2cm Flakvierling38
| 2 cm Flakvierling 38 | |
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2 cm Flakvierling 38 |
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| 種類 | 対空機関砲 |
| 原開発国 | |
| 運用史 | |
| 配備期間 | March 1940–1945 |
| 配備先 | |
| 関連戦争・紛争 | 第二次世界大戦 |
| 開発史 | |
| 開発期間 | 1940 |
| 製造業者 | マウザー |
| 製造期間 | 1940 |
| 諸元 | |
| 重量 | 1,509 kg (3,327 lbs) |
| 全長 | 4.08 m (13 ft 5 in) |
| 銃身長 | 1.3 m (4 ft 3 in) L/65 |
| 全幅 | 1.81 m (5 ft 11 in) |
| 全高 | 1.6 m (5 ft 3 in) |
| 要員数 | 8 |
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| 砲弾 | 20×138mmB弾 |
| 口径 | 20 mm (.78 in) |
| 砲身長 | 1.3 m (4 ft 3 in) L/65 |
| 仰角 | - 10° - +100° |
| 旋回角 | 360° |
| 発射速度 | 1,800 rpm (Cyclic) 800 rpm (Practical) |
| 初速 | 900 m/s (2,953 ft/s) |
| 有効射程 | 2,200 m (2,406 yds) |
| 装填方式 | 20発ボックスマガジン×4 |
2cm Flakvierling38は、1940年にナチス・ドイツで開発された四連装対空機関砲である。
目次 |
開発経緯 [編集]
第二次世界大戦開戦以前、ドイツ軍の低空目標向け対空機関砲は単装2cm機関砲のFlak 30を採用していた。しかし航空機の急速な発展による高速化に伴い、発射速度の遅さが問題となった。そこで最初に改善要請を受けたのは大口径機関砲の開発で有名だったラインメタル社であったが、他兵器の開発が優先されていたため新たに開発を行う時間も余力も無かった。そのためマウザー社がFlak30の改良を担当することとなり、同じ単装型のFlak 38を開発。しかしそれでも180発/分の発射速度でしかなかったため、海軍の軍艦や防空部隊向けに開発中の4連装型を、1940年から陸軍や空軍、武装SSでも採用することとなった。
2cm Flakvierling38の登場 [編集]
2cm Flakvierling38(38式四連装2cm対空砲)は左右に単装の2cm Flak38機関砲を2門ずつ搭載、一分間に実用720(理論上は1800)発撃つことができた。その分、排出される薬莢も尋常ではないため、機関部側面には廃薬莢を格納するネットが装着されている。基本的には7人(のち6人)で運用される(射撃手、測距手、俯仰手、装填手×2、指揮官)が、命中弾数も単一目標に対し多数の弾丸を撃ち込むことが可能となったため向上した。ただし、実際は切れ間無く発砲するために左上と右下、右上と左下と二門ずつで射撃し、その間に残りの二門の弾倉を交換し、緊急時にのみ四門の同時発射が行われた。
その後 [編集]
2cm Flakvierling38の開発後、ドイツ軍における野戦防空体制は格段に上がったといえる。また汎用性が高く、艦艇はもちろん、基地や装甲列車、半装軌車、さらに大戦の末期には2cm Flakvierling38を搭載した4号対空戦車が開発され、「ヴィルベルヴィント」として終戦まで活躍している。低空で進入してくる航空機には大変有効であった為、多数の連合軍機が撃墜されている。(特に爆撃機や輸送機)そのため連合軍兵士からは「魔の四連装」と言われ、恐れられた。しかし大戦後半には 2cm口径では射程も威力も不足とされ、特に連合軍戦闘爆撃機が多用するようになったロケット弾は、本砲の有効射程外から発射可能であった。当時ホーカー・タイフーン戦闘機で対地攻撃を行っていたデズモンド・スコット大佐はその著書で、四連装対空機関砲が弾倉交換で弾幕の途切れる瞬間を狙って攻撃に入る戦術をとり、さほど脅威ではなかったと記している。
2cm Flakvierling38は弾倉の装弾数が少なく、また人力による旋回速度が遅く、低空を高速で飛来する敵機に対する追尾能力に問題があった。ベルト給弾式の航空機用のMG151またはMG151/20を三連装化して対空用に転用(これも人力旋回であるが、ハンドル操作ではなく軽量なピントル・マウント式砲架を肩付けにより素早く指向できる)や、後継として3.7cm FlaK43 の生産、5.5cm 機関砲の試作も行われている。
関連項目 [編集]
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