15cm sFH 18

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15cm sFH 18

15cm sFH 18(ドイツ語:15 cm schwere Feldhaubitze 18)とは、戦間期のドイツが開発した師団砲兵向けの重榴弾砲であり、第二次世界大戦においては10.5cm leFH 18と共に陸軍武装親衛隊の主力野戦榴弾砲として活躍した。

目次

[編集] 開発

ドイツは第一次世界大戦期に設計された15cm sFH 13の後継の新型150mm重榴弾砲の開発を、ドイツの火砲業界の二大巨頭であるクルップラインメタルの双方に発注しどちらかを採用する予定であったが、実際にはラインメタル製の砲身をクルップ製の砲架に搭載して完成された。

[編集] 概要

sFH 18は開脚式の砲架を備えるなど開発当時の150mm級榴弾砲としては標準的な性能を有していた。しかし車軸にサスペンションが無く車輪も金属製のホイールにゴムを張り付けただけという状態で、牽引速度がかなり低かった。

当時のドイツの火砲は牽引手段に自動車では無くを用いることを前提に設計されたため、ドイツ製の砲が電撃戦への適応度が低いという皮肉な結果をもたらした[1]

この課題の解決策のひとつとして開発されたのが、フンメル自走榴弾砲である。

独ソ戦において、sFH 18は射程距離20kmのA-19 122mmカノン砲や射程距離17kmのML-20 152mm加農榴弾砲による対砲兵砲撃に悩まされるようになったため、ロケット補助推進弾も開発された。

[編集] ドイツ以外による運用

15cm sFH 18は中独合作によって中国国民党軍に輸出され国共内戦日中戦争中国共産党軍や日本軍相手に使用されたが、日中戦争勃発後にヒトラーが対日接近を図ると砲弾や砲身などの予備部品をドイツが売らなくなったため運用は先細りとなり、太平洋戦争勃発後はアメリカからレンドリース供与されたアメリカ製火砲を使用するようになった。
これを鹵獲した日本軍は「ラ式十五糎榴弾砲」と呼び、現地部隊で運用するとともにその後の日本の火砲開発の技術サンプルとなった。

フィンランドにも継続戦争時に48門が輸出され、150 H/40の名で採用された。フィンランドでは戦後も砲身を152mm砲弾に適合するものに換装した上で長い間運用が続けられた。

イタリアにも輸出されてObice da 149/28として運用され、ベニート・ムッソリーニ政権下のイタリア王国イタリア社会共和国軍で運用された。

戦後、ドイツやイタリアが保有していた残存砲はアルバニアブルガリアチェコスロバキアユーゴスラビア戦争賠償として接収され、ソ連から各種の152mm榴弾砲が供与されるまでの間運用が続けられたほか、ポルトガルラテンアメリカ諸国にも輸出されている。

[編集] スペック

  • 口径:149.1mm
  • 全長:m(牽引時)
  • 全幅:m
  • 重量:5,530kg(戦闘時)/kg(牽引時)
  • 砲身長:4,437mm(30口径、薬室を含む)
  • 仰俯角:-3°~+45°
  • 左右旋回角:60°
  • 運用要員:名
  • 発射速度:発/分(最大)
  • 射程距離:13,000m(標準榴弾)/18,200m(15 cm R. Gr. 19 FESロケット補助推進弾)
  • 生産期間:1933年~1945年
  • 生産総数:5,403門

[編集] 備考

  1. ^ が戦間期に設計した野戦砲や1930年代後半にソ連が設計した野戦砲の殆どは、車軸のサスペンションとゴムタイヤを標準装備としていた。

[編集] 関連項目

第二次世界大戦時の他国の150mm級重榴弾砲


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