コメット巡航戦車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
巡航戦車 コメット (A34)
Comet tank 1.jpg
性能諸元
全長 7.77 m
車体長 6.55 m
全幅 3.04 m
全高 2.67 m
重量 33 t
懸架方式 クリスティー方式
速度 50 km/h
行動距離 250 km
主砲 77 mm HV
(実口径 76.2 mm)
副武装 7.92 mm ベサ機関銃×2
装甲 102 mm
エンジン ロールスロイス・ミーティア
600 馬力 (447 kW)
乗員 5 名
車長、砲手、装填手、操縦手、副操縦手
テンプレートを表示

巡航戦車 コメット(A34)(Cruiser Ttank Comet (A34))は、第二次世界大戦後期に登場したイギリス軍の巡航戦車である。

概要[編集]

北アフリカ戦線でドイツのティーガーI重戦車に遭遇し、またIV号戦車の火力も強化されて苦戦したイギリス軍は、従来の巡航戦車やアメリカからレンドリースされていたM4シャーマン戦車の力不足を痛感していた。巡航戦車の火力増強型としては、クロムウェルに17ポンド砲を搭載した巡航戦車 チャレンジャー(A30)が開発されていたが、開発が大幅に遅れた上、車体サイズと重量のバランスが悪く、シャーマンに同じ砲を搭載したファイアフライに比べて少数の使用に止まった。

一方、17ポンド砲を開発したヴィッカース・アームストロング社は、これを短縮し50口径にして、3インチ高射砲用の短い薬莢と17ポンド砲用の弾頭を合わせた砲弾を用いるHV(High Velocity)75 mm 砲を1943年に試作していた。これは75mm砲と命名されながらも実際の口径は76.2 mm で、同口径でも使用砲弾の異なる他の砲があるため、補給上の混乱を防ぐためであったが、最終的には77 mm HV(高初速砲)と呼ばれることとなった。この砲は同時代のドイツ主力戦車であるパンターの主砲である70口径75 mm砲にも匹敵する威力を持っていた。

この砲の開発の成功により、A27セントーおよびクロムウェル巡航戦車を生産中のレイランド社が、クロムウェルをベースとし、77 mm HV砲を搭載した発展型を開発することとなった。こうしてイギリス軍は、ようやく火力・装甲・機動力のバランスがとれた国産戦車を手に入れることができたのである。

本車の生産はクロムウェルの生産に係わったメーカー(レイランド社、イングリッシュ・エレクトリック社、ジョン・ファウラー社、メトロポリタン・キャメル貨客車製造社)によって戦後も続けられ、最終的に1186輌が完成した。

構成[編集]

コメットの構造は基本的にはクロムウェルMk.IVのF型車体の拡大発展型で、鋳造製の主砲防盾を除き圧延防弾鋼の溶接によって構成されている。足回りはクロムウェルと同じクリスティー式サスペンションではあるが、重量増に合わせて強化され、上部支持用の小型転輪も追加されている。

主砲の威力は17ポンド砲よりは劣るものの、1000 m 先の圧延防弾鋼に対し、APCBC弾で110 mm、APDSで165 mm を撃ち抜くという高い性能を示し、17ポンド砲よりも弾道が低進し、命中率も向上したという。77 mm 砲は電動旋回式の砲塔に搭載され、7.92 mm ベサ重機関銃が同軸装備された。

エンジンは600馬力のロールスロイス・ミーティアMk.III 12気筒ガソリンエンジンを搭載している。

運用[編集]

1944年9月から量産型が軍に引き渡され、翌年初めに第11機甲師団の第29機甲旅団で部隊が編成された。しかし訓練中にバルジの戦いが勃発し、旅団は以前の装備であるシャーマンで再編成されて前線に送られ、戦闘任務を解かれた翌年1月に、再び転換訓練のためコメットで編成された。

最初の実戦投入は終戦も間近い1945年3月、ライン渡河作戦以降であったため、ドイツ戦車と遭遇する機会はほとんどなく、その本領を発揮することはなかったが、運用部隊での評価は高かった。

第二次世界大戦後、生産されたコメットの大半は砲塔側面に煙幕弾発射器を追加したMk.IBに改造された。また朝鮮戦争にも投入されたが、さらなる重装甲とより大火力の20ポンド戦車砲en)を装備したセンチュリオンMk.3ほどの高評価を得ることはなかった。コメットは鉄道輸送のためにイギリス製戦車に課せられた車幅制限に適合するように設計されていたため、センチュリオンに搭載されている20ポンド戦車砲やL7 105mm戦車砲のような新型主砲への換装が不可能であったためである。

第一線装備から外されたコメットは、予備役部隊である国防義勇軍の装備となり、主に訓練に用いられた。1958年にはイギリス陸軍から退役し、アイルランドフィンランド南アフリカ共和国ミャンマーに売却された。ミャンマーでは2007年まで現役であった。

関連項目[編集]