スバル・アルシオーネ

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スバル・アルシオーネ
AX4/AX7/AX9型
VRターボ フロント
VRターボ リア
VRターボに搭載されるEA82型ターボチャージャー
概要
販売期間 1985年6月1991年9月
デザイン 碇穹一
ボディ
乗車定員 4人
ボディタイプ 2ドアノッチバッククーペ
駆動方式 FF/4WD
パワートレイン
エンジン EA82型 1.8 L水平対向4気筒ターボ
ER27型 2.7 L水平対向6気筒NA
最高出力 EA82型 120 PS / 5,200 rpm
ER27型 150 PS / 5,200 rpm
最大トルク EA82型 18.2 kgf·m / 2,400 rpm
ER27型 21.5 kgf·m / 4,000 rpm
変速機 3速AT/4速AT/5速MT
サス前 前/ストラット
後/セミトレーリングアーム
サス後 前/ストラット
後/セミトレーリングアーム
車両寸法
全長 4,510 mm
全幅 1,690 mm
全高 1,335 mm
車両重量 1,300 kg(2.7 Lモデル)
その他
ブレーキ方式 前/ベンチレーテッドディスク
後/ディスク
最小回転半径 4.9 - 5.2 m
系譜
後継 スバル・アルシオーネSVX
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アルシオーネ(ALCYONE)は、富士重工業(現・SUBARU)が1985年から1991年にかけて製造・販売していたクーペ型の乗用車である。

概要[編集]

キャッチコピーは『4WDアヴァンギャルド』、『オトナアヴァンギャルド』。SUBARU(旧・富士重工業)の創業から現在に至るまで、リトラクタブル・ヘッドライトが搭載された唯一の車種である。

1985年1月に「XT」としてデトロイト・モーターショーで初公開された。発表に際して、各国のモータージャーナリストを招いた大々的な試乗会やハリウッド映画への登場といった入念な事前プロモーションが行われ、富士重工業のアメリカ市場に対する期待の大きさを窺わせた。アメリカ市場では1985年2月の発売直後こそ好調な販売で推移したが、同年9月のプラザ合意による急激な円高のために商品力が低下。急遽、既存の4気筒エンジンに2気筒を追加して6気筒とした「XT6」が企画され、1988年モデルイヤーから販売に移された(同時に4気筒エンジン車は廃止)。

しかし、「廉価でスタイリッシュなクーペ」から「先進的な高級パーソナルクーペ」への突然の路線変更が受け入れられたとは言い難く、期待されたアメリカ市場での販売を回復することができないまま1991年に販売を終了。完全な専用設計とした後継車種の「SVX」に再起を賭けることになった。

日本では1985年6月8日に発売されたが、「走る三角定規」などとも揶揄される極端なくさび形のエクステリアが奇抜すぎると捉えられ、さらに4気筒エンジンや足回りが3代目レオーネとほぼ同一[注釈 1]でフラッグシップ車としてのイメージが薄く、そして価格も高めだったことから、他社の大型スポーツクーペに歯が立たず、発売当初から売れ行きは不調であった。

なお、欧州市場とオーストラリアではボルテックスVORTEX:英語で「渦」の意味)の名で販売された。

メカニズムでは従来の油圧多板クラッチに専用コントロール・ユニットによるパルス制御を取り入れることにより、前後駆動トルク配分を自動制御する「ACT-4」、オートマチックトランスミッションの4速化、電動モーター・アシストによる車速感応式パワーステアリング「CYBRID」、ABSのライン装着など、非常に意欲的なアクティブ・セイフティに対する姿勢は、現在でも一部に高い評価がある。

エクステリア[編集]

リトラクタブルヘッドライトを採用した特徴的なウェッジシェイプ(くさび形)のスタイリングで、カタログには「エアクラフトテクノロジーの血統」と日本車で初めてCD(空気抵抗係数)値=0.30の壁を突破、CD値=0.29を達成し、CD×A(空気抵抗係数×前面投影面積)=0.53、CLF(揚力係数(前))=0.10、CLR(揚力係数(後))=0(いずれもVSターボ)という空力性能の理想の徹底追求が大きく謳われており、

  • リトラクタブルヘッドライト採用の低いフロントフード
  • フロント、リヤウィンドウの傾斜角を同じ28度に設定
  • 複雑な三次元成形のリヤウィンドウ採用による、フラッシュサーフェス・ラップラウンド・キャビン
  • ライズアップ格納機構を備えたコンシールドタイプ・シングルブレードワイパーの採用
  • ボディからフローティングさせた「スペースドアミラー」
  • 可動式フラップでボディ表面の凹凸を完全になくす「エアプレーンタイプドアハンドル」
  • アンダーフロアのフラットボトム化
  • タイヤハウスへの風の巻き込みを防止するサイドエアフラップ
  • ボディ下部に流れる空気を整流してスムースに流すリヤアンダースポイラー
  • 空気抵抗と揚力低減に最適なハイデッキ、ダックテール形状

などが列挙されている[1]自動車工学では車両の空気抵抗の低減は燃費、高速安定性など自動車の性能向上に有効であることは分かっていたが、市販乗用車でアルシオーネほど空力性能を訴求した例はなく、それがどれほどの効果があったのかはともかく、今なお、斬新なボディ・スタイリングとともに、現在もアルシオーネを特徴付けているポイントである。

一方、2,465 mmというホイールベースは3代目レオーネ(AA型)と全く同じで、全長×全幅×全高=4,450(4,510※2.7VX)×1,690×1,335(1,295※VSターボ)mmという寸法は、1982年登場の2代目ホンダ・プレリュードの全長×全幅×全高=4,295×1,690×1,295 mm (XX)にかなり近い。ただし、アメリカ仕様は、最低地上高の安全基準を満たすためにレオーネ並の車高になっている。

ボディカラーはVRターボ、VSターボともにツートンカラーとし、ホワイト、レッド、ブルー、ダークグレーのそれぞれがライトグレーとの組み合わせとなっている。

1987年7月、水平対向6気筒エンジン搭載の2.7VXの登場に伴いマイナーチェンジ。2.7VXにはパールホワイト・マイカ、ディープレッド・マイカ単色の専用色が与えられ、開口部を拡大したフォグライト埋込の大型衝撃吸収バンパー、また、フロントフードのエアインテークが省略される。4気筒シリーズについては2トーンカラーを継続。ホイールの14インチ化に伴う、新デザインのホイールキャップの採用など変更は軽微に留まり、差別化が図られた。またグレード名から「ターボ」が外れ、単に「VR」「VS」と呼ばれるようになった。

2.7VXの専用14インチアルミホイールは、AA型レオーネ のPCD 140 mm 4穴 に対して、 PCD 100 mm 5穴 を採用。ハブベアリングは、EA82型エンジン搭載車 が1組のボールベアリング支持に対し、2.7VX では1組のローラーベアリング支持に変更。これに伴い アウター側のオイルシールが変更された。フロントストラット の ハブ取付ブラケットもストラットASSYと一体とされ、その後のスバル水平対向エンジン搭載車が踏襲することになるサスペンション/アクスル構造を先んじて採用していた。

インテリア[編集]

低めの着座位置に高いセンターコンソールといった、当時の「スペシャリティ・クーペ」の文法に適ったドライビングポジションに、センターコンソールから運転席前方に続く切り立った広い平面に、スイッチ、メーター類を散りばめた、壮観なインストルメントパネル、ガングリップ・タイプのシフトレバー、左右非対称のL字型スポークステアリング、一般的なコラムスイッチの機能をそれぞれボタンスイッチに分割して独立したパネルに配置した「コントロール・ウィング」の組み合わせは、当時の富士重工業の主張する個性が良くも悪くも形になったものである。L字型スポークステアリングは、ハンドルを切ると感覚が掴みにくいという欠点もあった。

また、テレビゲームさながらのデザインが話題になった「エレクトロニック・インストルメントパネル」[注釈 2]と呼ばれる液晶式デジタル・メーターも用意された。

前期型は、簡単な減算・平均車速表示機能の付いたトリップコンピューター[注釈 3]、4スピーカーロジックコントロール機能付きAM/FMチューナーカセットコンポも標準装備とされ、当時の富士重工業のフラッグシップに相応しいフル装備を誇った。

内装色には、前期型が標準車が明るいブラウン系内装、ブルー・メタリック2トーン外装色にブルー系内装にモケット+ビニールレザーの組み合わせ。

1986年、ビニールレザー張りだったリアシートを、フロントシートと同一のモケット生地に改めた。

1987年のマイナーチェンジ以降は2.7VXのみがダークブラウンに毛足の長いディンプルモケット生地の組み合わせ、4気筒エンジン搭載の標準車にグレー内装、ブルー・メタリック2トーン外装色にブルー系内装とモケット生地の組み合わせとなった。

エンジン・ドライブトレイン[編集]

エンジンは、レオーネ1.8 L GTターボと共通の水平対向4気筒SOHC「EA82ターボ」(最高出力:135 PS / 5,600 rpm、最大トルク:20.0 kgf·m / 2,800 rpm(いずれもグロス値))を搭載。低くスラントしたフロントノーズのために補機類配置が見直されている(スペアタイヤは、エンジンの上でなく、後部トランク内に収納されている)。

VRターボAT車には、急加速時、急制動時、雨天時に、アクセル、ブレーキ、ワイパーと連動して、自動的にAWDに切り替わる 「AUTO-4WD」 システムが搭載されていた。これは当時パーツサプライヤーの供給するABSの作動精度が現在に比べ著しく甘く、そもそも前後のドライブトレインを連結したAWDなら、加速・制動時のホイールスピンやロックを防ぐために効果的であることから考えられたシステムで、現在のAWDの高度な駆動力制御の先鞭をつけたものといえる。VRターボの5速MT車は、副変速機「デュアルレンジ」を装備しない、当時の富士重工業のAWDラインナップの中でも最も簡潔なシステムが与えられた。VSターボは、国内向け3代目レオーネにはFF+EA82型ターボの設定がなかったため、当時の富士重工業のラインナップの中でも異色の存在だった。

1987年7月のマイナーチェンジで追加された2.7VXには、既存のEA82型エンジンに2気筒を追加した、水平対向6気筒SOHC「ER27」エンジンが搭載された。ボアおよびストロークは「EA82」と共通であるが、このエンジンがアルシオーネ以外に搭載されることはなく、事実上、専用設計となっている。最高出力:150 PS / 5,200 rpm、最大トルク:21.5 kgf·m / 4,000 rpmを発生した。

2.7VXおよびVRには、MP-Tの油圧をパルス制御[注釈 4]することによって、前後の駆動力配分を自動的かつ連続的に変化させる 「電子制御アクティブトルクスプリット4WD(ACT-4)」 を搭載。これは2WDに比べ駆動力に優れる AWD 本来の特性に、前後の駆動力を変化させることで自動車の操縦性まで変化させることを可能にした画期的な駆動力制御で、現在の 「VTD-AWD」 につながる富士重工業のAWDシステムの中核に位置する技術である。また、2.7VX、VRのATには、それまでの3速に代わり、4速の 「E-4AT」 が与えられた。6気筒・4気筒シリーズともにトランスミッション・ギヤ比は共通である。また、このマイナーチェンジで、VRの5速MT車は、それまでのパートタイムAWDから、レオーネRX-II と同じバキューム・サーボ式デフロック機能を備えた、遊星歯車センターデフ付のフルタイムAWDに改められた。

2.7VX 専用の水平対向6気筒エンジン「ER27」は、1985年10月、第26回「東京モーターショー」に参考出品されたアルシオーネベースのコンセプトカー「ACX-II」で公開されている。「ACX-II」は走行可能なコンセプトカーで、走行シーンも公開されたが、この時点では、同時に参考出品されていた「レオーネ3ドアクーペ・フルタイム4WD」[注釈 5]と共通のバキューム・サーボ式のデフロックを備えた傘歯車式センターデフ・マニュアルトランスミッションとの組み合わせで、ブリスターフェンダーによって3ナンバーに拡幅された全幅やショーカーらしい数々のギミックは明らかに商品化を前提にしたものではなかった。

しかし、1985年9月のプラザ合意が招いた急激な円高は、それまで廉価を売り物にアメリカ市場でのシェアを拡大してきた日本車に対して、アメリカへの工場進出による現地社会との共存と付加価値の高い高級化への路線転換を迫った。当時、レオーネとアルシオーネ、収益率の悪いジャスティしか持ち駒のなかった富士重工業にとって、主要マーケットたるアメリカでの深刻な販売不振の打開策として、水平対向6気筒エンジンの市場投入は急遽決定された。しかし、商品化に2年もの時間を要した上、レオーネの狭いエンジンルームに搭載することは不可能[注釈 6]で、これ以降1980年代後半にかけての富士重工業の混迷振りを象徴するような商品化となった。

シャシー・サスペンション[編集]

シャシーサスペンションともに、基本的にはレオーネ1.8 L GTターボと共通だが、2.7VX、VRターボがE-PS(エレクトロ・ニューマティック・サスペンション)と呼ばれる、オートセルフ・レベリングつきエアサスペンションを装備するのに対し、VSターボはコイルスプリングサスペンションとなる。E-PSはハイトコントロール(車高調整)機構付きで、標準車高の165 mmとハイ車高195 mmの2段階で任意の車高を選択可能で、ハイ車高で80 km/hに達すると自動的にノーマル車高へ復帰、さらに50 km/h以下になると自動的にハイ車高に戻る機能を備えていた。

また、2.7VXには富士重工業としては初となる、4センサー対角セレクトロー[注釈 7]方式を採用した、当時としては非常に高度なABS制御と、AWDの前後駆動トルク配分制御「ACT-4」、さらに電動パワーステアリング「CYBRID」との統合制御を行うという、積極的なアクティブ・セイフティ(能動安全性)の一歩進んだ形を提案。このシステムは各方面から絶賛を浴び、その後の世界の自動車メーカーのアクティブ・セイフティの考え方に与えた影響は極めて大きい。

歴史 AX4/AX7/AX9型 (1985年〜1991年)[編集]

月日 イベント
1985年 1月 デトロイト・モーターショーで北米初公開。
6月8日 日本発売。
10月 第26回「東京モーターショー」に2.7 L水平対向6気筒エンジン搭載「ACX-II」を参考出品
1986年 3月 VSターボオートマチック追加
1987年 7月4日 2.7 L水平対向6気筒エンジン搭載「2.7VX」追加。アルシオーネ・シリーズ マイナーチェンジ
1989年 8月 2.7VXに新色「ブラックマイカ」追加他、ボディカラーのBC/BF型レガシィとの共用化。受注生産に。
1991年 9月18日 アルシオーネSVX発売(モデルチェンジ)

グレード展開[編集]

日本[編集]

1985年6月の発売当初はVRターボ(4WD)とVSターボ(FF)の2種類。トランスミッションは5速MTが標準で、VRターボのみ3速ATが選択可能だった。新車解説書には3代目レオーネ(オールニューレオーネ)の2ドア版との明記がある。

1986年3月、VSターボに3速ATを追加。

1987年7月、2.7VXを追加。トランスミッションは「E-4AT」と呼ばれる4速ATのみ。また、VRターボはVRに、VSターボはVSにそれぞれ呼称が変更され、AT車は3速から4速に多段化、4WD・AT車のトランスファーがMP-T(マルチプレート・トランスファ)からACT-4(アクティブトルクスプリット4WD)になった。

1989年2月、初代レガシィ登場にあわせてボディカラーのラインナップを共通化。2.7VXのみ専用色の「ブラックマイカ」を追加。また、全車受注生産に移行。

1991年8月[3]、生産終了。在庫対応分のみの販売となる。

1991年9月、販売終了。

トピック[編集]

  • 当時の富士重工では社用車としてレオーネを使っていたが、他人と同じ自動車に乗ることを嫌った当時の社長は、アルシオーネを社長用の社用車として使った。2ドア車であるため、社長は助手席に乗ることになった。
  • 日本発売直後の1985年8月、オーストラリアで行われた「ウインズ・サファリ・ラリー」に、当時富士重工業社員でS.M.S.G(スバル・モーター・スポーツ・グループ)の監督兼エースドライバーだった高岡祥郎(コ・ドライバー:B.レイク)が出場。オーストラリア大陸を縦断する総走行距離5,690 kmの過酷なマラソンラリーだったが、2日目にエンジントラブルでリタイアを喫した。

車名の由来[編集]

名称はプレアデス星団(和名: すばる)で最も明るい恒星のアルキオネ(Alcyone、おうし座η星)から、さらに星名はギリシア神話に登場するプレイアデスの1人アルキュオネー古希: Ἀλκυόνη, Alkyonē, ラテン語: Alcyone)から取られている。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ サスペンションがレオーネと共用だったこと、下級モデルと上級モデルの排気量の差が大きいことが災いし、さらに車体の地上高が不自然に高く、不格好であると評価を受けた。
  2. ^ VRターボATのみにメーカーオプション
  3. ^ 1987年7月のマイナーチェンジで廃止。
  4. ^ MP-T(油圧多板クラッチ)の油圧回路に1,000分の1秒単位でコンピューターにプログラムされたパルス信号を送り、それにより油圧を加減圧し、トルク伝達量を制御する。油圧を所定以上に高めれば直結AWDの状態になり、最大のトルクが得られる。ATのライン油圧から前後のトルク配分を決定していた従来の「MP-T-4WD」と比べ、レスポンスとスリップ量のコントロール性に優れる。
  5. ^ 1986年4月に「レオーネ3ドアクーペRX-II」として発売された。
  6. ^ ただし、富士重工業の社内では、レオーネの車体に水平対向6気筒エンジンを搭載した試作車が1980年前後から製作され、実験・研究は続けられていたという[2]。また、レオーネ、レガシィのモデルチェンジに際して、たびたび水平対向6気筒搭載車の存在が噂された。
  7. ^ 対角にある前後輪を制御単位(つまり2チャンネル)にして、μ(路面摩擦係数)が低いホイールを基準にブレーキ制御を行う。

出典[編集]

  1. ^ 1987年6月 富士重工業発行 アルシオーネ・カタログ(62A-6)
  2. ^ モーターファン別冊「歴代レガシィのすべて/開発ストーリー(6気筒モデル)」・2003年11月1日発行
  3. ^ アルシオーネ(スバル)のカタログ”. リクルート株式会社 (2019年12月31日). 2019年12月31日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]