喜多郎

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喜多郎
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基本情報
出生名 高橋 正則
出生 1953年2月4日(61歳)
出身地 日本の旗 日本愛知県豊橋市
血液型 A型
学歴 愛知県立豊橋商業高等学校卒業
ジャンル ニューエイジ
クラシック
職業 作曲家キーボーディスト
担当楽器 キーボードシンセサイザー
活動期間 1978年 -
レーベル ドーモレコード
コロムビアミュージックエンタテインメント
事務所 ドーモ ミュージック グループドーモレコード

喜多郎(きたろう、1953年2月4日 - )は、日本キーボーディスト作曲家。本名は高橋 正則(たかはし まさのり)。愛知県豊橋市出身。愛知県立豊橋商業高等学校卒業。

1994年、米映画『天と地 (Heaven & Earth)』(監督:オリバー・ストーン)でゴールデングローブ賞作曲賞受賞。2001年、米音楽界最高峰であるグラミー賞受賞、ノミネート13回。

自然環境からインスピレーションを取り入れた独自のクリエイティヴな作品は、世界でも高い評価を受けている。毎年夏には富士山の5合目太郎坊駐車場にて、日没から夜明けまで約12時間かけた無料イベント富士山讃歌を行っている。これは年に一度、大地への感謝の気持ちを表現したファンと一体になったイベントである。

2006年に、アメリカのコロラド州からカリフォルニア州セバスタポウルに移住。

来歴[編集]

シンセサイザーとの出会い[編集]

1970年代初め、『ファー・イースト・ファミリー・バンド』のメンバーとしてキーボードを担当していた喜多郎は、レコーディングに訪れたヨーロッパで、ドイツシンセサイザー奏者クラウス・シュルツェと出会い、シンセサイザーにすっかり魅了される。帰国後、自分の音楽とシンセサイザーとの接点を見出す。

「喜多郎」という名の由来は、長髪にしていた高校時代に、ニックネームで「キタロウ」(「ゲゲゲの鬼太郎」より)と呼ばれていたことから、「キタロウ」に別の漢字を当て「喜多郎」としたもの[1]

尚、先述した『ファー・イースト・ファミリー・バンド』には、後にヒーリングミュージックを製作し、ヒーリングミュージックの第一人者となるミュージックセラピストの宮下富実夫も在籍していた。

ソロ活動[編集]

1978年、ソロとして活動を開始し、初のアルバム『天界』をリリース。

1979年、『大地』『OASIS』を発表。

1980年NHK制作のドキュメンタリー番組『NHK特集 シルクロード』の音楽を担当し、そのテーマ曲は喜多郎の代表作となった。同年発売されたアルバム『シルクロード・絲綢之路』『シルクロード・絲綢之路 II』、パルコ劇場でのライブ録音『イン・パースン』は人気を集め、喜多郎の名が日本中に知られるようになる。

1981年、アルバム『敦煌』さらに『氣』を発表。

1982年、東映アニメ「1000年女王」(CD国内未発売)のサウンドトラックを手がけ、初の全国ツアー(30都市)を行なう。同時期、NHK総合テレビジョンニュースセンター9時のテーマソングを作曲・演奏。1988年3月の放送終了まで使われる

1984年アジアツアーを行ない、台湾中国双方で演奏した最初の日本人ミュージシャンとなった。

海外進出[編集]

1985年米国ゲフィンレコードから6枚のアルバムがリリースされると、喜多郎の世界に魅せられるファンが世界で急増する。

1986年、ゲフィンレコードと全世界の独占契約を結び、アルバム「天空」を発表。

1987年、尊敬する『グレイトフル・デッド』のパーカッション奏者、ミッキー・ハート英語版との共同プロデュースによるアルバム『THE LIGHT OF THE SPIRIT』を発表。テーマを“生命・死・そして復活”とし、アルバム「天空」から始まる喜多郎の生命サイクルに対する音楽的探求の表れであった。アルバム発表後、コロンバスのオハイオ・シアターを皮切りに日本人初の全米ツアー(25都市31公演)を行い、ニューヨークシカゴボストンロサンゼルスをはじめ、多くの都市でチケットが完売を記録、大成功を収める。また、初めてアルバムと連動した同名のビデオ『ザ・ライト・オブ・ザ・スピリット』も発表する。

1988年、同アルバムからの楽曲“ザ・フィールド”でグラミー賞“ベスト・ニューエイジ・パフォーマンス”にノミネートされる。同年、自身による初のベストアルバム『10イヤーズ/The Best of 10 YEARS』を発表。

1989年2月、ヨーロッパ・ツアー(15都市16公演)、さらに9月からは“Kitaro Live World Tour”を行い、北アメリカ、ヨーロッパ、日本と全52都市計55公演を行い、総動員数20万人を記録。

1990年、日本古来の物語と世界に伝わる伝説との融合を試みた壮大なコンセプトアルバム『古事記』を発表。米国音楽誌ビルボードのニューエイジ部門アルバム・チャートで、日本人初の8週連続第1位を獲得しアメリカでの人気が不動のものとなる。同年、米国コロラド州に移住。アルバム発表後のワールド・ツアーでは『古事記』をダイナミックに展開し、そのコンサート模様は、翌1991年にアルバム『Live in America』及びビデオ『KOJIKI: A Story in Concert』として発表され、同年9月、日本でもコンサートが開催される。また「古事記」はグラミー賞ベスト・ニューエイジ・アルバムにノミネートされる。

1992年、喜多郎が4曲をプロデュースしたマーティ・フリードマンのアルバム『シーンズ〜憧景〜』が発表される。

1993年4月ロサンゼルス (U.S.A.) に本拠地のある「ドーモレコード DOMO Records Inc., (DOMO Music Group)」に移籍。翌年『MANDALA』を発表し、世界中でのコンサートも続ける。また、オリバー・ストーン監督作品映画『天と地 (Heaven & Earth)』の音楽監督を務め、同名のサウンドトラック・アルバムを発表し、翌年1994年の第51回ゴールデングローブ賞、作曲賞を受賞する。また、この年に発表したアルバム「ドリーム」で、プログレロック・グループ『イエス』のヴォーカリスト、ジョン・アンダーソンと共演。同アルバムで喜多郎は3度目のグラミー賞ノミネートを果たす。

1994年、アルバム『MANDALA』を発表。この作品は、生活、レコーディング、そしてツアーと、活動の場をアメリカに求めてきた喜多郎のアーティストとしての評価を一層高める。

1995年、発表したアルバム『an enchanted evening〜天空への響き』そして同名のライブ・ビデオは2年連続のグラミー賞ノミネートとなる。

1996年、クリスマス・アルバム『Peace on Earth』を発表。

1997年ブロードウェイ演劇のテクニックと幻想的なストーリーが織り成すユニークなサーカス&ミュージカル「サーキュ・インジュヌー」の音楽を手がけ、同名のオリジナルスコア・アルバムを発表。また、メイベル・チャン監督作品、映画『宋家の三姉妹』の音楽を手がけ、香港の金像奨、及び台湾の金馬奨で最優秀オリジナル音楽賞を受賞。

1998年長野県の祭り“御柱祭”で、その木遣り唄を主題にしたアルバム『GAIA-ONBASHIRA』を発表。同年NHK番組「四国八十八か所」の音楽を担当。同年のアジア・ツアーでは『古事記』収録曲“響宴”が女性を中心とした若者たちからの人気を集め、新しいファン層を広げる。『GAIA-ONBASHIRA』で6度目のグラミー賞ノミネートを果たす。

1999年、春、“Kitaro 1999 New Millennium World Tour in U.S.A.”を行なう。

2000年、アルバム『Thinking of you』を完成する。

2000年以降の活動[編集]

2000年、4月、世界環境会議において唯一国会議員のためのNGO組織)より、グローブカウンシルの一員に迎えられ、国際環境アーチストとしての役割を担う。同年7月、NHK開局75周年記念番組「四大文明」の音楽を手がけ、そのテーマ曲「母なる大河」においてカウンター・テナーのスラヴァと共演。同楽曲を含むサウンドトラック『エンシェント』を発表、その後東南アジアツアーを行なう。また、現代舞踏家玉野黄市とハルピン派による幻想的な創作舞踊と、喜多郎の神秘的な音楽の共演が斬新だった新潟県清水園でのコンサートの映像作品『TAMAYURA』を発表する。

2001年、1月、「四大文明」関連のアルバム『永遠の時を〜An Ancient Journey』を発表。日本では6年振りとなる本格的なコンサートツアー“Sound Odyssey 2001〜featuring ANCIENT〜”を行なう。2月、アルバム『Thinking of you』で第43回グラミー賞でベスト・ニューエイジ・アルバム賞を受賞。5月、グラミー賞受賞記念盤として2枚組アルバム『KITARO』を発表する。そして、自身の原点とも言えるシルクロードを振り返ることを宣言。8月、そのスタートとして、薬師寺玄奘三蔵院伽藍にてコンサートを行う。

2001年、9月、アメリカ同時多発テロが発生。同日喜多郎を乗せアメリカ本土へ向かっていた飛行機ハワイ緊急着陸する。この事件に影響を受け、音楽家として世界平和に貢献できるようにと、12月、四国へ向かう。人の心に安らぎを与えるといわれる鐘の音を作品に取り入れる為、四国八十八箇所の寺の鐘の音の録音を開始。およそ10年、全88曲で完成する空海の旅プロジェクトを開始。

2002年、1月、アルバム『エンシェント』で8回目のグラミー賞ノミネートを果たす。10月、日中国交回復30周年記念コンサートを、北京天覧館劇場で開催し、満席の中で喝采を博す。

2003年、1月、アルバム『永遠の時を〜An Ancient Journey』は、第45回グラミー賞で9回目のノミネートを果たす。

2003年、『空海の旅』を発売。

2004年、『空海の旅』が、第46回グラミー賞で10回目のノミネートをされる。夏、東南アジアツアーを敢行。8月28〜29日金華山長良川をバックに、チャリティーコンサート「喜多郎〜長良川を奏でる〜」を岐阜市長良川公園で開催。

2005年、2月『空海の旅2』を発売。

翌年2006年、『空海の旅2』が、第47回グラミー賞で11回目のノミネートをされ、歴史的快挙となる『空海の旅』シリーズ連続のノミネートを果たした。2月1日、喜多郎のワールド・ツアーのキーボーディストでもある「KEIKO」とのコラボレーションで制作された『スピリチュアル・ガーデン』をリリース。

2006年後半〜2007年前半、中国の著名な映画監督 張芸謀(チャン・イーモウ)監督製作の、中国杭州西湖での水上舞台「印象西湖」の音楽を作曲担当。また、喜多郎の出身地である豊橋市の市制100周年記念作品『早咲きの花(監督:菅原浩志/主演:浅丘ルリ子)』の映画音楽を担当、監督から直にオファーされ花火師の役で出演。

2007年9月25日、シリーズ第3弾『空海の旅3』を全米発売。第50回グラミー賞で12回目のノミネートをされ、「空海の旅」シリーズ3作全てがノミネートされる。また、2007年よりアジアを中心とした世界ツアーを実施、2011年4月までの観客総動員数は約10万人に及ぶ。

2009年、『インプレッションズ Impressions』(歌手ジェーン・チャンとの共作を含む)が第52回グラミー賞で13回目のノミネートをされる。また、すずきじゅんいち監督による日系史ドキュメンタリー映画「Toyo’s Camera –Japanese American History during WWII-」「442 -Live with Honor, Die with Dignity-」へも楽曲を提供。オリジナルサウンドトラック『Toyo's Camera』(2009年)、『442』(2010年)、『442 Kitaro's Story Scape』(2010年)をリリース。9月には奈良の平城遷都1300年祭記念コンサートへ、10月には香港のシルクロード記念イベント“Silk Road Art Fetival”へ出演。同時に東京、名古屋でも数年ぶりとなる日本公演を実施。

2010年3月、メキシコ・サカテカス市で“Zacatecas Cultural Festival”へ出演。9月には、シリーズ第4弾『空海の旅4』を発売し、第53回グラミー賞で14回目となるノミネートを果たす。また中国・西安市の“Daming Palace National Heritage Park”オープニングイベントへ招聘され、公演を実施。10月、名古屋で開催された生物多様性条約第10回締約国会議 (COP10) のステージプログラムでフィナーレを飾る。“地球のリズム、宇宙からのメッセージ”をテーマに、「千人太鼓」で一般参加者千人と共に太鼓を打ち鳴らした。

2011年3月、"The Silk Road - East & West"と題したアジアツアーを敢行。タイ、香港、インドネシア、シンガポール、マレーシアを回る。タイと香港での公演では、収益金の一部(香港公演では10万香港ドル)を東日本大震災へ寄付。

2013年9月、長野県・信濃大町にて、“北アルプス喜多郎コンサートin信濃大町”を開催。

2014年、『ファイナル・コール』が第56回グラミー賞で15回目のノミネートをされる。

2014年2月、"2014 Symphonic World Tour"と題したワールドツアーを実施。アメリカ、ロシア、ポーランド、ウクライナ、ルーマニア、トルコ、アゼルバイジャン共和国、シンガポールでコンサートを行う。

受賞歴[編集]

エピソード[編集]

  • 1984年に山口組三代目組長・田岡一雄の娘、田岡由伎と結婚するも1990年に離婚し、生活の拠点を完全に海外に移す。
  • 坂本龍一がテレビ番組「テレビ探偵団」にゲスト出演した際、司会の三宅裕司から「嫌いなミュージシャンは?」と聞かれ、「あざといオリエンタリズムが気色悪い」という理由で喜多郎の実名を出して批判した。

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

  • シルクロードのテーマ(1980年)
  • ノアの箱舟(1983年)
  • キャラバン(1983年)、梅沢富美男歌謡曲版もある。(作詞小椋佳・南里元子)
  • 蒼い風(1984年)
  • 母なる大河(2000年)

スタジオ・アルバム[編集]

ライヴ・アルバム[編集]

ベスト・アルバム[編集]

サウンドトラック[編集]

CM曲・共作[編集]

※大のクルマ好きで、先撮りされた映像を観てその素晴らしさに感動し、自身初となるCM楽曲製作を快諾したという。

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ 本人の随筆/写真集『喜多郎 Kitaro』による。
  2. ^ 第18回ギャラクシー賞受賞作品”. 放送批評懇談会. 2014年11月14日閲覧。

外部リンク[編集]