ニュージーランド労働党

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ニュージーランドの旗 ニュージーランドの政党
ニュージーランド労働党
New Zealand Labour Party
Rōpū Reipa o Aotearoa
New Zealand Labour logo 2011.svg
党首 デイヴィッド・カンリフ
成立年月日 1916年
パーラメント議席数
(28%)
34 / 121
2011年11月26日
政治的思想・立場 社会民主主義
社会自由主義
反共主義
中道左派
反核
公式サイト New Zealand Labour
シンボル  赤
国際組織 社会主義インターナショナル
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ニュージーランド労働党(ニュージーランドろうどうとう、英語: New Zealand Labour Partyマオリ語: Rōpū Reipa o Aotearoa)は、ニュージーランド中道左派社会民主主義政党社会主義インターナショナル加盟。ニュージーランド国民党とともにニュージーランド2大政党の一翼を担っている。

歴史[編集]

労働組合を組織母体として1910年に誕生。社会民主主義政党として、労働条件の改善や女性の社会進出、高福祉社会や人種の枠を超えた平等社会の実現を主な政策としており、先住民であるマオリ族に対する優遇政策を採っている。またイギリス労働党などと同様、基幹産業の国有化をめざしていた。

1929年の世界恐慌を契機として党支持者が増え、1935年には改革党・統一党による保守連合を破り、初めて政権を獲得した。以後1949年まで長期政権を樹立し、この間に年金・医療保険の給付、公営住宅の供給、マオリの地位向上を推進するなど、福祉国家としての基礎が形成された。1957年~60年のナッシュ政権、1972年~75年のカークおよびローリング政権、1984年7月にはロンギ政権がそれぞれ誕生している。ロンギ政権の下では伝統的な社会民主主義路線からの脱却が図られ、大胆な規制緩和、公営部門の民営化、貿易の自由化などの新自由主義改革を行った。これらの政策は、当時アメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権、日本の中曽根政権など多くの先進国で行われていたが、それらの改革を行っていたのはどれも各国の保守政党や中道右派政党であり、本来左派に位置する筈の労働党が改革を断行した珍しいケースとなった。これにより、ニュージーランドはきわめて規制の少ない国になった。

しかし、ロジャーノミクスと呼ばれるロンギ政権での改革は労働組合の支持を失い、党内に対立を招き、1989年にはロンギは首相を辞任。1990年には政権を国民党に譲る。改革路線はライバルの国民党が政権を獲得しても基本的に受け継がれ、ニュージーランド経済は順調に発展。赤字だった国家財政も1993年には黒字に転じた。

1999年には政権を奪還し、ヘレン・クラークが首相に就任。自由化の行き過ぎにより生じた、貧困の拡大、社会資本の劣化、医療崩壊、福祉レベルの低下などといった問題に対処するため、国営銀行「キーウィ銀行」の設立、ニュージーランド航空への出資、鉄道の一部国有化などを行い、政府による介入を一部復活させている。

2008年の総選挙では議席数を43に減らし、9年ぶりに下野した。また、この選挙での敗北の責任をとり、クラークは党首を辞任した。なお、クラーク政権下で閣外協力党の1つだったニュージーランド・ファースト党はこの選挙で全議席を失った。また2011年の総選挙でもキー首相率いる国民党に及ばず、フィル・ゴフ党首は引責辞任、代わってデビッド・シアラー、2013年にデイヴィッド・カンリフへと党首が交代している。

政策・その他[編集]

  • アメリカ合衆国との自由貿易実現を政策目標とし、2007年3月22日、アメリカワシントンD.C.クラーク首相とブッシュ(子)大統領が首脳会談を行った際、自由貿易と安全保障の交渉は決裂し、さらにブッシュ大統領がクラーク首相にプレゼントした「アメリカ・ニュージーランド首脳会議記念帽子」がmade in Chinaであったため、大手メディアに揶揄された。
  • フランスによるムルロア環礁での核実験に強く反対し続け、またロンギ政権下では核兵器搭載または核推進のアメリカ艦艇の入港を拒否するなど、南太平洋の非核化に積極的となり、太平洋安全保障条約(アンザス条約)に物議を醸した。

歴代党首[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]