スバル・ブラット

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スバル・ブラット
概要
製造国 日本の旗 日本太田市
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国プレトリア
ニュージーランドの旗 ニュージーランドワイタラ、1987年まで)
販売期間 1978年1994年(生産終了)
ボディ
ボディタイプ 2ドアクーペユーティリティ
駆動方式 四輪駆動
パワートレイン
エンジン 1.6L EA-71 水平対向4気筒
1.8L EA-81 水平対向4気筒
変速機 4速MT
3速AT
車両寸法
ホイールベース 2,456 mm
全長 4,424 mm
全幅 1,620 mm
全高 1,415 mm
車両重量 1,000 kg
系譜
後継 スバル・バハ
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ブラット(BRAT)は、スバルブランドを展開する富士重工業(現・SUBARU)で生産されていた、レオーネベースのピックアップトラックである。輸出専用車種で、日本国内販売は行われていないが、並行輸入されたものが少数存在する。

概要[編集]

アメリカでは若年層を中心に、パーソナルカーとしてのピックアップトラックの需要があり、日本車の輸入が本格化した1970年代に入ると、日本製のダットサン・トラックトヨタ・トラックいすゞ・ファスターの北米仕様であるシボレー・LUVなどのミニピックアップトラックが好調な販売を記録していた。

こうした中、スバルオブアメリカからの富士重工に対するトラックを望む声は当初からあったものの、アメリカでは輸入ライトトラックに25 %という破格の高関税(いわゆるチキン・タックス英語版)を課しており、フレーム付きの日本製ピックアップトラックはボディをキャブ部分のみの架装に留め、荷台は現地で組み付ける「キャブシャシ」という部品扱いで輸出する手法で、この高関税を回避していた。

しかし、スバルではフルモノコックボディ以外の普通車を生産しておらず、こうした「荷箱分割方式」が取れなかった。アメリカ合衆国政府との度重なる折衝の末、荷台をボディ前半部となだらかに一体化させたデザイン(いわゆるクーペユーティリティ英語版)とした上で荷台に固定式のシートを2脚取り付けることで、ピックアップではない4人乗りの「乗用車」としての輸入を認められ、1977年10月から「BRAT」という専用名称[注釈 1]とともにアメリカへの輸出が始まった。

1979年発行のカートピア別冊「楽しい4輪駆動車のハンドブック」では初代ブラットがレオーネ4WDの使用実例の1つとして紹介されていたが、その中には『日本では発売できない』との記述がある。このため日本市場には導入されなかったものの、1983年には田宮模型(現在のタミヤ)より2代目ブラットをモデルとしたラジコンカー「スバルブラット」が発売されている。

初代(1977年-1981年)[編集]

初代ブラット

1977年10月発売。ベースとなったのはA3型レオーネ2ドアセダンで、Aピラーを含むフロントウインドシールドとカウル以前、両サイドのドアは共通であるが、ボディパネルの約6割は専用部品となる。

1978年、「スバル・MV」という輸出名でイギリスをはじめとしたヨーロッパへの輸出を開始。

2代目(1981年-1994年)[編集]

2代目ブラット

1981年10月にフルモデルチェンジ。AB型レオーネ2ドアハードトップをベースとしていた。AB型レオーネでは唯一、「ハローツインルーフ(Halo Twin Roof)」と呼ばれるガラス製Tバールーフも設定された。

1983年からは、4灯フロントグリル、前後バンパーウレタン一体成型に変更。

1984年フロントグリルハニカムタイプに変更。アメリカ仕様は「GL」のみのモノグレードとなった。

1985年アジアオセアニア地域の需要に対応して、オーストラリアを中心に「ブランビー (Brumby) 」として輸出が開始された。また、イスラエルなど中東諸国にも「スバル・ピックアップ (Subaru Pickup) 」として1986年から輸出された。

アメリカでの販売終了後も、ヨーロッパ、アジア、オセアニア、中東向けには輸出が継続され、1990年までAB型レオーネのボディのまま生産された。

車名の由来[編集]

「BRAT」は、Bi-drive Recreational All-terrain Transporter の頭文字に由来する[注釈 2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 当時の海外向けレオーネは「SUBARU+ボディ形状名(4ドアセダン等)+グレード名」で呼ばれており、固有の車名が与えられていたのはブラットのみであった。
  2. ^ "Brat" は、悪ガキ、やんちゃ坊主を意味する英俗語

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]