III号戦車

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III号戦車
Panzer 3 (III) (3666411734).jpg
性能諸元
全長 6.41 m
車体長 5.56 m
全幅 2.95 m
全高 2.51 m
重量 22,7 t
懸架方式 トーションバー方式
速度 40 km/h(整地
19 km/h(不整地
行動距離 155 km
主砲 A-F:46.5口径3.7cm Kw.K.36(120発)
G-J:42口径5cm Kw.K.38(99発)
L-M:60口径5cm Kw.K.39(84発)
N:24口径7.5cm Kw.K.37(56~64発)
副武装 7.92 mm MG34機関銃 ×2
(3,750~4,400発)
装甲 砲塔
前面57 mm、側・後面30 mm
車体
前面50+20 mm、側面30 mm、後面50 mm
エンジン マイバッハ HL 120 TRM
4ストロークV型12気筒ガソリン
300 馬力 (221kW)
乗員 5 名
(車長、射手、装填手、操縦手、通信手)
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III号戦車(さんごうせんしゃ、Panzerkampfwagen III)は、第二次世界大戦ドイツ中戦車である。大戦中盤(1941 - 1942年頃)までドイツ戦車隊の主力であった。制式番号は Sd.Kfz.141、Sd.Kfz.141/1、Sd.Kfz.141/2。

概要[編集]

ドイツ国防軍I号戦車を造ったのち、きたるべき戦車戦術を考慮した主力戦車とすべく製造した中戦車である。支援戦車であるIV号とともに運用する構想であった。

訓練用の戦車による演習やスペイン内戦での実戦によってもたらされた戦訓により、現代戦車の基礎を形作るさまざまな新基軸と先進的な技術が投入された。

  • 主砲は対戦車能力を重視した3.7 cm 戦車砲を装備するが、将来5 cm 砲の搭載も考慮したターレットリング径を確保。
  • 高速を発揮できるサスペンションとしてトーションバー式を装備。
  • 送受信可能な無線装置を全車に装備し、戦車間の連携を確保。
  • 砲塔を三人乗りとして砲手、装填手、戦車長をそれぞれ一人ずつに任せることで砲撃の精度と速度が向上し、戦車長も指揮と周辺警戒に専念できるようになったので、戦闘能力が大きく向上した。(ただし砲塔バスケットは前期のモデルでは採用されず、装填手は砲塔の回転に合わせて自分で動かなくてはならなかった。H型以降砲塔バスケットが採用され、代わりに車体の床板が廃止された。)

1人乗りか2人乗りの小型砲塔が主流だった時代において、3人乗りの大型砲塔を採用した。これにより戦車長の任務が明確化かつ独立化された。これは来るべき機動戦に際して有利になった。

本車は量産された形式においてはトーションバー式サスペンションを装備した。これはのちの大重量戦車にも採用される優秀なサスペンションである。乗員の各任務に対する機能的な配置がなされており、必要十分な性能のなかで可能な限りの性能を求めて製造当時の主力戦車としてはトップクラスであった。本車が、火力装甲ともに優れるT-34との戦闘を行えたのは、連携と指揮と戦術を下支えするさまざまな装備、配置の功績が大きい。

これらの条件は、当時の欧州における輸送の限界を考慮して製造し、大戦初期に配備された20トン級の中戦車としてはバランスのとれた優れた戦車であった。ところが連合軍側が装甲を犠牲にした軽戦車・快速戦車もしくは、機動力を犠牲にして装甲を重視するという思想による歩兵戦車的な戦車という両面での装備をしていた第二次世界大戦初期においては、装備する37 mm 砲は軽戦車・快速戦車には有効であったが、歩兵戦車重戦車に対してはすでに時代遅れな性能となっており、要望された50mm砲も装備された段階ですでに苦戦するほど重戦車の装甲は厚かった。

想定する諸外国の戦車における傾斜装甲による防御力増加は、当戦車に設定されていた攻撃力を上回るほどになっていたということである。このことは当戦車の発展性への限界を暗示していたといえるであろう。

敵の主力戦車との対峙でも、つねに火力は不足し、防御力も不十分であった。大戦中期には主力戦車の任務を果たせなくなり、改良も限界に達して生産は終了した。同時期に支援戦車として開発されたIV号戦車が大戦末期まで主力戦車として運用されたことと対照的であった。

歴史[編集]

1939年ポーランド侵攻でのIII号戦車
東部戦線でのIII号戦車(1943年)

ドイツ装甲師団の中核戦力として構想された戦車であったが、初期には生産が遅々としてすすまず、第二次世界大戦の開戦時は必要数が揃わなかった。開戦時におけるドイツ軍戦車部隊の主力はII号戦車チェコスロバキア製のLT-35LT-38で、III号戦車はこれらを支援する任務にあたった。

対フランス戦が始まるころには数も増え、北アフリカ戦独ソ戦の頃には戦車部隊の主力戦車となった。しかし、対仏戦時の戦闘でも重装甲のイギリス軍歩兵戦車を撃破することができず、敵の対戦車砲で容易に破壊されるなどの問題を指摘されていた。さらに、独ソ戦が始まると、ソ連赤軍T-34KV-1に対してまったく無力であることが明らかになった。北アフリカ戦線でも同様に対戦車戦闘能力の不足が指摘された。

改良はつねに行われたが、本車の戦闘能力が、戦況が要求する水準に達したことはなかった。より威力の高い50mm砲を搭載する計画はあったが、実現が遅延しただけでなく、当初は初速の遅い42口径砲が搭載されたため、改良後も対戦車能力の不足に悩まされた。最終的に搭載した50mm60口径砲でも対戦車能力は不十分とされ、主力戦車の任務を果たせないと考えられた。砲塔ターレットリングの直径が小さく、長砲身の75mm砲搭載が不可能であったため、改良も限界に達した。大戦中期には、IV号戦車に主力戦車の座を譲り、続くV号戦車パンターの実用化と共に生産は終了した。

時間的に余裕のある時期に入念に作られた本車の車台に用いられたサスペンションは後に用いられるような複雑な物ではなく、重量とのバランスが優れており、車台はアルケット社で生産されるIII号突撃砲に転用され、敗戦直前まで生産が続けられた。

III号戦車が後の戦車開発技術に与えた影響は大きかったが、一方で生産と改良が実戦で要求された水準につねに及ばなかったことから、主力戦車としては短命であった。赤軍のT-34、合衆国のM4と比較して、開発の期間が数年早かったが、その数年の差がやがて大戦中の主力となる戦車の位置づけにおいて大きな問題となるほど実戦の戦訓は大きかったといえるだろう。

バリエーション[編集]

III号戦車A型
Panzerkampfwagen III Ausf A, Sd.Kfz.141
A型は片側5つの転輪を垂直のコイルスプリングで懸架する、この型のみに使われた足回りの構造を持つ。III号戦車最初の生産型とはいえ、まだ増加試作型の域を出ず、1937年に10輌が生産されたに過ぎない。
A型は対ポーランド戦には使われたものの、能力不足を理由に1940年2月には実戦部隊から引き上げられた。
III号戦車B型、C型、D型
Panzerkampfwagen III Ausf B, C, D, Sd.Kfz.141
ポーランド戦時のIII号D型。後の型とは全く異なる8個の小転輪と、前後、および中央部用に分割されたリーフスプリング式のサスペンションが確認できる。
初期生産型。1937年 - 38年にかけ、B、C型が各15輌、D型が30輌生産された。A型で用いられたサスペンションはストロークが不足しており実用に耐えないと判断され、B型からは片側8個の小型の転輪をリーフスプリングで懸架する方式に改められた。ただしこれも能力的には不満足で、B型からD型にかけ、リーフスプリングの配置、向きなど、小刻みに改良が行われた。また、D型では変速機、起動輪、誘導輪、キューポラも新型のものに改められた。
B~D型もA型同様、ポーランド戦後実戦部隊の装備から外されたが、実際には戦車不足のため少数のD型はなお数ヶ月間使用された。


III号戦車E型、F型
F型
Panzerkampfwagen III Ausf E, F, Sd.Kfz.141
1938年12月 - 1940年7月に作られた量産型。15トン級の戦車に十分な機動性を持たせるための適切な足回りが得られず試行錯誤続きであったIII号戦車だが、E型に至って、スウェーデンのランズベルク軽戦車に倣ったトーションバー・サスペンションを採用、これで片側6個の転輪を懸架する方式に改められた。
性能は十分と評価され、これが以後のIII号戦車共通のスタイルになった。主砲はそれまでの型と同様、歩兵の対戦車砲と共通の3.7cm砲を装備し、開発中の5cm砲への換装も考慮されていた。また、基本装甲はD型までの15mmから、30mmへと倍増、これによって重量は19.5トンに増加した。E型が96輌、ほぼ同型のF型が435輌生産された。


III号戦車G型
Panzerkampfwagen III Ausf G, Sd.Kfz.141
E型、F型同様、当初は3.7 cm 砲搭載型として生産が開始されたが、ポーランドおよびフランス戦での戦訓から火力強化が求められ、1940年7月以降は5cm KwK 38 L/42を装備したものが生産された。1940年4月 - 1941年2月に600輌が生産された。
III号戦車H型
Panzerkampfwagen III Ausf H, Sd.Kfz.141
当初から5cm砲を搭載した最初の型で、後面が一枚板となった新型砲塔を採用、装甲も強化した。ただし、基本装甲そのものの増厚は生産ラインの変更が間に合わず、30mmの基本装甲に30 mm の増加装甲を装着する形となった。装甲強化は、G型以前の生産型にも遡って行われた。
H型は1940年10月 - 1941年4月の間に308輌が生産された。
III号戦車J型
III号戦車J型(1942年)
Panzerkampfwagen III Ausf J, Sd.Kfz.141, Sd.Kfz.141/1
基本装甲厚が車体前面で50 mm まで強化された新型車体を持つ。もともとIII号戦車の5cm砲には60口径の長砲身のものが考えられていたが、先に実用化の目処が立った42口径砲が採用・搭載されてきた。しかし、1941年4月の誕生祝賀パレードでIII号戦車を見たヒトラーは、長砲身砲の搭載を強く要求、これにより、J型は1941年12月以降の生産分は、主砲をより強力な5cm Kw.K.39 L/60に換装した。
J型は1941年3月 - 1942年7月に 2,616輌が作られたが、その内訳は短砲身型1,549輌、長砲身型1,067輌である。


III号戦車L型
Panzerkampfwagen III Ausf L, Sd.Kfz.141/1
砲塔前面装甲を強化したもの。J型後期からの操縦室前面と防盾の中空装甲が標準装備となる。なお後に、5cm Kw.K.39 L/60搭載のJ型(L/42砲からの改修型含む)もL型に呼称を変更する通達が出されている。
1942年6月から12月に653輌が生産された。


III号戦車M型
III号戦車M型
Panzerkampfwagen III Ausf M, Sd.Kfz.141/1
L型をベースに徒渉能力を高めたもの。エンジンルーム左右の吸気口、後部オーバーハング下の排気口にそれぞれ水密ハッチが付き、エンジンマフラーは防水弁付きの新型が高い位置に設けられた。突き出たエンジンマフラーのぶん、L型とは車体全長が異なる。当初1,000輌が発注されたが、すでに戦車としての威力不足は明らかになっており、V号戦車パンターの生産に集中するなどの方針転換などから、発注数の削減、既生産車体の自走砲・火焔放射戦車・N型への転用が行われ、その結果、M型として完成したのは1942年10月 - 1943年2月間、250輌にとどまった。
M型は前線部隊の補充用に用いられた。


III号戦車N型
Panzerkampfwagen III Ausf N, Sd.Kfz.141/2
L型、M型をベースに7.5cm Kw.K.37 L/24を装備したもの。1942年6月 - 1943年8月に生産された。IV号戦車が長砲身75mm砲を装備したため余剰となった短砲身の75mm砲を搭載し、これに代わって火力支援用戦車となったものである。成形炸薬弾を用いても対戦車戦闘能力は限られたものであったが、前線部隊には好評であった。戦闘室前面の中空装甲は装備されているが、砲塔防盾の中空装甲は未装備、またはその取り付け架のみ装備の車輌が多い。
ティーガーIを装備する初期の独立重戦車大隊にも、重戦車の不足を補うために軽小隊に配備された。これらの大隊はティーガーI20輌とIII号N型25輌で編成されていた。生産はJ、L、M型と併行して行われたため、これに合わせ車台は3種類ある。新造されたものは663輌で、J型車体3輌、L型車体447輌、M型車台213輌であった。このほか1944年までに修理のため後送されてきた37輌がN型に改修された。

派生型[編集]

指揮戦車H型
指揮戦車D1~H型
Panzerbefehlswagen, Sd.Kfz.266-268
戦車部隊の戦術統制指揮に用いるため、大型の無線機を搭載する車輛としてIII号戦車がベース車体として選ばれ、1938年6月から1939年3月にかけ、まずD型をベースとした指揮戦車D1型が30輛生産された。
欺瞞のため、指揮戦車は極力、通常の戦車型と似せてあったが、主砲はダミーで、砲塔は戦車型よりわずかに前寄りに固定されており、車体後部機関室上にはフレームアンテナを備えていた。砲塔上面の小ハッチを通し大型のアンテナマストを立てることも可能であった。さらに1939年7月から1940年2月にかけてE型ベースの指揮戦車E型が45輛、1940年11月から1942年1月にかけてH型(最後期はJ型)ベースの指揮戦車H型175輛が生産された。これら指揮戦車は、戦車部隊の大隊以上の本部車輛として用いられた。
指揮戦車K型
Panzerbefehlswagen mit 5cm KwK39 L/60(Panzerbefehlswagen Ausf K)
指揮戦車D1~H型に続く指揮戦車第4シリーズのK型は、それまでの指揮戦車と違い、戦車型同様の主砲を備えていた。基本車体にはM型が用いられたが、指揮戦車としての車内容積を稼ぎつつ主砲を装備するため、砲塔は一回り大きいIV号戦車と略同形のものが用いられていた。
当初、200輛の生産が予定されていたが、指揮戦車H型の追加発注や、通常の戦車型から改装した簡易型指揮戦車の登場で、結局、1942年12月から1943年2月にかけて50輛が生産されたに留まった。
5cm42口径戦車砲付き指揮戦車
Panzerbefehlswagen mit 5cm KwK39 L/42, Sd.Kfz.141
機銃までの武装しか持たない指揮戦車D1~H型に対して、前線部隊はより強力な武装を要求しており、これに応え、通常の戦車型に長距離無線機を増設した、いわば簡易型の指揮戦車が開発された。大掛かりな改造を施した専用指揮戦車に比べ生産も容易であったために、1943年以降、指揮車両はすべて通常型からの改装で賄うこととなった。無線機の増設のため、車体銃は廃止されるとともに搭載弾薬は削減された。
42口径5cm砲付き指揮戦車はIII号戦車J型をベースとして、1942年8月から1943年9月までに185輛が作られた。
III号潜水戦車
III号潜水戦車
Panzerkampfwagen III als Tauchpanzer
F型、G型、H型を元に潜水可能に改修された戦車。もともとはイギリス侵攻「あしか作戦」用に開発されたもので、車体各部に水密処理を施し、水面上の無線アンテナ付きブイとの間をパイプで結び、水深15メートルまでの水底で行動可能であった。あしか作戦の中止により、これら潜水戦車は、シュノーケルを固定式のパイプに改めるなど河川用に再改装され、バルバロッサ作戦初期に用いられた。


III号火焔放射戦車(III号戦車(火焔型))
戦場での火炎放射戦車
Panzerkampfwagen III (Fl), Sd.Kfz.141/3
M型をベースに作られた火炎放射戦車。普通の戦車に見せかけた砲身は鉄パイプ製ダミーで、火炎はこれを通して放出される。
スターリングラード戦での戦訓から近距離戦闘での支援用に企画されたが、スターリングラード戦には間に合わず、実践投入はその後からとなった。搭載された火焔放射器は、55~60m(資料によっては100m)の飛距離を持っていた。
ヴェグマン社において、MIAG社製III号戦車M型を元に1943年2月から4月にかけて100輛が生産された。


III号観測戦車(砲兵用観測戦車(III号戦車))
Artillerie-Panzerbeobachtungswagen (Panzerkampfwagen III), Sd.Kfz.143
自走榴弾砲、フンメルヴェスペ部隊に随伴する装甲観測用車輛として、1943年2月から1944年4月にかけ、262輛が作られた。
ベースには、すでに旧式化していたIII号戦車E型~H型が利用された。主砲は除かれ、砲塔前面中央には自衛用の機銃架が装着され、防盾右側に、欺瞞用のダミー主砲が取り付けられた。砲塔上面には、観測用の引込式大型ペリスコープが取り付けられ、また車体各部には30 mm の増加装甲が施された。
III号回収戦車
Bergepanzer III
修理のため後送されたIII号戦車をもとに、1944年3月から12月にかけ、150輛が改装された。
III号突撃砲
75 mm 砲を装備した自走砲。元々歩兵支援用に作られたが対戦車戦闘に主用されるようになった。
33B突撃歩兵砲
III号戦車の車台に15cm sIG33を搭載したもの。
2cm Flakvierling38搭載 III号対空戦車
Flakpanzer III
III号戦車の車体にヴィルベルヴィントの砲塔を搭載した対空戦車。ヴィルベルヴィントの20mm機関砲を30mm機関砲に換えた火力強化型である45式対空駆逐車が量産されれば製造される予定であった。実際には45式対空駆逐車は試作1両のみにとどまりヴィルベルヴィントの生産が続行されたためIII号戦車を対空戦車に流用する案は実現せず1両も製造されていない。
なお、この車両の名称については資料が無く当時いかなる呼び方をしていたのかは不明であり、III号対空戦車という名称はヴィルベルヴィントやオストヴィント(いずれも正式にIV号対空戦車である)から類推し便宜的に用いる仮称である。
3.7 cm Flak 43搭載 III号対空戦車
Flakpanzer III
III号戦車の車体にオストヴィントの砲塔を搭載した対空戦車。1944年11月に突撃砲旅団用の対空車輌開発の要求により計90輌の生産が計画され、翌1945年3月に、18基のオストヴィント砲塔が工場に引き渡され、III号戦車の車体に搭載されたが、完成数は不明。
完成車輌は、第244突撃砲旅団に2輌、第341突撃砲旅団に3輌、第667突撃砲旅団に4輌が配備され、内数輌が実戦に参加した。

関連項目[編集]