クルセーダー巡航戦車

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巡航戦車Mk.VI クルセーダーMk.III
Crusader tank III.jpg
性能諸元
全長 5.98 m
全幅 2.64 m
全高 2.24 m
重量 20 t
懸架方式 クリスティー方式
速度 43 km/h
行動距離 161km
主砲 6ポンド砲(連射砲Mk.III×1)
副武装 7.92mmベサ機関銃(同軸機関銃)
装甲 50mm
エンジン ナッフィールド・リバティ
340 hp / 1,500 rpm
乗員 3 名
(車長兼装填手、
射手兼無線手、操縦手)
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巡航戦車 Mk.VI クルセーダー(じゅんこうせんしゃ- )は、巡航戦車 Mk.V カヴェナンターと並行して1940年から開発されたイギリス巡航戦車。「クルセーダー(Crusader)」とは「十字軍」を意味する。

概要[編集]

カヴェナンターが問題多発で実戦運用に耐えないため、A13巡航戦車の後継として北アフリカ戦線に投入された。基本的にエンジン以外カヴェナンターと多くの部品を共用化する設計思想で開発された。ただし、カヴェナンターよりも車体が拡大されたため、転輪が一組増えて片側5個となっている。ただし試作車の完成はカヴェナンターより6週間も早い1940年4月9日であり、カヴェナンターの開発と並行して本車の開発は行われており、カヴェナンターの不具合を改修して本車が誕生したわけではない。

当初は5人乗りの計画だったが、銃搭には換気装置が無く、熱と発射ガスがこもるため、Mk.IIの第一量産バッチを最後に撤去されて乗員が1名減り、さらにMk.IIIで6ポンド砲を搭載した際に装填手のスペースが無くなり3人乗りになってしまい、中途半端な戦力の戦車になってしまった。またリバティー・エンジンはより軽量の戦車では特に問題を起こさなかったが、重量の増したクルセーダーが砂漠の荒地で走行した場合、シリンダーブロックが緩みオイル漏れをおこした他、細かい砂で冷却系(水冷用のポンプや空冷ファンを回すチェーン)の部品が磨耗するなどの故障が多発した。乗員が最大速度を60km/hに向上させるため、勝手に速度制限用の調速機を解除したことでますます故障発生率は高まり、「連続36時間重大な故障が発生せず稼働すればそれは奇跡」と乗員に評される程であった。エンジンの寿命も短いなど走行系の問題は多かったが、砂地での走破能力はボギー式サスペンションのアメリカ製戦車より優れていた。

戦車戦では、ライバルであるIII号戦車(5cm/L42搭載型)と対戦した場合、クルセーダーMK.Iでは500ヤード(457m)まで接近して射撃する必要があるのに対し、III号戦車は1000ヤード(914m)の距離からクルセーダーを撃破できると報告されている。また被弾によって搭載弾薬の装薬が誘爆、炎上しやすい欠点もあった。にもかかわらず当時の巡航戦車では唯一物になる戦力だったため、装甲や火砲に改良を加えながら、北アフリカ最後の戦いであるチュニジア戦まで戦い続けた。そして後継のクロムウェルやアメリカ製のM4中戦車に更新され、北アフリカで生き残った状態のいいクルセーダーの多くは、フランス植民地軍に供与された。

ヨーロッパ反攻作戦の頃には、対空戦車型や17ポンド対戦車砲の牽引車型が使用されている。15tに満たない巡航戦車Mk.II(A10)、巡航戦車 Mk.III(A13)よりは大きいが、あくまで機動力が重視される巡航戦車であり、同時期の歩兵戦車よりはるかに高速である。

バリエーション[編集]

Mk.I
2ポンド砲を搭載。車体前部左側に1名用銃搭を持つが、問題が多く後に撤去されたものが多い。
Mk.II
Mk.Iの装甲強化型。銃搭は同じく撤去されたものが多い。
Mk.III
6ポンド砲を載せた、戦車型クルセーダーの最終形。砲塔乗員は2名となり、戦車長の指揮に支障をきたしたため、指揮戦車として引き続き運用された。

派生型[編集]

最初に量産された対空戦車型である、クルセーダーIII A.A MK.I。ボフォース40mm砲1門搭載で少なくとも215輌が発注されたが、欠点も多くエリコン20mm砲2門搭載のMk.IIに取って代わられた。
クルセーダー指揮戦車
クルセーダー対空戦車「スカイレイカー」
クルセーダー砲牽引車

関連項目[編集]