中村直吉
中村 直吉(なかむら なおきち、慶応元年6月25日(1865年8月16日) - 昭和7年(1932年)7月27日)は、明治時代の冒険家。三河国吉田呉服町(現・愛知県豊橋市呉服町)に生まれる。
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[編集] アメリカ行き
「生来大々的の旅行狂」の「風船玉」を自称。1887年(明治20年)の福沢諭吉による「アメリカ・日本村建設計画」に共鳴、参加を志すが計画は挫折。しかし、中村はアメリカ行きの志を断念できず、1888年(明治21年)春、結婚後間もない妻を1人残して単身渡米した。1888年から1898年まで海外放浪する。
[編集] 世界一周
その後、呉服町で営む帽子屋は妻子に任せ、1901年36歳のとき、世界一周に出発した。アジア、中近東、アフリカ、ヨーロッパ、南北アメリカ、ニュージーランド、オーストラリアと周遊。シンガポールでは同時代の旅行家、岩本千綱と出会っている。60カ国5年10ヶ月に及ぶ旅で、その間の記録は、彼の「世界各国旅行証明簿」(今日のパスポート)という手帳に記録されている。各国の王族、貴族など著名人のサインが含まれている。
1907年、世界一周旅行から帰国。後に自己の探検記を『五大州探検記』として5巻で出版した。各巻『亜細亜大陸横行・五大州探検記』といった表題になっている。これらは、当時の人気作家、押川春浪との共編として刊行された。これにより、中村は「明治の快男児」として各界から持て囃された。これら5巻は、中村の5年10ヶ月の旅の内、2年3ヶ月分を収めたもので、アジア、ヨーロッパを回って、ニューヨークに海路向かうころで終わっている。南北アメリカを旅して、ハワイを経由して、ニュージーランド、オーストラリア、そして最後は台湾に立ち寄って帰国している。旅の後半の様子の一部は、自費出版の『世界探検十五万哩』、『アマゾン探検記』に収録されている。ただ、こちらはエッセイで、前著のような旅の詳細な記録ではない。
[編集] その後
1923年に普通選挙法が施行されると、豊橋市会議員に立候補するが5票しか集まらなかった。そして1932年、上京した際にかき氷を食べて心臓麻痺を起こし、永眠した。
[編集] 著作
- 『五大洲探検記』(押川春浪編) 博文館 1912年
- 第1巻 亜細亜大陸横行
- 第2巻 南洋印度奇観
- 第3巻 鉄脚従横
- 第4巻 亜弗利加一周
- 第5巻 欧洲無銭旅行
- 『世界探検十五万哩』(シリーズ 出にっぽん記―明治の冒険者たち) ゆまに書房 1993年(復刻版)
- 『アマゾン探検記』(シリーズ 出にっぽん記―明治の冒険者たち) ゆまに書房 1993年(復刻版)
[編集] 参考文献
- 青木澄夫『アフリカに渡った日本人』共同通信 1993年 - アフリカでの中村の足跡を追ったルポ。
- 山本光正『東海道の創造力』臨川書店 2008年 - 第二部「旅行の時代」の第二章「探検・冒険と無銭徒歩旅行」の第二節に「民間人の冒険的世界旅行」と題して、中村直吉と中村春吉が紹介されている。同姓だが2人は赤の他人。春吉は、広島県出身。
[編集] 外部リンク
- 国立国家図書館 - 第138回常設展示「明治の越境者たち-近代デジタルライブラリー収録資料に見る日本人の海外体験-」の中で紹介されている。