ベントレー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ベントレーのオーナメント

ベントレー(Bentley)は、イギリス高級車スポーツカーメーカー、ブランドである。

1998年以降はドイツ・フォルクスワーゲングループ傘下となり、同グループのフォルクスワーゲン部門に属する。 [1][2]

名称は創業者のウォルター・オーウェン・ベントレー(Walter Owen Bentley 、名前の頭文字をとったW.O.という愛称で親しまれており、本稿でも以降W.O.と表記する)にちなむ。

独立会社時代(1919年~1931年)[編集]

W.O.ベントレー[編集]

1888年ロンドンに生まれたW.O.は、学校卒業後、グレート・ノーザン鉄道でエンジニアとしての修行を重ねた後、1910年にナショナル・モーター・キャブ・カンパニーに就職した。

ナショナル・モーター・キャブ・カンパニーで働くかたわら、モーターサイクルレースに興味を抱くようになり、1912年、フランス製乗用車の輸入業を営むラコック&フェルニーに転職、ここでW.O.はDFPという乗用車にチューニングを施したレーシング・カーの開発に従事、自身でワークス・ドライバーも兼ねていたという。

モータースポーツとの関わり[編集]

ブロワー

W.O.がラコック&フェルニーに転職した年に行なわれた2リッター車のレースでは最高時速107kmを記録していた。ところがその翌年、W.O.によってチューニングされたDFPは最高時速131kmという新記録を打ち立てる。その秘密はW.O.が新開発したピストンにあり、アルミを混ぜるという当時としては斬新な新技術を採用していた。第一次世界大戦勃発とともに、イギリス海軍航空隊の大尉となったW.O.は自身が開発したアルミ製ピストンを航空エンジンに応用し、彼の設計は航空エンジン中、最高のものという評価を受けるようになり、大戦中幅広く活躍した。大戦終結後、W.O.は自動車設計の世界に復帰、自動車メーカーの立ち上げを志すようになる。

ベントレー・ボーイズ[編集]

1923年に始まったル・マン24時間レースにベントレーのファクトリーチームとして参戦したドライバーを指す。多くは大富豪の子孫だった。1930年の撤退までに5回の総合優勝を果たした彼らの勇猛果敢な活躍、人間的な魅力、勝利への執念は現在に至るまで語り継がれている。

  • ジョン・ジャック・ダフ(ベントレー・ディーラー経営、白洲次郎は彼の店で購入した)
  • J.B.ベンジャフィールド(細菌学者)
  • ウルフ・バーナート(実業家の息子、1927年ベントレー社の会長に就任)
  • ジョージ・デュラー
  • サミー・デイヴィス(後年モータージャーナリスト)
  • バーナード・ルービン
  • ヘンリー"ティム"バーキン(南アフリカの車メーカー"バーキン"創始者の祖父、アルファロメオでもル・マン優勝)
  • グレン・キッドストン
  • ジャック/クライヴ・ダンフィー兄弟
  • フランク・クレメント(ベントレー社チーフテストドライバー)

ベントレーモーターズ設立[編集]

1919年8月、W.O.はベントレー・モーターズをロンドンのクリックルウッドに設立。その後、1924年1930年ル・マン24時間レースで5回の優勝を飾るなどモータースポーツで名を上げ、高性能スポーツカーメーカーとして世界の富裕層に好んで使用された。しかしその翌年の1931年ロールス・ロイスに買収され、レース活動が封印された。

車種一覧[編集]

ロールス・ロイス時代(1931年~1998年)[編集]

S2コンチネンタル・フライングスパー

1920年代後半に世界を襲った大恐慌の影響を受けベントレーモーターズは経営不振に陥り、ネイピアと合併交渉が進んでいたが、ライバルであるネイピアとベントレーの合併を恐れたロールス・ロイスが偽名を使って買収、1931年に吸収合併された。その後W.Oは1935年ラゴンダに移籍しルマンで再び勝利したが、アストンマーチンのディビッド・ブラウンがW.O.を欲したためにラゴンダごと買収され、W.OはDBシリーズの直列6気筒エンジンを設計した。1971年に死去。

W.O.がいなくなった後のベントレーは、ロールス・ロイスのモデルとのバッジエンジニアリング化が進み、第二次世界大戦後にかけてロールス・ロイスのオーナーカー版としてベントレーは姉妹車化され、その後はオーナーカー用のスポーティーモデルとして、ロールス・ロイスとの差別化が計られた。

1971年、親会社であったロールス・ロイス社(Rolls-Royce Limited)は倒産、イギリス国有化された。1973年、ロールス・ロイス社のうち、ベントレーを含む自動車部門のみが分離され、同国を代表する製造メーカーであったヴィッカースに売却された。1992年にはBMWとの提携を開始、ベントレー・アルナージに搭載されるV8エンジンの供給を受けるなどした。

車種一覧[編集]

3.5ドロップヘッドクーペ
ミュルザンヌ

フォルクスワーゲングループ時代(1998年〜)[編集]

ステートリムジン
手前からコンチネンタルフライングスパー、コンチネンタルGT、アルナージ

1998年、ヴィッカースはロールス・ロイス(ベントレーを含む)の売却を決定、ドイツフォルクスワーゲングループがその買収に成功した。この際、同じく買収を試みたBMWとのあいだにトラブルが生じたが、ベントレーについてはフォルクスワーゲンが所有、ロールス・ロイスは2002年までフォルクスワーゲンが生産・販売し、2003年1月からはその権利がBMWに移動することで決着した。

2004年に登場した2ドアクーペの「コンチネンタルGT」は、フォルクスワーゲン・フェートンと大幅なパーツ共有化を図られている。ベントレーの生産は2008年、史上最大である年間10,000台規模に成長した後、翌2009年には年間5,000台規模にまで急減した。

王室専用車[編集]

2002年にイギリス女王エリザベス2世即位50周年祝賀記念としてベントレー・ステートリムジンがイギリス自動車業界協会より進呈された。エリザベス2世女王の公務専用車として使用されている。ベントレーがイギリス王室のメンバーの私用車として使用されたことはあったが、元首の公務専用車として使用されたのは史上初めてのことである。

ル・マン復帰[編集]

2003年、ベントレーは、フォルクスワーゲングループの高級車メーカーのアウディの開発による、EXP スピード8で、2年前にカムバックしたル・マン24時間レースにおいて、21世紀になってから初めての総合優勝を成し遂げている。なお、スピード8のルーツは、1999年のアウディR8ファミリーにおける、クローズドボディのR8Cとなる。


車種一覧[編集]

日本における現行車種[編集]

現在6車種を展開しており、いずれも現在日本においては2000万円を超える価格が設定されている。

アルナージ、ミュルザンヌは前述のル・マンでの活躍から、サルト・サーキットのコーナー名に由来する。

ベントレー・マリナー[編集]

ベントレー・マリナーはベントレー傘下のベントレー車をカスタマイズするための高級コーチビルダー。第二次世界大戦前からヨーロッパ有数のコーチビルダーとして、ベントレーをはじめとするイギリスの高級車を扱っていたマリナー(Mulliner )社及びパーク・ワード(Park Ward )社は1962年に合併し、ロールス・ロイス社に買収された。現在はベントレーの特別注文部門のベントレー・マリナーとして、顧客の好み通りにベントレーをカスタマイズさせることが可能となっている。

1980年代以降のベントレー2ドアモデルは、ほぼ全てがベントレー・マリナー製を標準としている。

日本における輸入販売[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]