デイヴィッド・カンリフ

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デイヴィッド・カンリフDavid Richard Cunliffe, 1963年 - )は、ニュージーランド政治家ニュージーランド労働党所属。第14代ニュージーランド労働党首(2013年8月 - )。

来歴[編集]

カンリフ(2013年)

ワイカト地方テ・アロハ生まれ。父はイングランド国教会牧師で労働党支持者であった。10歳のときにカンタベリー地方プレゼントポイントへ引越す。この頃より父が労働党の仕事の従事するようになり、カンリフも労働党の活動に参加するようになる。地元のプレゼントポイント高校を経て、高校時代はアトランティック・カレッジ奨学生としてウェールズで過ごし、オタゴ大学政治学を専攻し卒業した。オタゴ大学在学時はディベート協会に所属した。学位は文学士(第一等政治学専攻)。

1988年にニュージーランド外交貿易省へ入省し外交官になる。マッセー大学社会科学ディプロマコースで研修を受け、1988年にオーストラリア外交貿易省へ派遣外交官として留学し、1989年に環太平洋開発機構委員、1990年から1994年まで駐米ニュージーランド大使館 二等書記官/一等書記官(政治/経済担当)を経て、フルブライト奨学生としてケネディスクール行政学修士課程で行政学を学び修士号を取得。1995年に外交貿易省を退職し、ボストン・コンサルティング・グループへ転職し経営コンサルタントに転身した。1999年までボストン・コンサルティング・グループ オークランド事務所で戦略コンサルタントとして活動し、1999年の総選挙に出馬するためボストン・コンサルティングを退職。労働党の支持を得てティティランギ選挙区より出馬し比例名簿53位で初当選。2002年の総選挙は選挙区改訂によりニューリン地区より比例出馬。以後、4期連続当選を果たす。2003年に商工会議委員 兼 規律策定委員、公共部門担当大臣 兼 財務副大臣に就任、2004年にテレコミュニケーション情報技術担当大臣、移民問題担当大臣を経て、2007年 - 2008年はヘレン・クラーク政権で保健大臣を務めた。2008年の総選挙で労働党は国民党に破れ政権交代。野党転落後は労働党財務報道官に就任した。

2013年8月22日、デビッド・シアラーの党首辞任を受け、第14代労働党党首に就任した。

弁護士の妻との間に2男。

先代:
デビッド・シアラー
ニュージーランド労働党党首
2013年8月22日 -
次代:
-