重戦車大隊

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ティーガーII

重戦車大隊(じゅうせんしゃだいたい、:Schwere Panzer-Abteilung、略号:s.Pz.Abt.)は第二次世界大戦中のドイツ国防軍で編成された重戦車による戦車大隊陸軍または軍団直轄の独立部隊として編成され、ティーガーIティーガーII重戦車の大部分はこれらの独立重戦車大隊で集中運用された。初期には随伴の中戦車を含む編制であったが、後に重戦車のみの編制に改められた。

編制[編集]

兵科記号

初期の戦力定数指標KStN1176d(1942年8月15日制定、12月15日改訂)において、中隊の定数はティーガーI重戦車9両(中隊本部1両、4個小隊各2両)およびIII号戦車10両(中隊本部2両、小隊のティーガーに各1両随伴)と定められ、第501〜第505の各重戦車大隊はティーガー20両とIII号戦車25両(大隊本部および2個中隊)で編成された。随伴するIII号戦車の役割は、ティーガーには不向きな偵察斥候・伝令などの任務を補うことだった。1942年8月29日に第502重戦車大隊のティーガーIが初めて戦闘に投入されたが、9月22日に6両が撃破されたとの戦闘報告[1]が為されたことで評価は一変し、後に部隊編制も見直されることになる。

1943年3月3日付のKStN1176eにおいて中隊の定数はティーガー14両(中隊本部2両、3個小隊各4両)に改められ、各大隊には3個中隊に本部中隊3両を加えた計45両のティーガーが配備された。この増強は第504大隊第2中隊を除いて6月末までに完了した。1944年6月以降、重戦車大隊の装備車両は順次ティーガーIIに置き換えられていった。大隊の定数はティーガーIと同じく45両であったが、大戦末期の1945年には定数を充足しないまま前線へ送り出された。

重戦車大隊の装備車両[2]
車種 1943年
7月1日
1945年
1月1日
ティーガーI または
ティーガーII重戦車
45 45
IV号対空戦車 0 8
Sd.Kfz.7/1対空自走砲 6 3
装甲兵員輸送車 10 11
ベルゲパンター戦車回収車 0 5
18トン牽引車 8 7
1トン牽引車 8 13
ケッテンクラート 0 14
サイドカー付きオートバイ 25 0
オートバイ 17 6
路外機動乗用車 64 38
民間型乗用車 2 1
路外機動用トラック 111 84
民間型貨物トラック 24 34
マウルティア 0 6
クレーン車 3 3
合計 323 278

運用[編集]

重戦車大隊の一覧[編集]

陸軍[編集]

原則として陸軍直轄の独立部隊として編成された。グロースドイッチュラント師団は例外的に固有の重戦車大隊を持っていたが、後に軍団直轄部隊として転出している。

またチャンネル諸島には第213戦車大隊が駐屯していたが、装備していたのはルノーB1重戦車である。

武装親衛隊[編集]

武装親衛隊では、SS装甲軍団の直轄部隊として編成または再編されている。

脚注[編集]

  1. ^ 実際には4両がトラブルにより擱坐し、うち1両が回収不能で爆破された。(『ティーガーI重戦車 1942-1945』 22ページ)
  2. ^ 『重戦車大隊記録集1陸軍編』 1ページ

参考文献[編集]

  • ヴォルフガング・シュナイダー『重戦車大隊記録集1陸軍編』向井祐子訳、富岡吉勝監修、大日本絵画、1996年(原著1994年)。ISBN 4-499-22668-6 
  • トム・イェンツ、ヒラリー・ドイル『ケーニッヒスティーガー重戦車 1942-1945』高橋慶史訳、大日本絵画、2000年(原著1993年)。ISBN 4-499-22715-1 
  • トム・イェンツ、ヒラリー・ドイル『ティーガーI重戦車 1942-1945』向井祐子訳、高橋慶史監修、大日本絵画、2000年(原著1993年)。ISBN 4-499-22731-3 
  • マクシム・コロミーエツ『1945年のドイツ国防軍戦車部隊』小松徳仁訳、高橋慶史監修、大日本絵画、2006年(原著2005年)。ISBN 4-499-22924-3 

関連項目[編集]