I号戦車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
I号戦車A型
SdKfz101.jpg
ドイツ、ムンスター戦車博物館に現存する
I 号戦車A型
性能諸元
全長 4.02 m
全幅 2.06 m
全高 1.72 m
重量 5.4 t
懸架方式 リーフスプリング方式
速度 37 km/h
行動距離 145 km
主砲 7.92mm MG13 機関銃×2
装甲 13 mm
エンジン クルップ M305
水平対向4気筒空冷ガソリン
または
マイバッハNL38TR
直列6気筒液冷ガソリン
57 HP/2500 rpm
乗員 2名(車長、操縦手)
テンプレートを表示

I号戦車いちごうせんしゃPanzerkampfwagen I)はドイツ第一次世界大戦後、初めて量産した戦車である。

訓練および生産技術の習得のための軽量・簡易な軽戦車として開発されたが、本来の実戦用戦車であるIII号IV号の数が揃わず、第二次世界大戦開戦直後のポーランド侵攻作戦等、II号と共に実戦に投入された。

後に同じ制式名称で、全く別設計の「新型」I号戦車も少数生産された。

開発と生産[編集]

ヴェルサイユ条約によって戦車の開発を禁じられていたドイツだが、戦間期、秘密裏に「軽トラクター」「重トラクター」等の名称で戦車の試作が行われ、ソ連カザンの実験場でテストが行われた。しかし、これらはどれも試作の域を出なかった。

1930年代初め、交通兵監オズヴァルト・ルッツ、同兵監部主席参謀ハインツ・グデーリアンらによって将来の陸軍機械化構想がまとめられた。この構想では10~15トンの主力戦車、20トン級の支援戦車の2種が戦力の柱と位置づけられていたが、その開発にはなお長い時間が必要になると予想されたため、それまでの「繋ぎ」として、訓練用、生産技術習得を兼ね、軽戦車の開発が行われることとなった。

1932年、開発の参考用として、イギリスヴィッカース・アームストロング社より、同社製軽戦車の足回りを持つ、トラクター車台3輌が輸入された。クルップ社が同年完成させた試作車台は、このイギリス製車両の設計の影響を色濃く受け継いだものとなった。

開発は秘匿のため農業用トラクター(独:Landwirtschaftlicher Schlepper, 略号:LaS)の偽装名称で開発が続けられた。1934年、上部車体のない訓練用車輌に続き、同年7月からは戦闘室・砲塔を持つ戦車型の生産が開始された。これらは当初、MGパンツァーワーゲン(機関銃戦車)と呼ばれたが、再軍備宣言後の1936年4月には、Sd.Kfz.101の特殊車輌番号とともに、Panzerkampfwagen I Ausf A(I 号戦車A型)の制式名称が与えられた。

生産はクルップ社のほか、技術習得のためにMANダイムラー・ベンツヘンシェルラインメタルにも振り分けられ、1936年6月までに818輌の I 号戦車A型が生産された。

I 号戦車A型は、開発メーカーであるクルップ社製トラック用の改良型である空冷水平対向エンジン(57馬力)を搭載、車体構造は当時の主流であったリベット接合ではなく、溶接で組み上げられていた。機銃2挺を装備する回転砲塔は戦闘室の右寄りに搭載され、戦闘室左側に乗員乗降用のハッチを設けていた。足回りは参考としたヴィッカース社製トラクターのリーフ・スプリングを用いたボギーを踏襲していたが、4つの転輪を持つヴィッカース・トラクター(最後尾転輪が誘導輪を兼ねる)に対し、負荷の掛かる最前部にコイル・スプリングで独立懸架した転輪を追加、最後尾の誘導輪を兼ねる転輪は大径化し、さらに2組のボギー外側に補強用のガーダービームを追加した。履帯は高マンガン鋼製、シングル・ドライピン式スケルトン・タイプで、形状はヴィッカース社製ほぼそのままのコピーだった。

I号戦車B型。パリでのパレードに参加した武装親衛隊の車輌

生産された I 号戦車A型は早速部隊配備され、再軍備宣言をしたナチス・ドイツの軍事力をアピールする役を果たしたが、運用上では、エンジンの出力不足や過熱問題、走行安定不良などの問題点が浮上した。これらを解決するため、小型指揮戦車用に開発された、マイバッハ製エンジンを搭載した延長車体が戦車型にも採用されることとなった。延長車体を持つ I 号戦車は当初、従来型の1A LaS Krupp(クルップ型1A農業用トラクター)に対し、1B LaS May(マイバッハ型1B農業用トラクター)との秘匿名称が与えられていたが、後にPanzerkampfwagen I Ausf B(I 号戦車B型)の制式名称となった。

I 号戦車B型は、A型では接地していた誘導輪を独立させて持ち上げ、転輪を1つ追加、同型の転輪2つずつをボギーで支える形式となった。これに伴い、上部転輪も1つ追加された。マイバッハ製水冷エンジンNL38TR(100馬力)への変更に伴い、機関室は前後に延長され形状も変化したが、車体前部、戦闘室、砲塔はごく細部の仕様変更を除き、基本的にそのままとされた。I 号戦車B型は、A型の最終シリーズと並行して生産に入り、1935年8月から1937年6月にかけて675輌が生産された。

戦史[編集]

I 号戦車は本来、訓練と戦車生産技術の習得を目的としたものだったが、その目的のためでさえ小型軽量に過ぎ、時をおかず II号戦車の開発が行われることとなった。

再軍備宣言後の軍事パレードや1938年オーストリア合邦で大々的に使用されたほか、1936年以降、実戦評価テストを兼ねて100輌がスペイン内戦に送られた。また、より本格的な戦車の数量不足から、第二次世界大戦においても特に緒戦時に多用された。開戦時にはドイツ陸軍の装備する戦車のおよそ半数が、I 号戦車によって占められていた。

その脆弱さはスペイン内戦ですでに露呈しており、緒戦時の戦場であれ本格的な戦闘は無理だったが、ポーランドデンマーク・ノルウェー侵攻フランスバルカン半島の戦いバルバロッサ作戦北アフリカ戦線など、ドイツ軍の主だった戦場すべてで使用された。砲を持つ敵戦車や対戦車砲に対抗できず大きな損害を出したが、III号戦車やIV号戦車が充足されるまで前線で使われ続けた。後には後方警備や本来の訓練用途、弾薬運搬車などの改造車輌のベースとなった。改造の際に撤去された銃塔は要塞のトーチカに流用されている。

中華民国に輸出されたA型は日中戦争南京防衛戦に使われた。この際、4輌が大日本帝国陸軍に捕獲された。捕獲された車体は、クルップ軽戦車または独国一号戦車の名称で陸軍技術本部に送られ、溶接車体や駆動部、機関銃の装備状態が調査された後、昭和14年頃に靖国神社で展示された。ただし、ドイツとの国交を考慮して、「ソビエト製の鹵獲戦車」として展示された[1]。その後、37mm砲(形式不明)に対する抗堪性射撃試験の標的に用いられた。また、捕獲した日本陸軍が運用した記録もある。

バリエーション[編集]

Technische Daten der Versionen des Panzer I
A型 B型 C型 (VK 601) F型 (VK 1801)
0主な特徴
重量 5,4 t 6,0 t 8,0 t 20 t
全長 4,02 m 4,42 m 4,19 m 4,38 m
全幅 2,06 m 1,92 m 2,64 m
全高 1,72 m 1,94 m 2,05 m
乗員数 2
生産期間 1934–1936 1935–1937 07–12/1942 06–12/1942
生産数 818 675 40 30
武装 2 x MG 13 (7,92 mm) 1 x MK EW 141 (7,92 mm)
1 x MG 34 (7,92 mm)
2 x MG 34 (7,92 mm)
搭載弾薬 1,525発
装甲
前面 13 mm / 27–63° 30 mm / 20–80° 80 mm / 20–80°
側面 13 mm / 70–90° 20 mm / 82–90° 50 mm / ~ 90°
後面 13 mm / 50–75° 20 mm / 30–75° 50 mm / 14–75°
上面 6 mm / 0–50° 10 / 0° 25 mm / 0°
底面 6 mm / 0° 10 mm / 0° 25 mm / 0°
砲塔前面 13 mm / 80° 30 mm / 80–90° 80 mm / ~ 90°
砲塔防盾 13 mm / 曲面 30 mm / 曲面 80 mm / 曲面
砲塔側面 13 mm / 68° 20 mm / ~ 70° 50 mm / ~ 70°
砲塔後面 13 mm / 68° 20 mm / ~ 70° 50 mm
砲塔上面 8 mm / 0° 10 mm / 0° 25 mm / 0°
諸性能
エンジン クルップ M 305
水平対向4気筒
空冷
マイバッハ NL 38 TR
直列6気筒
水冷
マイバッハ HL 45 P
直列6気筒
水冷
出力/回転数 57 PS / 2,500 100 PS / 3,000 150 PS / 3,800 150 PS / 3,800
排気量 3,460 cm³ 3,790 cm³ 4,678 cm³ 4,678 cm³
変速機 (前進/後進) 5 / 1 6 / 1 4 / 1
出力重量比 10,6 PS/t 16,7 PS/t 18,8 PS/t 7,1 PS/t
最高速度 37 km/h 40 km/h 65 km/h 25 km/h
燃料搭載量 144 l 146 l
航続距離 145 km (整地)
100 (不整地)
140 km (整地)
115 (不整地)
300 km (整地) 150 km (整地)
キャタピラ幅 28 cm 28 cm 39 cm 54 cm
接地圧 0,40 kg/cm² 0,42 kg/cm² 0,84 kg/cm² 0,46 kg/cm²
クリアランス 29 cm
I号戦車A型
Panzerkampfwagen I (MG) Ausf A, (Sd.Kfz.101)
初期型。エンジンはクルップ社製のM305(空冷水平対向4気筒57馬力)を搭載。スペイン内戦で実戦参加するが、共和国派の装備するT-26軽戦車やBT-5に歯が立たたず、4輌がイタリア製のブレダ20 mm 高射機関砲を搭載するように改造された。
I号戦車B型
Panzerkampfwagen I (MG) Ausf B, (Sd.Kfz.101)
出力不足であったクルップ社製空冷エンジンからマイバッハ製のMaybach NL38 TR(水冷直列6気筒100馬力)に換装、変速機も変更した型。これに伴い機関室が40 cm 延長され、転輪もA型の4組から5組に増やされた。接地していた後方の誘導輪もこれ以降の戦車と同様に上に移動された
I号戦車C型
Panzerkampfwagen I (MG) Ausf C, VK601
A・B型とは全く別設計の偵察型。開発は空挺戦車として始まったが、時機を逸し空挺作戦に用いられる事は無かった。強力なエンジン、トーションバー・サスペンションとクロスドライブ式変速装置を持ち、路上最大速度78km/hの高速を発揮した。一見、II号戦車同様の20 mm 機関砲を装備しているように見えるが、本車特有の7.92 mm EW141半自動対戦車銃である。これは40輌が生産され、実戦を経験した後、訓練用に回された。
I号戦車F型
I号戦車F型
Panzerkampfwagen I Ausf F, VK1801
前面80 mm の重装甲型。これもA・B・C型とは全くの別設計で、フランスマジノ線を攻略する際の、砲撃をひきつける囮役として開発された。30輌が作られ、フランス戦には間に合わなかったが、半数は東部戦線で使用された。現在もセルビアベオグラード軍事博物館に実車が残っている。

派生型[編集]

I号戦車A型弾薬運搬車(ゲレート35)
Munitionsschlepper auf Panzerkampfwagen I Ausf A (Sd.Kfz.111) , Gerät 35
戦車連隊の装備で、同じ部隊の戦車への弾薬補給を目的とする車輌。砲塔の無いA型の開口部に大型のハッチが取り付けられており、後の改造型弾薬運搬車とは異なる補給専用に作られた新造車輌である。開戦時から大戦中期まで用いられた。
弾薬運搬車用Ia及びIb号戦車
Munitionsschlepper Ia , Ib
1942年春、部隊配備から外されたI号戦車の砲塔を撤去し、代わりに鋼製の箱型上部構造物を載せ、キャンバス製カバーで上面を覆った改造型装甲弾薬運搬車。翌年には残存するI号戦車全てをこのように改造する命令が出されたが、砲塔を外しただけで新造した構造物の無い物もあった。このような改造はその後、旧式化した戦車や捕獲した軽戦車でも行われるようになり、余った砲塔は要塞陣地のトーチカに流用された。同様にA型から砲塔を撤去しタンカを載せた野戦救急車型もあった。
I号戦車A型弾薬運搬車(ゲレート35)
I号戦車A型架橋車
Brückenleger
A型ベースだが、サスペンションが貧弱なため実用性に劣り、後にII号戦車ベースのものに発展。
I号戦車B型爆薬設置車 
Ladungsleger
車体後部にスロープを付けて後方に爆薬を落としていくタイプと、後方に突き出した車内からワイヤーで操作できるアームの先の箱から爆薬50kgを投下できるものがあった。
整備作業車I号
Instandsetzungskraftwagen
上部構造物を撤去したI号戦車B型で、整備中隊用。
I号指揮戦車、フレームアンテナ付きに改修されたタイプ
I号指揮戦車
Kleiner Panzerbefehlswagen, (Sd.Kfz.265)
戦車隊の指揮用装甲車輌。内部に余裕のないI号戦車A型の砲塔を撤去して小型の上部構造物を載せ、無線送信設備を追加した物が6輌作られ、次いで車体上部全体を大型構造物に変更したB型が184輌生産され、乗員も3名に増やされた。後にフレーム式アンテナを増設した物もある。戦車型のB型の延長型車台は、元々本車用に作成された。
I号自走重歩兵砲
15 cm sIG33 (Sf) auf Panzerkampfwagen I Ausf B
B型に15 cm sIG33重歩兵砲を搭載したもの。
I号37 mm 自走砲
3.7 cm PaK35/36 (Sf) auf Panzerkampfwagen I Ausf A
A型にPaK35/36 37 mm 対戦車砲を搭載したもの。対人攻撃に活躍。
I号対戦車自走砲
4.7 cm PaK(t) (Sf) auf Panzerkampfwagen I Ausf B
B型にチェコ製47 mm 対戦車砲を搭載したもの。
I号対戦車自走砲
5 cm PaK38 (Sf) auf Panzerkampfwagen I Ausf B
B型にPaK38 50 mm 対戦車砲を搭載したもの。現地改造車輌。
I号対戦車自走砲
7.5 cm StuK40 L/48 (Sf) auf Panzerkampfwagen I Ausf B
B型にIII号突撃砲用の48口径75 mm 突撃砲を搭載したもの。現地改造車輌。ベルリン戦に参加。
I号対空戦車
2 cm Flak38 auf Panzerkampfwagen I Ausf A
アルケット社でA型の砲塔と車体上部を撤去し、操縦席を前進させるなど改造。開口部にH鋼で作った台座を置き、そこに2 cm Flak 38対空機関砲を搭載したもので、乗員は5名(または装填手2名と測的手を加え8名)。24輌が生産され、やはりI号戦車A型から改造された同数の弾薬運搬車型(「ラウベ」と呼ばれた)、中隊本部のI号戦車と共に、3個中隊からなる第614対空大隊(自動車化)を編成した。
1941年9月から実戦配備されたが、当時の東部戦線では制空権がドイツ側にあったため、むしろ水平射撃による歩兵支援に活躍した。しかし1942年冬、スターリングラード方面で装備を全て失い、解隊された。

出典[編集]

  1. ^ 藤田昌雄『もう一つの陸軍兵器史 知られざる鹵獲兵器と同盟軍の実態』 光人社 2004年 ISBN 4-7698-1168-3

参考資料[編集]

  • 佐藤光一、「特集:ドイツI号軽戦車」、『月刊グランドパワー2000/4号』、ガリレオ出版
  • 尾藤満ほか、『アハトゥンク・パンツァー第7集 I号戦車・II号戦車と派生型編』、大日本絵画、2003
  • Peter Chamberlain, Hilary Doyle, 『ENCYCLOPEDIA OF GERMAN TANKS OF WORLD WAR TWO - 月刊モデルグラフィックス別冊・ジャーマンタンクス』、大日本絵画、1986

関連事項[編集]