作所で生産されたIV号戦車J型の車台をそのまま使用、その上に70 (V)型の物に似た戦闘室を載せた形状となり、車高が 50 cm ほど高くなっている。これにより車内容積が大きくなったため、70 (V)型より砲弾の搭載数が多い。しかし重量も28 tと増加したため、前半分の転輪がゴム内蔵の鋼鉄製となった。
(A) はアルケット社製であることを示す頭文字であり、公式文書ではIV号戦車ラング (A) とも表記されるが、上記の理由で名称変更された。
やはり駆逐戦車ではなく長砲身の支援用戦車と認識されており、1944年9月の総統護衛旅団への配備を皮切りに、駆逐大隊や戦車連隊、突撃砲旅団の装備となった。


外部リンク[編集]