7.5 cm Pak 41

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
7.5 cm Pak 41
75 mm PaK 41fort nelson2010.JPG
A preserved 7.5 cm PaK 41
種類 対戦車砲
原開発国 ドイツ
運用史
配備先 ナチス・ドイツの旗 ナチス・ドイツ
関連戦争・紛争 第二次世界大戦
開発史
製造期間 1941-1943
製造数 150
諸元
重量 1,356 kg
銃身 全体  4,322mm
円筒部 2,950mm
円錐部  950mm

砲弾 75×545 mm. R
口径 砲尾 75mm
砲口 55mm
砲身 全体  4,322mm
円筒部 2,950mm
円錐部  950mm
仰角 -10° ~ +18°
旋回角 60°
発射速度 12-14 発/分
初速 1,125 m/s

7.5cm Pak 41は、第二次大戦中にドイツ軍で運用された対戦車砲である。

1939年の7.5cm対戦車砲開発計画に従ってクルップ社が開発し、1941年に採用されたゲルリッヒ砲(口径漸減砲/円錐砲身砲)である。砲身は内径が75mmから55mmへと先細りしていて、砲弾は輪縁(スランジ)が削り絞られた状態で砲口から射出される。Pzgr.41(Hk)の装甲貫徹力は命中角90度の場合、射程距離1,000mで177mm、1,500mで149mm、2,000mで124mmだった。しかし砲身の摩耗が早く、砲身寿命は約400発に留まっている。また炸薬量は7.5cm Sprgr.34の約27%に留まるが、専用の榴弾である7.5cm Sprgr.41(初速900m/s)も製作されていた。

全体の構造は独特で、二分割型開脚架を防盾に直接接続する事で、重量の軽減と生産の簡易化を図っている。後に、この構造はアメリカ軍の90mm対戦車砲T9に影響を与えている。

貴重なモリブデン鋼を必要とする他、Pzgr.41(Hk)製造に不可欠なタングステン・カーバイドは海外からの輸入頼りで、大量生産が認められなかった。命中精度にも問題があったとされている[1]。主要装備となった7.5cm PaK 40が重大な敵であったT-34中戦車に対抗できたため、本砲はわずか150門の限定生産に止まった。ただし卓越した火力はKV-1重戦車に有効で、7.5cm PaK 40の倍の射距離に当たる1,000mでも正面撃破できた[2]

装甲貫徹力[3]
比較対象 砲弾 角度 射程
略称 弾薬 弾種 弾重 初速 弾着角 500m 1,000m 1,500m
7.5cm PaK 40 Pzgr.39 APCBC-HE 6.80kg  792m/s 60° 104mm  89mm  76mm
Pzgr.40 APCR 4.10kg  930m/s 60° 115mm  96mm  80mm
Pzgr.40(W) APCR 4.10kg  930m/s 60°  69mm  56mm  38mm
7.5cm PaK 41 Pzgr.41(Hk) APCNR 2.58kg 1,125m/s 60° 171mm 145mm 122mm
Pzgr.41(W) APCNR 2.48kg 1,230m/s 60°  80mm  67mm
Pzgr.41(St) APCNR 1,170m/s 60° 110mm  70mm

なお日本にも原理が伝授されており[4]、「ゲ式七十五粍対戦車砲」の名で1943年から開発が開始されたものの、タ弾成形炸薬弾)の方が優先されて開発中止となった。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 広田厚司『ドイツの火砲 制圧兵器の徹底研究』光人社NF文庫, 2002年, 79頁
  2. ^ ロバート・フォーチェック『オスプレイ”対決”シリーズ12 ドイツ戦車猟兵vsKV-1重戦車 東部戦線1941-'43』大日本絵画, 2013年
  3. ^ Ian V. Hogg, German Artillery of World War II, Arms & Armour Press, 1975
  4. ^ 『丙第38号 仏国に於ける円錐砲身の発達 昭和19年月1日25 技術院総務部調査課』, アジア歴史資料センター, Ref:C12121835100