スバル

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スバル
Subaru
Subaru logo.svg
種類 富士重工業自動車事業
本社所在地 日本の旗 日本
群馬県太田市
設立 1953年(昭和28年)7月15日
業種 自動車産業
事業内容 自動車の製造・組み立て
代表者 吉永泰之
資本金 153,795 百万円
従業員数 12,817人 (連結会社合計 27,296人)
関係する人物 百瀬晋六
外部リンク www.subaru.co.jp
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スバルビル1階にあるスバルビルショールーム

スバル(SUBARU)は、富士重工業が展開する自動車製造部門ブランド名である。 富士重工業そのものを指す固有名詞として使用されることも多い。

概要[編集]

富士重工業は、戦前の航空機メーカー中島飛行機を源流に持ち、創業期に元航空技術者たちが自動車開発に携わってきたという歴史から、航空機に通じる機能性・合理性優先で、既成概念にとらわれないユニークなメカニズムを特徴とする自動車を多く送り出してきた[1]。特に走行性能に特化した技術志向が強く、四輪駆動車と水平対向エンジンはスバルの技術の特徴となっている[2]自動車技術者百瀬晋六は有名である。

近年、北米市場で、悪路走破性と衝突安全性の面からスバルの評価が高く、販売台数を急速に伸ばしているが、富士重工業は年間販売台数が100万台未満の国内大手自動車8社中で最小の自動車メーカーで、著しく国内生産比率が高いこともあり、北米市場で恒常的な供給不足が続いている[3][4]。北米市場における供給不足と技術志向の高性能プレミアムイメージによる車体販売価格の高値推移により、富士重工業の営業利益率は、高級ブランドBMWを超える13%を記録している[5][6]2014年には累計国内生産台数が2000万台を突破した[7]

また、スバルというブランドをこよなく愛するスバリスト[8][9]と呼ばれる熱心なファンも少なくない。

ブランド名「スバル」の由来[編集]

富士重工業の自動車ブランドである「スバル」=「」とは、元来、プレアデス星団を意味する。日本では古くから六連星(むつらぼし)とも言われ、奈良時代古事記日本書紀[10]平安時代の『枕草子[11]にも記述を確認できる古語である。

「スバル」の商標が初めて使用されたのは1955年、富士重工業が自動車市場への参入を狙い開発した乗用車・「スバル・1500」でのことで、富士重工業初代社長・北謙治の命名による。富士重工業が旧・中島飛行機系5社を吸収合併するという形で誕生したことから、この6社を「統(す)べる」=「統合する」との意志が込められている。

また、現在の富士重工業のコーポレートアイデンティティである「六連星マーク」は1958年登場のスバル・360にて、富士重工業の社内募集案(プレアデス星団を型取った形)に、スバル・360の基本デザインを担当した社外工業デザイナーの佐々木達三が手を加えたものを採用したのが起源である。以後何度かのデザイン変更が行われ、途中で実際の星座の配列を無視した形となりながらも、星6つ(大1、小5)の基本モチーフは継承され現在に至っている』[12]

富士重工業の代名詞として「スバル」の名が定着したことから、一時期「スバル株式会社」への社名変更を計画したが、創業50周年の2003年7月15日をもって、従来の社名のカタカナ書きの頭文字に由来する「フ」マークの社章を自動車ブランド・スバルと同じ「六連星」に変更するにとどまった。

プレアデス星団の語源となったプレイアデスは、ギリシャ神話の神である巨人アトラースと精女プレーイオネーとの間に生まれた7姉妹といわれ、長女から順に「マイアエーレクトラーターユゲテーアルキュオネーケライノーアステロペーメロペー」と呼ばれている[13]

このうち「マイア」はスバル・450の対北米用の輸出名、および3代目レオーネのスバル発売30周年記念特別仕様車として、「アステロペー」は1987年スウェーデンボルボ社と共同開発した観光バスボルボ・アステローペと2004年にスバルカスタマイズ工房が東京オートサロンへ出品した「レガシィB4・アステローペ」として、「エーレクトラー」は1994年からSTIが発売を始めたアルミホイールの商品名と、2000年に発売されたインプレッサS201 STIバージョンのパイロットモデル名「エレクトラワン(Electra ONE)」として、「ケライノー」は1977年、「ケレーノ」として北米向けに発売したスノーモービルの製品名として、「アルキュオネー」は英語読みの「アルシオーネ」で1985年発売のアルシオーネと、1991年発売のアルシオーネSVXとして、「メロペー」は2009年にスバル用品が販売した天体望遠鏡「SUBARUメローペ80A」[14]に使われている。残りの「ターユゲテー」は現在までのところ富士重工業製品に使用されていない。

一部で谷村新司のヒット曲『』について「元々はこの会社のイメージソングであった」とされるが、これは正しくない[15]。富士重工業を意識して製作された歌謡曲は、実際には『我が人生は昴なり』(作詞作曲:石坂まさを、唄:美帆さゆみ)である。作曲家の石坂まさを自身が熱烈なスバルファンであり、「生真面目で人情味あるスバルの姿を唄い上げたもの」と公言している。原作は『我が人生はスバルなり』であったが、発売時には商品イメージを消すためにあえて漢字の「昴」を当てている。

なお、スバルの中国語表記は台湾、中国本土、香港の順に「速霸陸」、「斯巴魯」/「斯巴鲁」、「富士」(拼音: Sùbàlù / Sībālǔ注音: ㄙㄨˋㄅㄚˋㄌㄨˋ / ㄙㄅㄚㄌㄨˇイェール式:Fu3si6)、韓国語表記は「스바루」(文化観光部2000年式:Seubaru、マッキューン=ライシャワー式:Sŭbaru)」である。

初期の自動車群[編集]

1958年 スバル・360

その初期の製品は、航空機開発によって培われたデザインポリシーにより、軽量かつ操縦性に優れスペース・ユーティリティをも満たした高度な設計がなされ、市場をリードした。1954年(昭和29年)に試作されたスバル・1500では、日本製乗用車として初のフル・モノコック構造を採用している。

1958年(昭和33年)発売のスバル・360は、「国民車構想[16]の内容に近い水準の自動車を、高度な技術で具現化したもので、「大人4人が乗れる初めての軽自動車後輪駆動リアエンジン・リアドライブ方式として、日本人にとって自動車を身近なものにした。

1966年 スバル・1000

1966年(昭和41年)発売のスバル・1000では、縦置き水平対向エンジンによる前輪駆動レイアウトを採用し、以後、四輪駆動車を含む現行主力モデルに至るまでこれを踏襲している。またこのスバル・1000では、前輪駆動車にとっての重要部品である「等速ジョイント」の完成形、ダブル・オフセット・ジョイント(D.O.J.)を東洋ベアリング(現・NTN)と共同で開発、同車の成功の要因となり、1970年代から世界的に盛んとなった小型車の前輪駆動化の潮流に先鞭をつけた。

水平対向エンジンと四輪駆動[編集]

EG33型水平対向6気筒エンジン

現行の主力モデルでは、水平対向エンジンを車体前方に縦置き搭載して四輪を駆動するSYMMETRICAL AWD(シンメトリカルAWD)構造を特徴としている。水平対向エンジンは、量産型の乗用車用エンジンとしては、2012年現在、富士重工業とポルシェしか採用していない。また、フルタイム四輪駆動機構を展開する自動車メーカーとしてはドイツのアウディ等が有名であるが、水平対向エンジンとフルタイム四輪駆動機構の双方を組み合わせたパッケージングを展開するのは、世界でスバルのみとなっている。

水平対向エンジンは、クランクシャフトを軸にピストンを180度開いた位置に配置しているため、直列エンジンV型エンジンに比べ重心位置が低い。また、向かい合うピストンがお互いの慣性力を打ち消し合うように、それぞれ外に振り出されるため、本質的に直列エンジンV型エンジンより回転バランスに優れる。

さらに富士重工業の場合、フロントデフもトランスミッションケース内に収納しているため、軽量でコンパクト、なおかつドライブトレインを上から眺めたとき左右対称となっている。また、4気筒エンジン同士の比較では、クランク長が直列エンジンの約2/3と短くでき、エンジンとミッションの縦置きレイアウトのため重量を前後に分散することが可能。[要出典]

パッシブ・セーフティ(受動安全性)の面からも、前面衝突時にエンジンがフロントバルクヘッド下に潜り込むような形になるため、エンジンがキャビンを変形させる確率が低く、フロントのクラッシュ・ストロークを長く取れる利点がある。

四輪駆動車の開発[編集]

1989年 スバル・レオーネ GL 4WD

スバル初の四輪駆動車は、1972年レオーネエステートバン1400 4WDで、本格的な量産ラインで生産される自動車としては世界初の四輪駆動乗用車[17]となった。 自動車の運動性能にもたらす四輪駆動の効果に世界中の自動車メーカーが注目する端緒となったドイツアウディ・クワトロの発売は1980年であり、富士重工業は四輪駆動乗用車技術の長さではアウディをも上回る。そのため、四輪駆動システムについても、その初期から様々な試みがなされており、世界の自動車メーカーのベンチマークとなっている技術も数多い

レオーネの四輪駆動車は一般的なサルーンの外観でありながら優れた悪路走破性を持つ独自のキャラクターが降雪地域のユーザーなどから高い評価を得た。1980年代からはよりオンロード色が強まり、後継のレガシィやインプレッサではさらに顕著になった。

四輪駆動の技術を活かし、アウトドアを嗜む社員の視点から、レオーネ/レガシィ・ツーリングワゴンのような四輪駆動ステーションワゴンやレガシィ・アウトバック、フォレスターのようなクロスオーバーSUVといった新規マーケットを開拓した[18]。1989年10月発売のレガシィ・ツーリングワゴンGTはハイパワー4WDワゴンというキャラクターが市場に受けヒットした。

社団法人自動車技術会の委員会が「後世に語り継ぐべき特徴を持つ故実」として選定した「日本の自動車技術240選」の中で、スバル・レオーネ4WDバンとセダンがそれぞれ選ばれている。

2013年現在、軽自動車を含む全車種(BRZを除く)に四輪駆動が展開されているが、特にレガシィフォレスターは全モデルが四輪駆動である。

四輪駆動技術の発展[編集]

1981年、後輪駆動用トランスファーに、世界で初めて流体式の電磁式油圧多板クラッチを実用化したフルタイムAWDオートマチックを発売。

また、この電磁式油圧多板クラッチを発展させ、前後不等・可変トルク配分とエンジン出力制御、ABSとの統合制御による高度なアクティブ・セイフティ技術である車両制御システムVDC(Vehicle Dynamics Control System、横滑り防止機構)も実用化している。このVDCは、すでに実用化されている自動運転支援システムADA(Active Driving Assist)や防衛関連事業で培った高度なロボット技術との統合制御による、完全自律運転システムへの発展が期待され研究が続けられている。

なお、2008年6月、このADAから前車との車間計測のために備えていたミリ波レーダーを廃して、2台のCCDステレオカメラで車両周辺の状況を解析・判断、車両制御技術としては世界初となる、車速が15km/h以下でのプリクラッシュ・ブレーキ制御や障害物検知、さらに全車速追従型クルーズコントロールなどの機能を備えた「eyesight(アイサイト)」システム搭載車を発売。従来の安全技術などと比べ高機能でありながら割安な価格設定である。

モータースポーツへの取り組み[編集]

インプレッサWRC2006(2006年キプロスラリー)

モータースポーツにおいてはラリー競技での活動が知られる。テストドライバーの小関典幸[19]高岡祥郎を中心とする社内活動として、1973年(昭和48年)よりオーストラリアサザンクロスラリー1980年(昭和55年)よりケニアサファリラリーに挑戦し、「ボクサー+4WD」というアイデンティティを示した[20]。当時の主体は群馬の研究実験部だったが、1988年(昭和63年)に久世隆一郎を代表とする、モータースポーツ関連の子会社「スバルテクニカインターナショナル (STI) 」を設立する。

1990年平成2年)にはイタリアのモトーリ・モデルニと提携し、コローニチームを買収してF1に参戦したが、予備予選を通過できず半年のみで撤退した。スポーツプロトタイプカー世界選手権 (WSPC) でもF1用のF12エンジンをアルバAR20/1に搭載したが、似たような結果に終わった。

1989年(平成元年)にレガシィを発表するとイギリスのプロドライブと提携し、スバルワールドラリーチーム (SWRT) として1990年(平成2年)より世界ラリー選手権 (WRC) に本格参戦。1993年(平成5年)より後継のインプレッサを投入し、1995年から1997年にかけてマニュファクチャラーズタイトルを3連覇するなど、一時代を築いた。ドライバー部門ではコリン・マクレー1995年)、リチャード・バーンズ2001年)、ペター・ソルベルグ2003年)の3人のチャンピオンを輩出した。世界同時不況の影響で2008年シーズンを最後にWRCでのワークス活動を終了。WRC通算47勝(レガシィ1勝、インプレッサ46勝)は国内メーカーの中では最多(トヨタ43勝、三菱34勝)。

他にはラリーアメリカ(Subaru Rally Team USA)、SUPER GT(GT300クラス)、スーパー耐久ニュルブルクリンク24時間レースでの活動があり、ほぼスバルエンジンのワンメイクとなった入門フォーミュラFJ1600もある。

ラリー車技術への応用[編集]

AWDを積極的に自動車の運動性能・操縦性の向上に利用する取り組みでは、1990年からイギリスプロドライブ社とのWRCへの参戦で、エンジン性能向上技術や、2004年まで、前、後、センターデフのフルアクティブ化をはじめとする、膨大な技術的データ蓄積が得られているものと思われる[21]

WRC参戦用ベース車両であるインプレッサの市販型では、WRCからの直接のフィードバックはないものの、1994年に登場したDCCD(ドライバーズコントロールセンターデフ)制御に、2002年、4輪の車輪速センサー、横Gセンサー、スロットルセンサーなどから4輪のグリップバランスを把握して、最適な前後駆動トルクを自動的に配分する「DCCD-AUTO」モードを装備。2004年には新たに、ヨーレートセンサーを加え、さらに前後LSDとの協調制御により、操縦感覚の良さと速さを両立している。

CVTの量産化[編集]

リニアトロニック(東京モーターショー2009出展)

2010年現在広く使われているスチールベルト式無段変速機を「ジャスティ」向けに日本で初めて導入、改良して「ECVT」の名で量産した(オランダ、ファン・ドールン社と共同開発)。小排気量車向けのみが同社車種およびイタリアFIAT社のプントパンダに搭載された。CVTの技術はその後日産自動車にライセンスされ、日本メーカー各社が主にコンパクトカーなどに採用しているジヤトコ社製「ハイパーCVT」のベースとなったといわれている。

スバルのCVT搭載車は2009年頃までは軽自動車のみであったが(2010年現在も軽自動車にCVTを多く採用するメーカーの代表格となっている)、2009年5月20日にレガシィレガシィアウトバックにもチェーン式のバリエーター(主変速機機構)を採用した「リニアトロニック」というCVTを新たに設定した。 2009年現在、スバルの軽自動車はサンバーを除く全車に、普通車では先述の通りレガシィ、レガシィアウトバックにCVT車を設定している他、同年9月2日に改良されたエクシーガのNAエンジン搭載車の上級グレードにも設定された。

前出の「日本の自動車技術240選」の変速機・駆動系部門の中で、スバル・ジャスティのECVTが選ばれている。

その他の技術開発[編集]

サンバー トラック赤帽特装車

サンバートラック・バンは、軽トラック・軽キャブオーバーバンで唯一となったリアエンジン方式ならではのトラクション性能と、フル・キャブオーバー型の堅持による最小回転半径の小ささなどで、農家運送業者など、軽貨物車ユーザーの一部に根強い支持層を持つ。JA向けの特装車両や、軽運送の赤帽用に標準車以上の耐久性と使い勝手を考慮した特装車両が存在する。軽トラックの四輪駆動は現在では当たり前の装備となっているが、それを初めて採用したのもサンバーである(1980年、パートタイム式)。きっかけは愛媛県みかん農家からの登坂力確保の要望であった。

軽自動車においては1980年代から機械式スーパーチャージャーを積極的に採用。ターボラグがなく、低回転時のトルクを特に強力に補うスーパーチャージャーの特性は、スバル軽四輪に採用例が多かったEN05/07直列4気筒エンジンとのマッチングが良好で、他社の車両が次々にスーパーチャージャーの純正採用を断念する中で自社製軽自動車製造終了まで搭載され続け、スバル軽四輪の一つの特徴として認識されている。

富士重では早くから衝突安全に対する取り組みを行なっており、1965年(昭和40年)にはSAE基準による衝突試験を実施。これは日本における最初の自動車衝突試験となった。また、自動車メーカー各車が衝突被害軽減ブレーキの障害物認識に、ミリ波レーダ(レーダー)のみの利用、またはレーダと単眼カメラの併用とする中、富士重では歩行者などの認識に優れるステレオカメラのみを用いたEyeSightを開発、単眼カメラ方式で研究を進めていた日立製作所日立オートモティブシステムズとの技術提携により、2006年(平成18年)より市販車(BRZを除くスバル普通車)への搭載が始まっている。車載のステレオカメラのみを利用した衝突被害軽減システムの実用化は世界初であるが、レーダ関連を不要としたことで比較的低コストとなっている。


環境対応車の開発[編集]

2009年 スバル・R1e

電気自動車(EV)の開発については、1960年代後半に国産メーカー各社の開発競争があり、1971年第18回東京モーターショーに、スバル・ff-1 1300Gバンをベースにソニー製燃料電池を採用した「スバル・エレクトロワゴンX-1」を参考出品している。その後、あまり目立った動きはなかったが、突如2002年5月、NECと富士重工業との共同出資による合弁で 「NECラミリオンエナジー」 を設立し、自動車用マンガン系リチウムイオン組電池の開発開始を発表した。

2005年6月、東京電力と共同開発による軽自動車「R1」をベースにしたEV、「R1e」を公開、すでに2007年春から納入を開始した。2009年6月4日には、電気自動車「スバル・プラグインステラ」を発表、同年7月より納入を開始するとしている。資本提携関係にあるトヨタからのハイブリッド技術供与もすでに発表されており、 今後の推移が注目される。

また、2005年に開発を発表した「水平対向ディーゼルエンジン」が2007年3月、スイスジュネーヴ・モーターショーで公開され、2008年3月、ドイツを皮切りに順次EU各国とオーストラリアに向けて発売が開始された。世界初の水平対向4気筒・ターボディーゼルエンジンは「EE20」型 と名付けられ、DOHC・16バルブヘッドのほか、1,800気圧の噴射圧を持つデンソーコモンレール用インジェクター、IHI可変ノズルターボを装備。1,998 cc の排気量から最高出力150 ps /3,600 rpm、最大トルク35.7 kg-m /1,800 rpmを発揮、CO2排出量も148 g/km と現代的なディーゼルに相応しい性能であるが、排ガス値は「ユーロ4適合」に留まっており、より排出ガス規制(特にNOx)の厳しい日本北米市場への導入は行われていない。発表当初の予定では、これらの市場へは2010年までの導入を目指していた模様であり、その後、国内に関しては導入時期の延期と搭載予定車種が数度発表されている[22][23]が、現在まで商品化はされていない。なお、このEE20型エンジンは、2009年(平成21年)に第6回新機械振興賞「機械振興協会会長賞」を受賞している[24]

スバル車販売店[編集]

正規ディーラーの「スバル店」(全国46社・うち富士重工業出資34社。○○スバル自動車(旧来から用いられ、直営、独立系いずれにも使われる。例:青森スバル自動車、静岡スバル自動車、熊本スバル自動車など)または○○スバル(1990年代後半からの販社再編による合併時に用いられ始めている。主に直営販社、一部独立系も。例:北海道スバル、東京スバル、福岡スバルなど)[25]のほかに、サブディーラー(個人経営店舗)の「スバルショップ」(旧称・スバルスコープ店)があり、また一部のJAいすゞ自動車のディーラーでも取り扱っている例もある。

一時期は輸入車も取り扱っていたこともあった。1988年ボルボ[26]1998年ポルシェ2003年にはサーブとそれぞれ販売提携を結び、一部のスバル販売店で取り扱っていた、しかし、サーブは2005年に、ボルボは2006年に販売から撤退した[27]

また、前述の直営販社を地域別に統括会社を設置し、その他の販社をその傘下にする形で販社統合が実施され[28]、直接出資34社のうち、地域別に6の統括会社と4の単独販社(北海道・東京・神奈川・千葉)については現状を維持し、それ以外の会社を統括会社の子会社化し、事業会社として、間接部門を統合し経営のスリム化を図り、かつ販売・整備網の維持のため、基本的には販社合併は行わず、現状の体制は継続される。2008年10月1日に、奈良を除く近畿地区と九州沖縄地区での統括会社化と、長野県内の直営2社の合併、2009年4月1日に、東北、甲信越・北陸、東海、中国・四国の4地区において、統括会社化が実施され、新経営体制に完全移行した。現在、富士重工業出資10社・統括子会社23社・独立11社、全44社。

直営[編集]

単独会社[編集]

東北地区スバルグループ[編集]

甲信越・北陸地区スバルグループ[編集]

東海地区スバルグループ[編集]

近畿地区スバルグループ[編集]

中国・四国地区スバルグループ[編集]

九州地区スバルグループ[編集]

独立系[編集]

  • 北海道
    • 釧路スバル自動車
    • 帯広スバル自動車
  • 関東・甲信越
    • 富士スバル(群馬県)
    • 栃木スバル自動車
    • 茨城スバル自動車
    • 埼玉スバル自動車
    • 南信スバル(長野県)
  • 中部・北陸
    • 静岡スバル自動車
    • スバル東愛知販売
    • 福井南スバル自動車
  • 近畿
    • 奈良スバル自動車

生産拠点[編集]

車種一覧[編集]

現行車種(2014年7月現在)[編集]

外観 車種名 初代登場年 現行型発表年(代目) 備考
セダン
Subaru Legacy B4 BM.jpg
LEGACY B4
レガシィB4 1998年 2009年5月20日(3代目) レガシィセダンは1989年登場
Subaru Impreza G4 2.0i AWD.JPG
IMPREZA G4
インプレッサG4 1992年 2011年11月30日(4代目) 先代(3代目)はインプレッサアネシスとして発売
SUBARU WRX STI S206 01.jpg
WRX STI 4door
WRX STI 4ドア 2010年 2010年7月1日 インプレッサセダンWRXは1992年登場
クーペ
Subaru BRZ 101.JPG
SUBARU BRZ
BRZ 2012年 2012年2月3日 トヨタ・86の姉妹車(共同開発)
ワゴン
SUBARU LEVORG 01.JPG
LEVORG
レヴォーグ 2014年 2014年4月15日 現時点ではインプレッサとレガシィの中間に位置するモデル。
国内におけるレガシィツーリングワゴンの実質的な後継車種。
同社の自社生産車種としては初にして唯一の国内専用車
発売開始は2014年6月20日
SUV
2010 Subaru Outback 1 -- 07-01-2009.jpg
LEGACY OUTBACK
レガシィアウトバック 2003年 2009年5月20日(2代目) レガシィグランドワゴンは1995年登場
Subaru XV HYBRID 2.0i-L EyeSight w.JPG
SUBARU XV
XV 2007年 2012年9月25日(2代目) 初代はインプレッサXVとして発売
スバルのラインナップ中、唯一のハイブリッドカー設定車種
Subaru Forester XT (SJ) front.JPG
FORESTER
フォレスター 1997年 2012年11月13日(4代目)
ミニバン
Subaru-Exiga.jpg
EXIGA
エクシーガ 2008年 2008年6月17日
ハッチバック
Subaru Impreza Sport 1.6i AWD.JPG
IMPREZA SPORT
インプレッサスポーツ 1992年 2011年11月30日(4代目) 2代目まではスポーツワゴン(ステーションワゴン)
ImprezaSTI3rd.jpg
WRX STI 5door
WRX STI 5ドア 1992年 2007年6月4日(3代目)
Subaru Trezia 1.3i Active – Frontansicht, 25. August 2011, Wuppertal.jpg
TREZIA
トレジア 2010年 2010年11月29日 トヨタ・ラクティスのOEM車
軽自動車
Subaru Lucra L special.JPG
LUCRA
ルクラ 2010年 2010年4月21日 ダイハツ・タントエグゼのOEM車
Subaru Stella Custom R Smart-Assist AWD LA110F.JPG
STELLA
ステラ 2006年 2011年5月24日(2代目) 2代目は5代目ダイハツ・ムーヴのOEM車
Subaru Pleo plus 0157.JPG
PLEO+
プレオプラス 2012年 2012年12月10日 ダイハツ・ミライースのOEM車
Subaru PLEO 2nd.JPG
PLEO
プレオ 1998年 2010年4月20日(2代目) ダイハツ・ミラ(乗用・商用ともに)のOEM車
Subaru Dias Wagon RS 0252.JPG
Dias Wagon
ディアスワゴン 2009年 2009年9月3日 サンバーディアスワゴンから移行。
ダイハツ・アトレーワゴンのOEM車
Subaru Sambar Truck TC 0259.JPG
SAMBAR
サンバー 1961年 2012年4月2日(7代目) 現在は商用シリーズ(4ナンバー車)のみ。
ダイハツ・ハイゼットのOEM車
乗用ワゴン(5ナンバー車)はディアスワゴンに移行

日本未発売車種[編集]

過去の日本国内販売車種[編集]

過去の日本国外専売車種[編集]


過去の委託生産車種[編集]

今後の車種展開[編集]

メーカーより今後発売が公表されている車種[編集]

キャッチフレーズ[編集]

  • 「確かな技術を人のために」(1989年 - 1991年3月)
  • 「Active driving, Active safety」(1996年 - 1999年)
  • 「World Quality SUBARU 4WD」(2000年 - 2001年7月)
  • 「Driving emotion」(2001年8月 - 2002年3月)
  • 「Think.Feel.Drive」(2003年10月 - 2008年2月)
  • 「Fantastic moments」(2008年3月 - 2009年)
  • Confidence in Motion」(2010年11月 - )※このキャッチフレーズは北米などの世界各国でも使用されている。
  • 「Love. It's what makes a Subaru, a Subaru.」(2006年 - )※主に北米市場で使用。

提供している主な番組[編集]

日本全国でスポットCMを流している。民放BS放送での単独スポンサーの番組においては、2012年10月現在時点で4番組あるが、スポンサー名と読みについては、「“Confidence in MotionSUBARU」となっている。また、「キズナのチカラ」以外のBS単独スポンサー番組と、「Dramatic Cinema」 は、YouTubeにて番組本編を配信するほか、「Dramatic Cinema」、「ふたり道」、「恋するドライブ」は、それぞれの番組Facebookページも開設していて、ソーシャルメディアにも力を入れている。ちなみに放送した過去のテレビCMは、SUBARUの公式サイト内にある『チャンネルスバル(外部リンクを参考)』にて配信している。(稀であるが、「SUBARU On-Tube」にもテレビCMを配信する事もある。)なお、テレビCM冒頭に流れるサウンドロゴは現在30秒版のみになっている。(一部は除く、以前は15秒版も存在したが、 「“Confidence in Motion”」は省かれている。)

現在[編集]

モータースポーツ関連番組においては、他の国内自動車メーカーもスポンサーである。
一時期であるが、番組にスポンサーが付くこともある。
  • BS日テレ
    • SUBARU Presents キズナのチカラ(金曜22:00 - 22:30・一社提供)※現在はリピート分を交えながら放送している。
    • SUBARU Presents ふたり道 ~助手席のオキテ~(木・金曜21:54 - 22:00・一社提供、TREZIA名義)[2012年10月 - ] <見逃し分は、「粋男流儀 ~遊びの美学~」と同様「SUBARU On-Tube」でもご覧にいただける。また金曜日は後番組「キズナのチカラ」が放送する為、金曜日の21:54 - 22:30までが一社提供の独占状態になる。>
  • BSフジ
    • SUBARU Presents 粋男流儀 ~遊びの美学~(土曜8:30 - 8:55 [以前までは土曜8:00 - 8:25に放送していた。]・一社提供、かつては、SUBARU BRZ名義だった。)[2012年3月 - ] <なお、「SUBARU On-Tube」でも配信している。>
  • BS朝日
    • SUBARU Presents 恋するドライブ(水曜23:30 - 0:00・一社提供、EyeSight名義)[2012年7月 - ] <放送2日後には、BS朝日公式YouTubeチャンネルにて配信する。ただし、FacebookのSUBARU公式アカウントのリンク先でしかご覧にできないし、公開話数も限られている。>

過去[編集]

陸上競技部[編集]

富士重工業の陸上競技部はスバルの製造拠点である群馬製作所内にある。事業所のある群馬県太田市全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)のコースに含まれていることもあり、同大会への出場と地域社会の活性化への貢献を目的として1998年6月に創部された。小指徹監督以下、地元出身の阿久津圭司を始めとする12名の部員で構成される。

当初は社名の「富士重工業」で出場していたが、現在はSUBARU陸上競技部として活動を続けている。部の主たる活動目標でもあるニューイヤー駅伝では2001年の第45回大会に初出場を果たし、以後12年連続出場を続けており、地元チームとして沿道での声援も大きい。また2013年度は第6位に入賞し、好調なスタートを切る。

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 2011 SUBARU販売会社
  2. ^ 試乗レポート 【 carview 】
  3. ^ 売れすぎ"が問題に、スバルのぜいたくな悩み 東洋経済 2013年11月5日
  4. ^ 絶好調スバルの泣き所、供給不足が深刻に 東洋経済 2014年2月8日
  5. ^ 富士重工、BMW上回る利益率の背景と持続力 Response. 2013年11月6日
  6. ^ 最下位スバルのビジネスモデル、なぜ世界で注目?オンリーワン戦略&堅実経営で高収益 BJ 2014年1月25日
  7. ^ “2000万台突破 「スバル」車こつこつ56年”. 東京新聞. (2014年1月10日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2014011002000127.html 2014年1月10日閲覧。 
  8. ^ この言葉はカートピア誌No.31(1975年)に掲載された「スバルは紳士の乗り物」という後閑暢夫氏による投稿の中で「クルマに対する高い見識を持ち、紳士的な運転をするスバルユーザー」を指す言葉として誕生した。2013年の第43回東京モーターショー以降はメーカー自らがSUBARISTという言葉を大々的に用いている。http://www.subaru.jp/subarist/
  9. ^ RESPOからSUBARISTという名前の水平対向エンジン車向けオイルが販売されている。
  10. ^ いずれも史書。『万葉集』で「須売流玉(すまるのたま)、また、『日本紀竟宴和歌』では「儒波窶玉(すばるのたま)」など、玉飾(たまぐし)を糸でひとくくりとしたものを「すまる・すばる」と呼び、「統一されている」「ひきいられている」という意味から、プレアデス星団が「すばる」と呼ばれるようになったといわれている。
  11. ^ 清少納言随筆。「ほしはすばる ひこぼし ゆうづつ よばひほし すこしをかし をだになからましかば まいて」という記述がある。
  12. ^ ただし、正式社章となる前の「六連星マーク」は乗用車のブランドマークであり、同じ自動車部門でもバス車体には採用されずに終わっている。
  13. ^ 参考資料:フェロールーム株式会社「スバルの40年1958-1998」
  14. ^ スバルブランドの天体望遠鏡「SUBARUメローペ80A」を発売』富士重工業株式会社 ニュースリリース - 2009年12月1日
  15. ^ 『昴』の歌詞は明らかに訣別をテーマにしており、会社のイメージソング向けではない、ただし一部の社員の間で裏社歌と呼ばれていると言う。
  16. ^ 高性能で廉価な小型大衆車を「国民車」として優遇する計画。当時の通産省内部で1955年(昭和30年)に企画され、新聞にスクープされたが、結局正式な施策とはならなかった。内容は技術・コスト両面で無理の多いもので、「(当時の)技術レベルでは机上の空論」として、日本の既存メーカー各社は冷淡な反応を示した。富士重工業も国民車構想を意識したわけではなく、またスバル・360も価格面で国民車構想の条件を満たすことはできなかった。
  17. ^ 1902年のスパイカー以後、乗用型の四輪駆動車自体は少なからず存在していたが、いずれも特装車・少量生産車に留まり、四輪駆動はジープに代表されるヘビーデューティな車両向けの技術と見られていた。
  18. ^ 1972年のレオーネエステートバン1400 4WD発売以来、主要マーケットであるアメリカでは「優れた悪路踏破性を持つ乗用車」というレジャー性を備えた多目的車としての認知がいち早く進んだ一方、日本国内では「ジープより悪路踏破性に劣る4WD」という特殊車的位置付けをなかなか変えることができず、そうした一般認知を転換する努力がジープ・ジャンボリーや悪路におけるメーカー主催の「レオーネ4WD全国試乗キャラバン」などにより続けられていた。また、4WDとアウトドアライフを併せた訴求も、広報誌「カートピア」などを通じ、早くも1970年代中盤から開発担当者自らが、主に「プライベート・アウトドアライフにおける4WDの利便性」を語るかたちで続けられていた。1970年代を通じ、こうした自動車とレジャーとの関わりを訴求する国産メーカーは当時まだなかった。
  19. ^ "スバルモータースポーツの礎を築いた小関典幸氏が永眠". オートスポーツweb.(2009年11月30日)2013年12月23日閲覧。
  20. ^ 1980年のサファリラリーにレオーネ4WDが出場しており、アウディ・クワトロより先にWRCに登場した4WDカーとなった。
  21. ^ 富士重工業のWRC出場用エンジンは1990年の本格参戦から日本のSTIで開発・組立が行われており、WRCで使用されている技術が直接市販車に投入されることはないが、過酷なモータースポーツの現場におけるエンジン制御技術は一般市販車にも間接的に応用されている。また、市販車のAWD制御技術、およびアクティブセイフティ技術の開発には、WRCにおけるデータ、および技術が間接的に投入されているとされる。さらに、2006年以来のWRCにおける成績不振から、2007年、WRC車両自体の開発もプロドライブから富士重工業・STI主導で行うように組織改編が行われ、市販車とWRC関連技術との結び付きはより強まっている。
  22. ^ 富士重、来年めどにクリーンディーゼル車を国内投入へ - 日刊自動車新聞(2012年1月10日 06:00版)
  23. ^ 富士重、ディーゼル車の国内投入検討-「レガシィ」に設定 - 日刊工業新聞(2013年03月14日版)
  24. ^ 富士重工業の「水平対向ディーゼルエンジン」が第6回新機械振興賞「機械振興協会会長賞」を受賞 - 富士重工業プレスリリース(2009年1月20日)
  25. ^ 原則として正規ディーラー名は「地域名+スバル」としている。例外として「スバル+地域名」の名称を使用しているのは愛知県東部地区の独立系ディーラー「スバル東愛知販売」のみとなっている。
  26. ^ 販売開始にあたって、子会社として「フィクス株式会社」を設立。ボルボ・ジャパンからフィクスがボルボ車を仕入れてスバル販売店に卸す体制となっていた。
  27. ^ 撤退において、全国販売網はヤナセが引き継ぎ、卸子会社のフィクスは2007年に解散した。
  28. ^ 富士重工業、国内のスバル販売会社を統括会社体制へ完全移行”. 富士重工業 ニュースリリース (2009年1月30日). 2009年2月1日閲覧。
  29. ^ 富士重、新工場見送り”. 読売新聞 (2009年1月17日). 2009年1月23日閲覧。
  30. ^ テレビ東京・テレビ大阪における放送。

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